第4章 西アジアと地中海周辺の国家形成

ヘレニズム世界
─ アレクサンドロスの征服と東西融合

ペロポネソス戦争後に衰退したギリシア世界は、北方のマケドニアによって統合されます。フィリッポス2世がギリシア諸ポリスを制圧し、その子アレクサンドロス大王はペルシア帝国を滅ぼしてインド西北部にまで達する大帝国を築きました。大王の死後、帝国は3つの王国に分裂しますが、ギリシア文化とオリエント文化が融合した「ヘレニズム」と呼ばれる新たな文化圏が誕生しました。
この記事では、マケドニアの台頭から帝国の分裂、そしてヘレニズム文化の特質までを整理します。

1マケドニアの台頭 ─ ギリシア世界の統合

マケドニアとヘレニズム世界の流れ

マケドニア台頭
大王の東方遠征
ディアドコイ戦争
ヘレニズム3王国の並立
前359年前334年前323年前3世紀前30年

マケドニアは、ギリシア北方に位置する王国で、ポリスをつくらなかったギリシア人の一派でした。ギリシア諸ポリスからは「半ばバルバロイ」とみなされていましたが、前4世紀後半に急速に強大化します。

前359年に即位したフィリッポス2世は、強力なマケドニア式ファランクスを編成し、金鉱の収入を財源として軍事力を飛躍的に増強しました。そしてギリシア諸ポリスの内部対立に乗じて南下し、前338年カイロネイアの戦いテーベアテネの連合軍を破りました。

フィリッポス2世は、スパルタを除く全ギリシアのポリスをコリントス同盟(ヘラス同盟)に集め、それらを支配下に置きました。フィリッポス2世はペルシア遠征を計画しましたが、前336年に暗殺され、その計画は息子のアレクサンドロスに引き継がれました。

マケドニアがギリシア諸ポリスを制圧できた理由
ペロポネソス戦争(前431〜前404年)でアテネとスパルタが共に疲弊
戦後もポリス間の抗争が続き、ギリシア世界全体が慢性的な分裂状態
フィリッポス2世が金鉱の富マケドニア式ファランクスで軍事力を増強
分裂するポリスの隙を突いて南下し、カイロネイアの戦いでギリシア連合軍を撃破
ここが問われる: カイロネイアの戦いの意義 意義・影響

①前338年、マケドニアのフィリッポス2世がテーベ・アテネ連合軍を破った戦い
②翌年のコリントス同盟結成により、マケドニアがギリシア世界の実質的な支配者となった
③ポリスの自立的な政治(ポリス社会)が事実上終焉し、王による広域支配の時代が始まった

2アレクサンドロス大王の東方遠征

フィリッポス2世の子であるアレクサンドロス大王(在位 前336〜前323年)は、ギリシア諸国の争いにたびたび干渉してきたペルシアを討つため、マケドニアとギリシアの連合軍を率いて前334年、東方遠征に出発しました。

ペルシア帝国の征服

大王は、イッソスの戦いでペルシア王ダレイオス3世を破ったのち、エジプトを征服しました。ついでアルベラの戦いに勝利してペルシアを滅ぼし、さらに軍を進めてインド西北部まで至り、東西にまたがる大帝国を築きました。

大王の急死と帝国の遺産

しかし大王は前323年バビロンで急死しました。その領土はディアドコイ(後継者)と呼ばれる部下の将軍たちによって争われました。

アレクサンドロスの帝国は、ギリシアからエジプト、ペルシア、中央アジア、インド西北部にいたる広大な領域に及びました。大王は征服地にアレクサンドリアと名づけたギリシア風の都市を各地に建設し、ギリシア人を入植させました。また、ペルシア帝国の後継者を自任してその官僚と制度を採用するなど、東西の融合政策を積極的に推進しました。融合政策の具体例として、前324年にはスサでマケドニアの将兵とペルシア貴族の女性との集団婚が挙行され、大王自身もダレイオス3世の娘を娶りました。また、ペルシア人を軍に組み込んだマケドニア・ペルシア混成軍の編成も試みられました。これらは融合政策の象徴でしたが、マケドニア将兵の反発も招きました。

ここが問われる: アレクサンドロスの東方遠征の経路と主要な戦い 出来事の流れ

①前334年 小アジアに渡る → 前333年 イッソスの戦いでダレイオス3世を破る
②エジプト征服 → アレクサンドリア建設
③前331年 アルベラの戦いに勝利 → 前330年 アケメネス朝を滅ぼす
④中央アジアを経てインダス川流域に到達 → 兵士の反対で帰還
⑤前323年 バビロンで病死(32歳)

3帝国の分裂 ─ ヘレニズム3王国の並立

アレクサンドロスの急死後、後継者(ディアドコイ)を名乗る部将たちが帝国の支配権をめぐって激しく争いました。この約40年にわたるディアドコイ戦争(後継者戦争)の結果、帝国は3つの王国に分裂しました。

プトレマイオス朝エジプトセレウコス朝シリアアンティゴノス朝マケドニア
建国者プトレマイオスセレウコスアンティゴノス(孫のアンティゴノス2世が安定化)
支配地域エジプトシリア・メソポタミア・イラン・中央アジアマケドニア・ギリシア
首都アレクサンドリアアンティオキアペラ
特徴ムセイオンを中心とした学術・文化の振興最大の領域だが東部では次第にバクトリアやパルティアが独立ギリシア諸ポリスを支配下に置く
滅亡前30年(ローマに征服)前63年(ローマに征服)前168年(ローマに征服)

大王の東方遠征からプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30年)までの約300年間を、ヘレニズム時代と呼びます。この時代には多くのギリシア人がオリエントの各地に移住し、ギリシア風の都市がオリエントやその周辺に多数建設されて、これらの都市を中心にギリシア文化が広まりました。なかでもエジプトのアレクサンドリアは、経済・文化の中心都市として大いに栄えました。

3王国のうち、プトレマイオス朝エジプトが最も安定し、都のアレクサンドリアは地中海貿易の中心として繁栄しました。セレウコス朝は最大の領域を持ちましたが、東部ではイラン系のパルティアやギリシア系のバクトリアが次第に独立し、領域は縮小していきました。3王国はいずれも、最終的にはローマに征服されて滅亡します。

発展:アレクサンドリアの繁栄 ─ ムセイオンと大図書館

プトレマイオス朝の都アレクサンドリアは、ヘレニズム時代最大の学術都市でした。プトレマイオス1世が設立した王立研究所(ムセイオン)には、各地から学者が招かれ、王家の資金援助のもとで研究に専念しました。「ミューズの神殿」を意味するムセイオンは、今日の「ミュージアム」の語源です。

ムセイオンに付属したアレクサンドリア図書館には、全世界の知識を集めることを目標に、数十万巻のパピルス巻物が収蔵されたと言われています。ここでエウクレイデスが平面幾何学を集大成し、エラトステネスが地球の周囲の長さを計測しました。

4ヘレニズム文化 ─ 東西融合の成果

ヘレニズム時代に入ると、ギリシア文化は東方にも波及し、各地域の文化からも影響を受けて独自の文化が生まれました。ギリシア文明とオリエント文明が融合して生まれたこの文化を、ヘレニズム文化といいます。

コスモポリタニズムの誕生

ヘレニズム時代には、ポリスや民族といった旧来の枠をこえて人々が活動したので、ポリスの枠にとらわれない生き方を理想とする世界市民主義コスモポリタニズム)の思想や個人主義の潮流が知識人のあいだに生まれました。

ヘレニズムの哲学

哲学も政治からの距離を置き、個人の内面的な幸福の追求を説くようになりました。

  • ストア派ゼノンが創始) ─ 禁欲を重視し、理性にしたがって感情に動かされない生き方を理想としました。
  • エピクロス派エピクロスが創始) ─ 精神的快楽(心の平安)を追求しました。

いずれも個人の平穏な生き方と心の平静さを求める新しい哲学でした。

ヘレニズムの自然科学

ヘレニズム時代には自然科学が大きく発展しました。コイネーと呼ばれるギリシア語が共通語となり、オリエントやギリシアの諸科学がギリシア語で集大成されて発達しました。エジプトのアレクサンドリアには大図書館をそなえた王立研究所ムセイオン)がつくられ、自然科学や人文科学が研究されました。

  • エウクレイデス(ユークリッド) ─ 今日「ユークリッド幾何学」と呼ばれる平面幾何学を集大成しました。
  • アルキメデス ─ 「アルキメデスの原理」で知られ、数学・物理学の諸原理を発見しました。
  • エラトステネス地球の周囲の長さを計測しました。
  • アリスタルコス ─ 地球の自転と公転を指摘し、太陽中心説を唱えました。

歴史叙述においては、王政・貴族政・民主政の政体循環史観の立場からローマの興隆史を書いたポリビオスがあげられます。

ヘレニズムの美術

ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」に代表されるヘレニズム美術は、感情や運動の表現にすぐれた躍動的なものでした。ギリシア美術の様式は西アジア一帯に広がり、ローマやガンダーラの美術に大きな影響を及ぼし、さらにインド・中国・日本にまで影響を与えました。

  • ミロのヴィーナス ─ エーゲ海のメロス(ミロ)島から出土した、美と愛の女神アフロディテ(ヴィーナス)像。女性の理想美を表現したヘレニズム彫刻の代表作品です。
  • ラオコーン像 ─ トロイア戦争の物語に登場する神官ラオコーンが、息子たちとともに蛇に巻きつかれ苦悶する姿を表現したヘレニズム彫刻の代表作品です。
ここが問われる: ギリシア文化とヘレニズム文化の比較 比較
ギリシア文化(古典期)ヘレニズム文化
範囲ギリシア本土(ポリス中心)地中海から西アジア・中央アジアまで
共通語各ポリスのギリシア語方言コイネー(共通ギリシア語)
個人の意識ポリスの市民としてのアイデンティティコスモポリタニズム(世界市民主義)
哲学ソクラテス・プラトン・アリストテレス(普遍的真理の探究)ストア派・エピクロス派(個人の生き方・心の平安)
美術調和と理想美(パルテノン神殿など)感情や運動の表現にすぐれた躍動的な美術(ミロのヴィーナス、ラオコーン像など)
自然科学哲学の一部としての自然哲学実証的・合理的な個別科学(エウクレイデス、アルキメデス等)
文化の性格ギリシア人中心(閉鎖的)ギリシア文化+オリエント文化の融合(開放的)

5俯瞰する ─ この記事のつながり

ヘレニズム世界は、ギリシアのポリス社会が崩壊した先に生まれた、広域的な文化圏でした。ポリスの枠を超えた世界市民的な考え方、ギリシアとオリエントの文化融合、そして自然科学の発展は、のちのローマ帝国の文化的基盤となります。また、ヘレニズム文化はシルクロードを通じて東方にも伝わり、ガンダーラ美術などに影響を与えました。

この記事と他の章のつながり

  • 4-2 ギリシア世界 ─ ペロポネソス戦争後のポリス社会の衰退が、マケドニアの台頭を招きました。ポリスの市民意識からコスモポリタニズムへの転換は、ギリシア世界の連続的な変化として理解しましょう。
  • 4-1 イラン文明 ─ アレクサンドロスが滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの広域支配と行政制度は、ヘレニズム諸王国にも引き継がれました。セレウコス朝の東部からはパルティアが独立し、イランの伝統を復活させます。
  • 4-4 ローマ共和政 ─ ヘレニズム3王国は最終的にすべてローマに征服されます。ローマはヘレニズム文化を吸収し、ギリシア・ヘレニズム文化の継承者となりました。
  • 3-1 仏教と南アジア ─ バクトリアのギリシア人がインド西北部に進出し、ヘレニズム美術がガンダーラ美術(仏像の制作)に影響を与えました。東西文化交流の重要な接点です。
歴史総合とのつながり

ヘレニズム時代に生まれたコスモポリタニズム(世界市民主義)の考え方は、近現代の国際主義や多文化共生の思想の源流の一つと言えます。歴史総合では、19世紀以降のグローバル化の進展を学びますが、異なる文化が接触・融合するという現象は、すでにヘレニズム時代に大規模に起きていたことを押さえておきましょう。

6まとめ

  • マケドニアのフィリッポス2世前338年カイロネイアの戦いでテーベとアテネの連合軍を破り、スパルタを除く全ギリシアのポリスをコリントス同盟(ヘラス同盟)に集めて支配下に置いた。
  • アレクサンドロス大王前334年に東方遠征を開始し、イッソスの戦いアルベラの戦いを経てアケメネス朝を滅ぼし、インダス川流域にまで達する大帝国を築いた。
  • 大王の死後、ディアドコイ戦争を経て帝国はプトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニアの3王国に分裂した。
  • ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化が生まれ、コスモポリタニズム(世界市民主義)やコイネー(共通ギリシア語)が広まった。
  • 哲学ではストア派(ゼノン)とエピクロス派が個人の生き方を追求し、自然科学ではエウクレイデスアルキメデスエラトステネスが活躍した。
  • ミロのヴィーナス」や「ラオコーン」に代表されるヘレニズム美術は、感情や運動の表現にすぐれた躍動的なものであった。
  • アレクサンドリアには大図書館をそなえた王立研究所ムセイオン)がつくられ、自然科学や人文科学の学問の中心となった。
この記事を100字で要約すると

マケドニアのアレクサンドロス大王はペルシアを滅ぼしインドに達する大帝国を築いたが、死後3王国に分裂した。ギリシアとオリエントの文化が融合したヘレニズム文化が生まれ、コスモポリタニズムや自然科学が発展した。

7穴埋め・一問一答

Q1. 前338年、マケドニアのフィリッポス2世がテーベ・アテネ連合軍を破った戦いを何というか。

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カイロネイアの戦い。この勝利により、マケドニアはギリシア諸ポリスを事実上支配下に置き、翌年コリントス同盟を結成しました。

Q2. アレクサンドロス大王の死後、帝国の支配権をめぐって争った後継者たちを何と呼ぶか。

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ディアドコイ(後継者)。ディアドコイ戦争の結果、帝国はプトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニアの3王国に分裂しました。

Q3. ヘレニズム時代にゼノンが創始し、禁欲を重視して理性にしたがった生き方を理想とした哲学の一派を(  )派という。

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ストア派。ゼノンが創始し、禁欲を重視して理性にしたがった生き方を理想としました。

Q4. アレクサンドリアに設立された王立研究所を何というか。

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ムセイオン(王立研究所)。大図書館をそなえ、自然科学や人文科学が研究されました。

8アウトプット演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

問1 A 基礎 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。

マケドニアの( ア )2世は前338年のカイロネイアの戦いでギリシア連合軍を破り、( イ )同盟を結成した。その子( ウ )大王はアケメネス朝を滅ぼし、東はインダス川流域に達する大帝国を建設した。大王の死後、帝国はプトレマイオス朝・セレウコス朝・( エ )朝の3王国に分裂した。

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解答

ア:フィリッポス イ:コリントス ウ:アレクサンドロス エ:アンティゴノス

解説

マケドニアの台頭からヘレニズム3王国の成立までの基本的な流れを問う問題です。フィリッポス2世がギリシアを統合し、アレクサンドロス大王が東方遠征でアケメネス朝を滅ぼしました。大王の死後、後継者たちの争い(ディアドコイ戦争)を経て、プトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリア・アンティゴノス朝マケドニアの3王国が成立しました。

B 標準レベル

問2 B 標準 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。

ヘレニズム時代には、ポリスの枠を超えた( ア )(世界市民主義)の考え方が広まった。哲学では、ゼノンが創始した( イ )派が禁欲的な生き方を説き、エピクロスが創始した( ウ )派は精神的な快楽(心の平安)を追求した。自然科学の分野では、( エ )が幾何学を体系化して『原論』を著した。

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解答

ア:コスモポリタニズム イ:ストア ウ:エピクロス エ:エウクレイデス(ユークリッド)

解説

ヘレニズム文化の思想・学問を問う問題です。ストア派(ゼノン)は禁欲を重視し、エピクロス派(エピクロス)は精神的快楽を唱えましたが、いずれも個人の平穏な生き方と心の平静さを求める新しい哲学でした。エウクレイデスは今日「ユークリッド幾何学」と呼ばれる平面幾何学を集大成しました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

アレクサンドロスの東方遠征が、文化史上どのような意義を持ったか、80字以内で述べよ。

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解答例

各地にギリシア風の都市が建設され、コイネーが共通語として広まったことで、ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化が誕生した。(68字)

解説

アレクサンドロスの東方遠征の文化史的意義は、ギリシア文化が地中海世界から西アジア・中央アジアにまで広がり、オリエントの伝統文化と融合した点にあります。大王は征服地に多数のアレクサンドリアを建設してギリシア人を入植させ、ペルシアの行政制度を採用し東西の融合政策を推進しました。その結果、コスモポリタニズムやコイネーに象徴される新しい文化圏(ヘレニズム文化)が生まれました。

採点ポイント
  • ギリシア文化がオリエント(東方)に広まったことが述べられている
  • 東西の文化融合(ヘレニズム文化の誕生)が明示されている
  • 具体的な根拠(都市建設・コイネーの普及等)があればなお良い