イタリア半島中部の小さな都市国家ローマは、共和政のもとで着実に勢力を拡大しました。
身分闘争を経て市民の権利が広がる一方、ポエニ戦争に勝利して地中海世界の覇者となります。
この記事では、ローマの建国から共和政の発展、地中海支配の確立、そして内乱の1世紀を経てオクタウィアヌスが台頭するまでの流れを学びます。
前1000年頃、古代イタリア人が北方からイタリア半島に南下し、定住しました。そのなかのラテン人の一派によって、ティベル川のほとりに建設された都市国家がローマです。
半島北部には、独自の高度な文化をもつエトルリア人が都市国家群を築いていました。エトルリア人は工芸や建築に優れ、ギリシアの文化を積極的に取り入れた先進的な民族です。また、南イタリアやシチリア島にはギリシア人が植民市を建設しており、この地域はマグナ=グラエキア(「大ギリシア」の意)と呼ばれていました。
伝承によると、ローマは前753年にロムルスによって建国されたとされます。ロムルスとレムスの双子の兄弟がオオカミに育てられたという建国神話は広く知られていますが、歴史的な事実としては、ラテン人の集落が統合されてティベル川のほとりに都市が形成されたと考えられています。
ローマは、はじめ先住民エトルリア人の王に支配され、その文化に大きな影響を受けていましたが、前6世紀末に王を追放して共和政となりました。伝承によれば7代の王のうちタルクィニウス・プリスクス、セルウィウス・トゥリウス、タルクィニウス・スペルブスの3名がエトルリア系の王とされ、ローマの城壁・下水道・神殿建設などの都市整備はこの時期に進みました。
①ラテン人がティベル川流域のラティウム地方に定住
②エトルリア人:半島北部に都市国家群。高度な文化をもち、初期ローマに大きな影響を与えた
③南イタリアにはギリシア人の植民市(マグナ=グラエキア)
④ローマの建国は伝承上前753年。初期は王政で、エトルリア人の王も統治した
ローマでは貴族(パトリキ)と、おもに中小農民である平民(プレブス)の身分差がありました。
最高官職である任期1年・2名のコンスル(執政官)は貴族から選ばれていました。そして、貴族の会議である元老院が実質的な支配権を握っていました。
非常時にはディクタトル(独裁官)が任命されることもありました。
①前509年にエトルリア人の王を追放し共和政成立
②元老院が国政の実質的決定権(外交・財政・軍事)
③コンスル(執政官)は任期1年・2名制で独裁を防止
④非常時にはディクタトル(独裁官、最長6か月)を任命
しかし、重装歩兵として国防を担うようになった中小農民(プレブス)は、しだいに貴族の支配に対して不満をもち、平民と貴族との身分闘争がおこりました。
まず前5世紀前半に、元老院やコンスルの決定に拒否権を行使できる平民出身の護民官と、平民だけの民会である平民会が設けられました。
ついで前5世紀半ばには、慣習法をはじめて成文化した十二表法が制定・公開されました。それまで貴族が独占していた慣習法を成文化したことは、平民の地位向上に役立ちました。
前367年にはリキニウス・セクスティウス法により、コンスルのうち1人は平民から選ばれるようになりました。
そして前287年のホルテンシウス法によって、プレブスだけの民会(平民会)の決議が元老院の認可なしに全ローマ人の国法となることが定められました。ここに平民と貴族との法律上の権利は同等となりました。
しかし、従来の貴族に一部の富裕な平民が加わって新しい支配階層(ノビレス=新貴族)が成立すると、彼らが引き続き政権を独占しました。また、実質的には元老院が指導権をもち続けました。法的平等と政治的実態には差があった点に注意が必要です。
| 年代 | 法律・出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 前5世紀前半 | 護民官・平民会の設置 | プレブスの権利を守る官職。元老院やコンスルの決定に対する拒否権 |
| 前450年ごろ | 十二表法 | 慣習法を成文化。貴族の恣意的な法運用を制限 |
| 前367年 | リキニウス・セクスティウス法 | コンスル2名のうち1名は必ずプレブスから選出 |
| 前287年 | ホルテンシウス法 | 平民会の決議が元老院の認可なしに全ローマ人の国法に |
ローマは中小農民の重装歩兵を軍事力の中核にして、周辺の都市国家をつぎつぎに征服し、前3世紀前半には全イタリア半島を支配しました。征服された諸都市は個別にローマと同盟を結ばされ、それぞれ異なる権利と義務を与えられました。この分割統治の方法は、被支配者の団結と反抗をたくみに予防しました。またローマは、服属した住民の一部にローマ市民権をわけ与えて支配に従わせました。
ついでローマは、地中海西方を支配していたフェニキア人植民市のカルタゴと衝突し、3回にわたるポエニ戦争がおこりました。
なかでも、カルタゴの将軍ハンニバルがイタリア半島に侵入してローマは一時危機におちいったが、スキピオの活躍などで戦局を挽回し、ついに勝利をおさめた第2回の戦い(前218年〜前201年)が史上に名高いです。
第1回ポエニ戦争の勝利によって獲得したシチリアが、ローマ最初の属州となりました。
これらの勝利によって西地中海を制覇したローマは、東方のヘレニズム地域にも進出して、前2世紀半ばにマケドニアとギリシア諸ポリスを支配するようになりました。さらに第3回ポエニ戦争(前149年〜前146年)でカルタゴを滅ぼし、地中海全体をほぼ制覇しました。
①第1回(前264〜前241年):シチリアがローマ最初の属州に
②第2回(前218〜前201年):ハンニバルがイタリア半島に侵入 → スキピオの活躍で勝利
③第3回(前149〜前146年):カルタゴを滅亡させ、東方にも進出して地中海全体をほぼ制覇
ローマはイタリア半島以外の征服地を属州として支配しました。その富は、属州統治の任務を負った元老院議員や、属州の徴税請負を行う騎士階層のもとに集中しました。彼らは征服によって莫大な富を手に入れました。
ポエニ戦争の最大の社会的影響は、ラティフンディア(大土地所有制)の拡大です。元老院議員や騎士階層などの有力者は、農民が手放した土地を買い集めたり、征服でローマのものとなった公有地を手に入れて、戦争捕虜である奴隷を多数使った大規模な農業経営を行いました。これらの大土地所有者はブドウやオリーヴの栽培で収益をあげました。
一方、ローマの中小農民は長期の征服戦争に出征するうちに農地が荒廃して没落し、彼らの多くは都市ローマに流入しました。こうした無産市民たちは、属州から大量に輸入される安い穀物で生活するなどローマ支配の恩恵を受けたため、いっそうの征服戦争を望みました。こうして貧富の対立が激化し、市民の平等を原則としたローマの都市国家としての性格は大きく変質しはじめ、共和政の土台はゆらぎだしました。
ポエニ戦争や東方遠征で大量の戦争捕虜が奴隷としてローマに流入しました。奴隷はラティフンディアでの農業労働だけでなく、鉱山労働、家事、教育(家庭教師としてのギリシア人奴隷)など幅広い分野で使役されました。奴隷の扱いは過酷で、前135年〜前132年にはシチリアの大農場で大規模な奴隷反乱(第1次シチリア奴隷戦争)がおこり、その後も前104年〜前100年に第2次反乱が起きました。さらにのちにスパルタクスの反乱(前73年〜前71年)のような大規模な反乱を引き起こすことになります。一方で、主人から解放されて自由民(解放奴隷)となる道も存在しました。
①有力者がラティフンディア(大土地所有制)を拡大。奴隷労働に依存
②中小農民が没落し都市ローマに流入 → 無産市民化
③市民の平等を原則とした都市国家としての性格が変質 → 共和政の土台がゆらぐ
④属州の富は元老院議員や騎士階層に集中
農民の没落による軍事力低下に危機感をいだいたグラックス兄弟は、前2世紀後半にあいついで護民官に選ばれると、大土地所有者の土地を没収して無産市民に分配しようとしました。しかし、改革は大地主の反対にあって失敗し、兄は殺されて、弟は自殺しました。
以後、有力政治家はたがいに暴力で争うようになり、ローマは「内乱の1世紀」に突入しました。政治家は、元老院の伝統的支配を守ろうとする閥族派と、無産市民や騎士が支持する平民派にわかれて争いました。
前1世紀に入ると、軍隊は有力者が無産市民を集めてつくる私兵となりました。平民派のマリウスと閥族派のスッラがたがいに私兵を率いて争いました。
また、イタリア半島の同盟市がローマ市民権を求めて反乱をおこし(同盟市戦争、前91〜前88年)、この戦争の結果イタリア半島の全自由民にローマ市民権が拡大されました。さらに見世物に使われた剣闘士(剣奴)がスパルタクスに率いられて大反乱をおこす(前73年〜前71年)など、内乱は頂点に達しました。
この混乱をしずめたのが、実力者のポンペイウス・カエサル・クラッススでした。彼らは前60年、私的な政治同盟を結んで元老院と閥族派に対抗し、政権を握りました(第1回三頭政治)。その後、カエサルはガリア遠征の成功によって指導権を獲得し、対立したポンペイウスを倒して前46年に全土を平定しました。彼は連続して独裁官に就任して社会の安定化につとめました。
しかし、元老院を無視して王になる勢いをみせたため、前44年、元老院共和派のブルートゥスらに暗殺されました。
①グラックス兄弟:大土地所有者の土地没収・無産市民への分配を試みるも失敗
②閥族派(元老院中心)と平民派(無産市民・騎士が支持)の対立
③軍隊が有力者の私兵化。マリウス(平民派)とスッラ(閥族派)の争い
④同盟市戦争・スパルタクスの反乱(前73〜前71年)で内乱が頂点に
⑤第1回三頭政治(前60年):ポンペイウス・カエサル・クラッスス
⑥カエサル:ガリア征服、連続して独裁官に就任 → 前44年暗殺
前43年、カエサルの部下アントニウスとレピドゥス、カエサルの養子オクタウィアヌスが再び政治同盟を結んで閥族派をおさえました(第2回三頭政治)。
やがてオクタウィアヌスは、プトレマイオス朝の女王クレオパトラと結んだアントニウスを、前31年のアクティウムの海戦で破りました。翌年、プトレマイオス朝は滅ぼされてローマの属州となりました。ここに地中海は平定され、内乱は終わりを告げました。
権力の頂点へと登りつめたオクタウィアヌスは、前27年に元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を贈られました。彼は元老院など共和政の制度を尊重し、市民のなかの第一人者(プリンケプス)と自称しました。しかし、実際にはほとんどすべての要職を兼任して、全政治権力を手中におさめていました。この政治を元首政(プリンキパトゥス)といい、事実上の皇帝独裁でした。ここにローマ共和政は終わりを告げ、帝政への道が開かれました。
①第2回三頭政治(前43年):アントニウス・レピドゥス・オクタウィアヌスが閥族派をおさえる
②アクティウムの海戦(前31年):オクタウィアヌスがアントニウスとクレオパトラを破る
③プトレマイオス朝が滅亡 → 地中海が平定され内乱が終結
④前27年、アウグストゥスの称号。プリンケプス(第一人者)を自称 → 元首政(プリンキパトゥス)の開始
ローマ共和政の歴史を振り返ると、身分闘争は法制度の改革(護民官の設置、十二表法、リキニウス・セクスティウス法、ホルテンシウス法)によって段階的に解決されました。しかし、ポエニ戦争以降の征服戦争の拡大は社会構造を根本から変えました。ラティフンディアの拡大による中小農民の没落は、市民の平等を原則とした都市国家としてのローマの性格を大きく変質させ、共和政の土台をゆるがしました。閥族派と平民派の対立、軍の私兵化、そして有力政治家どうしの抗争が内乱の1世紀をもたらし、最終的にオクタウィアヌスの元首政へと収束しました。
古代ローマの「共和政→帝政」への移行は、「歴史総合」の範囲には直接含まれませんが、近代ヨーロッパの政治思想に大きな影響を与えました。フランス革命やアメリカ独立の際、古代ローマの共和政が理想的な政治体制として参照されています。
前6世紀末に共和政を樹立したローマは、身分闘争を経て平民の権利を拡大しつつ、ポエニ戦争に勝利して地中海全体を制覇した。しかしラティフンディアの拡大で中小農民が没落して都市国家の性格が変質し、内乱の1世紀を経てオクタウィアヌスの元首政へと移行した。
Q1. 前450年ごろ、慣習法を成文化してパトリキの恣意的な法運用を制限した法律を何というか。
Q2. ポエニ戦争で戦争捕虜の奴隷を使って有力者が経営した大農場経営を何というか。
Q3. 前60年にカエサル・ポンペイウス・クラッススが結んだ非公式の政治同盟を何というか。
Q4. 前31年にオクタウィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合軍を破った海戦を何というか。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。
ローマ共和政では、最高行政官として任期1年の( ア )が2名選ばれた。身分闘争の過程で、前367年の( イ )法により( ア )の1名は必ずプレブスから選ぶこととされた。前287年の( ウ )法により、プレブスの民会である( エ )の決議が元老院の認可なしに全ローマ人の国法となった。ここに平民と貴族の法律上の権利は同等となったが、実際には従来の貴族に富裕な平民が加わって( オ )と呼ばれる新しい支配階層を形成した。
ア:コンスル(執政官) イ:リキニウス・セクスティウス ウ:ホルテンシウス エ:平民会 オ:ノビレス(新貴族)
身分闘争の4段階(護民官の設置→十二表法→リキニウス・セクスティウス法→ホルテンシウス法)は頻出テーマです。各段階の年代・内容をセットで覚えましょう。ノビレス(新貴族)は「法的平等の達成後も実質的な支配層が存在した」という点で出題されることがあります。
ローマ共和政に関する次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。
(1) ○ (2) ×「閥族派」→「平民派」 (3) ×「アントニウス」→「クラッスス」 (4) ○
(2)について:グラックス兄弟は護民官として中小農民への土地再分配を主張した改革派であり、「平民派」の先駆けとされます。「閥族派」は元老院中心の保守派を指します。(3)について:第1回三頭政治のメンバーはポンペイウス・カエサル・クラッススの3名です。アントニウスは第2回三頭政治のメンバーであり、混同に注意しましょう。
ポエニ戦争後のローマ社会の変化と、それが共和政の崩壊にどのようにつながったかを、「ラティフンディア」「中小農民」「私兵」の語句を使って120字以内で説明せよ。
ポエニ戦争後、奴隷労働によるラティフンディアが拡大し、長期の征服戦争で中小農民の農地が荒廃して没落した。軍隊は有力者が無産市民を集めてつくる私兵となり、閥族派と平民派の有力政治家がたがいに私兵を率いて争い、内乱の1世紀を経て共和政は崩壊した。(119字)
この問題は「ポエニ戦争→社会変動→共和政崩壊」の因果関係を問うものです。ラティフンディアの拡大→中小農民の没落→都市国家としての性格の変質→軍の私兵化→閥族派と平民派の抗争という一連の流れを、論理的につなげることが重要です。