第19章 冷戦の終結と今日の世界

今日の世界
─ 超大国アメリカの試練と多極化する国際秩序

対テロ戦争の頃まで、アメリカ合衆国は唯一の超大国として国際社会で主導権を発揮しました。しかし、あいつぐ戦争や国際金融危機によって、その主導権にもかげりが生じ、今日の世界は多極化へと向かっています。ヨーロッパではEUが拡大と統合を進め、アジアでは中国が急速な経済成長を実現しました。一方、中東ではパレスチナ問題や「アラブの春」後の混乱が続き、旧社会主義圏では民族紛争が頻発し、ロシアのウクライナ侵攻も国際社会を揺るがしています。
この記事では、冷戦後の国際社会がどのように変容し、今日の世界がどのような課題に直面しているかを学びます。

この記事のポイント
  • 冷戦後、アメリカは湾岸戦争を主導したが、同時多発テロを契機に対テロ戦争イラク戦争に突入し、その主導権にかげりが生じた
  • EUはマーストリヒト条約により発足し、共通通貨ユーロを導入、東欧にも拡大したが、移民問題やブレグジットなど課題も抱えている
  • 中国は改革開放路線のもとで急速な経済成長を実現し、習近平のもとで国際社会での存在感を強めた
  • 中東ではパレスチナ問題でオスロ合意後も対立が続き、「アラブの春」後にはシリア内戦など混乱が広がった
  • 旧社会主義圏では民族紛争が頻発し、ロシアは2022年にウクライナに侵攻した
  • グローバリゼーションが進展する一方、地域紛争や経済格差が深刻化している

冷戦後の世界の流れ

米一極
対テロ戦争
新興国台頭
多極化と課題
1991200120082010年代

1同時多発テロと対テロ戦争

湾岸戦争

1990年8月、フセインの指導するイラクが、係争地を抱える隣国クウェートに侵攻しました。米・ソはともにイラクを非難し、国連安全保障理事会はイラクへの武力行使を容認する決議を採択しました。1991年1月、アメリカを中心とする多国籍軍がイラクを攻撃し、短期間でクウェートを解放しました(湾岸戦争)。

湾岸戦争は、米・ソが協調して国連中心の国際秩序をつくるという新たな展望を示したかのようでした。冷戦中は米ソの拒否権の応酬で安保理が機能しないことが多かったのに対し、冷戦終結後はソ連の協力によって国連が一致した行動をとれたのです。

同時多発テロと対テロ戦争

湾岸戦争後、ペルシア湾岸地域へのアメリカ軍の駐留が続くとともに、パレスチナ問題も未解決のままであったため、イスラーム急進派のなかでは反米感情が高まっていきました。2001年9月11日、アメリカ合衆国のニューヨークの世界貿易センタービルや国防総省に航空機を突入させる同時多発テロ事件がおこりました。

翌月、ブッシュ(子)大統領は、事件の実行者とされるイスラーム急進派をかくまっているとして、アフガニスタンのターリバーン政権に対して軍事行動をおこしました(対テロ戦争)。

イラク戦争

ターリバーン政権を倒したのち、アフガニスタンには国際連合の主導で暫定政権が成立しました。暫定政権は2004年の大統領選挙を経て正式の政権となりましたが、ターリバーンとの戦いは続き、国内は安定しませんでした。その後、2021年にアメリカ軍が撤退すると、ターリバーン政権が復活しました。

さらにアメリカ合衆国は2003年3月、イラクが大量破壊兵器を保有し、国際テロ組織を支援しているとして、イギリスとともにイラクを攻撃し、フセイン政権を倒しました(イラク戦争)。ただし、アメリカはイラクにおける大量破壊兵器の存在を証明できませんでした。イラクは米英軍を中心とする占領統治下におかれ、日本も復興支援のために自衛隊を派遣しました。翌年、イラクの暫定政権に主権が移譲されましたが、宗派・民族間の対立が激化し、国内は不安定な状態におちいりました。

対テロ戦争はなぜ長期化したのか
湾岸戦争後もペルシア湾岸へのアメリカ軍駐留が続き、パレスチナ問題も未解決→イスラーム急進派の反米感情が高まる
2001年9月11日、同時多発テロ→アフガニスタンのターリバーン政権に対する対テロ戦争を開始
2003年、イラクが大量破壊兵器を保有しているとしてイラク戦争→フセイン政権を倒すが、宗派・民族間の対立が激化し不安定化
アフガニスタンでも国内は安定せず→2021年にアメリカ軍撤退後、ターリバーン政権が復活

あいつぐ戦争や国際金融危機によってアメリカの主導権にかげりが生じ、今日の世界は多極化へと向かっています。

ここが問われる: 湾岸戦争から対テロ戦争・イラク戦争への流れ 出来事の流れ

① 1990年8月 イラクがクウェートに侵攻→1991年1月 湾岸戦争(多国籍軍が短期間でクウェートを解放)
② 2001年9月11日 同時多発テロ対テロ戦争としてアフガニスタンのターリバーン政権を攻撃
③ 2003年3月 イラク戦争(大量破壊兵器保有を理由にイギリスとともにフセイン政権を倒す→宗派・民族間対立が激化)
④ 2021年 アメリカ軍のアフガニスタン撤退→ターリバーン政権が復活

歴史総合とのつながり

歴史総合では「冷戦後の国際社会」として、同時多発テロや地域紛争を扱います。冷戦構造の消滅が、新たな紛争の形態(テロリズム・内戦)を生み出した背景を理解しましょう。

2通商の自由化と地域統合の進展

EUの成立と拡大

EC諸国は、1987年発効の単一欧州議定書によって、商品だけでなく、ヒトの移動や金融取引の域内自由化に踏みきりました。ついで1993年、通貨統合などを定めたマーストリヒト条約が発効することで、ヨーロッパ連合EU)が発足しました。

冷戦の終結後、EU加盟国は東欧にも拡大しました。

共通通貨ユーロの導入

1999年には共通通貨ユーロが決済通貨として導入され、2002年にはユーロ紙幣・硬貨の流通が開始されてヨーロッパ共通通貨の全面的な使用が始まりました。

EUの課題

EUでは、西欧と東欧・南欧の経済格差がめだつようになり、2011年にはギリシアなど南欧諸国で財政危機が深刻化しました。2015年には、シリア内戦などから逃れるために、中東・北アフリカから移民・難民が大量にヨーロッパに到来し、大きな社会問題となりました。

西欧諸国ではEU内外からの移民の増加に対する反発がつのり、移民排斥など排外主義的な主張で世論の支持を集めるポピュリズムと呼ばれる政治手法が台頭しました。2016年にはイギリスでEU離脱(ブレグジット)支持派が国民投票で勝利をおさめ、2020年には離脱が実現しました。

なお、北大西洋条約機構(NATO)も1999年以降、東欧諸国の加盟による拡大を実現しました。

ここが問われる: EUの統合と課題 出来事の流れ
出来事意義
1993年マーストリヒト条約発効、EU発足ECを発展させ、政治・外交にも統合を拡大
1999年共通通貨ユーロ導入(決済通貨として)経済統合の象徴。域内の為替リスク解消
2002年ユーロ紙幣・硬貨の流通開始市民生活レベルでの経済統合の実現
2004年東欧10か国が一斉加盟冷戦後の「ヨーロッパの再統合」の実現
2011年ギリシアなど南欧諸国で財政危機が深刻化西欧と東欧・南欧の経済格差が課題として顕在化
2020年イギリスのEU離脱(ブレグジット)統合の深化に対する反発。国家主権との緊張
冷戦後にEUが東方に拡大したのはなぜか
冷戦終結→東欧諸国が社会主義体制から市場経済・民主主義体制へ移行
東欧諸国にとって:経済発展のための市場と投資、安全保障の確保を期待
EU側にとって:ヨーロッパ全体の安定と繁栄、市場の拡大を期待
2004年に東欧10か国が一斉加盟→冷戦による東西分断の克服
発展:EUの統合の段階

ヨーロッパ統合は、石炭・鉄鋼の共同管理(ECSC、1952年)から始まり、共同市場の形成(EEC、1958年)、EC(1967年)、そしてEU(1993年)へと段階的に深化しました。関税同盟→共通市場→経済通貨同盟という経済統合の深化に加え、共通外交・安全保障政策や司法・内務協力という政治統合も進められました。このように段階を踏んで統合を進めた点が、EUの特徴です。

3中国の台頭と多極化 ─ 習近平時代の中国

中国の改革開放と経済成長

1970年代後半から80年代前半にかけて、鄧小平を中心とする新指導部は、人民公社の解体や農業生産の請負、外国資本・技術の導入による開放経済、国営企業の独立採算化など一連の経済改革(社会主義市場経済化)を進めました。

天安門事件

しかし、学生や知識人のあいだには、共産党一党支配の持続や、民主化なき経済改革への不満もつのっていました。1989年、彼らは北京の天安門広場に集まり民主化を要求しましたが、政府はこれを武力でおさえました(天安門事件)。民主化運動に理解を示した趙紫陽共産党総書記は解任され、江沢民が後任に任命されました。

急速な経済成長と課題

1990年代の中国は、共産党支配を維持したまま経済の改革開放路線を推進しました。1997年にイギリスから香港が、99年にはポルトガルからマカオが返還され、それぞれ特別行政区として高度な自治(一国二制度)が約束されました。中国は急速な経済成長を実現し、2010年にはGDP(国内総生産)で日本を抜き、アメリカ合衆国につぐ世界第2位の経済大国となりました。

他方、国内のチベット自治区新疆ウイグル自治区では、経済発展につれて漢族の流入が増加した結果、民族対立が激化し、政府の抑圧も強化されました。

習近平と多極化する世界

2012年に総書記に就任した習近平は、国内で自身への権力集中を実現するとともに、アジア・ヨーロッパ・アフリカにまたがる経済圏構想(一帯一路)を打ち出し、国際社会での存在感を強めています。一方で、東シナ海・南シナ海の領土・権益をめぐる紛争など、中国の対外政策は強硬的な側面をもち、近隣諸国との摩擦を生んでいます。さらに2020年には、中国政府は香港に対して国家安全維持法を導入し、一国二制度による自治を形骸化させました。

新興国の経済成長を受けて、G8サミットに加えて、参加国を拡大したG20の会合も設定されました。G20は2008年秋の国際金融危機への対応策を協議するために、同年11月にはじめて首脳会議が開催されたものです。冷戦後のアメリカ一極体制から、複数の大国や地域が影響力をもつ多極化した国際秩序へと向かっています。

ここが問われる: 中国の改革開放と天安門事件 出来事の流れ
出来事ポイント
1970年代後半〜改革開放路線の開始(鄧小平)人民公社の解体、外国資本・技術の導入、社会主義市場経済化
1989年天安門事件民主化運動を武力で鎮圧。趙紫陽を解任、江沢民が後任に
1997年香港返還(イギリスから)特別行政区として一国二制度を約束
2010年GDP世界第2位に日本を抜いてアメリカに次ぐ経済大国に
2012年習近平が総書記に就任権力集中と経済圏構想で国際的存在感を強める
2020年香港国家安全維持法を導入一国二制度による自治の形骸化
中国が急速な経済成長を実現できたのはなぜか
鄧小平を中心に改革開放を推進→人民公社の解体、外国資本・技術の導入
共産党支配を維持したまま社会主義市場経済化を進める
1997年香港返還、99年マカオ返還→改革開放路線の継承と拡大
2010年にGDP世界第2位→習近平のもとで国際社会での存在感をさらに強める

4中東の動向 ─ パレスチナ問題と「アラブの春」

パレスチナ問題の展開

1987年にパレスチナ人が、イスラエル軍に対して石や火炎瓶による激しい抵抗行動(インティファーダ)をおこしました。イスラエル軍による弾圧にもかかわらず抗議行動が続くなかで、1990年代初めにはパレスチナとイスラエルのあいだに和平への機運が生じました。

1993年、両者はノルウェーの調停で、相互承認やパレスチナ人の暫定自治政府の樹立で合意しました(パレスチナ暫定自治協定オスロ合意)。しかし、1995年にラビン首相がユダヤ教急進派に暗殺されると、双方とも武力対決路線に立ち戻りました。

「アラブの春」

2010年末からは、チュニジアで始まった民主化運動がエジプトリビアにも波及し、各国で独裁政権が倒れました(「アラブの春」)。しかし、その後にチュニジアなどでは民主化が進んだものの、エジプトでは成立したイスラーム主義政党による政権が2014年に軍部のクーデタで倒されるなど、ゆり戻しの動きや混乱もおこっています。

また、シリアでは内戦が発生して多数の難民が生まれました。2014年には、イラクとシリアにまたがる過激な武装勢力が出現し、地域情勢は危機におちいりました。

「アラブの春」が各国に波及したのはなぜか
アラブ諸国の多くで長期独裁政権が続き、言論の自由や政治参加が制限されていた
貧困・失業・経済格差への若者の不満が蓄積されていた
チュニジアの政権崩壊がSNSなどを通じて各国に伝播→連鎖的に反政府運動が拡大
エジプト・リビアなどで政権が崩壊。ただしシリアでは内戦に発展して長期化
ここが問われる: パレスチナ問題と「アラブの春」 出来事の流れ

① 1987年 インティファーダ(パレスチナ人のイスラエル軍への抵抗行動)
② 1993年 オスロ合意(ノルウェーの調停で相互承認→パレスチナ暫定自治の開始)
③ 1995年 ラビン首相暗殺→双方とも武力対決路線に
④ 2010年末 「アラブの春」がチュニジアから各国に波及→独裁政権が倒れる
シリア内戦が長期化→大量の難民、2014年には過激な武装勢力も出現

歴史総合とのつながり

歴史総合では「グローバル化と私たち」のテーマで中東の地域紛争や難民問題を扱います。パレスチナ問題の起源は第一次世界大戦中のイギリスの矛盾した約束(フセイン=マクマホン協定・バルフォア宣言)にまでさかのぼることを確認しましょう。

5グローバリゼーションと地域紛争 ─ つながる世界、分かれる世界

グローバリゼーションの進展

冷戦の終結と情報通信技術の発達により、グローバリゼーション(地球規模の一体化)が急速に進みました。ヒト・モノ・カネ・情報が国境を越えて移動するようになり、世界経済の相互依存が深まりました。

1995年には、GATTにかわって世界貿易機関(WTO)が発足し、農産物・金融・知的所有権・サービス取引面での自由化を推進するとともに、貿易紛争の調停にも当たっています。グローバリゼーションは情報通信手段の技術革新にたすけられて進展し、今日ではヒト・モノ・資本・情報が日々国境をこえて大量に行き交い、複数の国家に拠点をもつ多国籍企業も各国経済に大きな影響をおよぼしています。

他方、経済活動の活発化とともに投機的な動きも発生し、1997年にはアジア通貨危機が、2008年には世界各地で深刻な国際金融危機が発生しました。

地域紛争の頻発

冷戦の終結にともない、旧社会主義圏の各地では、共産党独裁のもとでおさえられてきた民族運動や民族対立が表面化しました。ユーゴスラヴィアでは、1991年にクロアティアとスロヴェニアが独立を宣言すると、連邦の維持を望むセルビアと衝突しました。92年にはボスニア=ヘルツェゴヴィナも内戦に突入し、これらの内戦は95年まで続きました。さらに96年にはアルバニア系住民の多いコソヴォ地方の分離運動が活発化し、99年にNATO軍が介入してセルビアを空爆しました。

アフリカでは、1980年代末から続いたソマリア内戦、約100万人の犠牲者を出した1994年のルワンダ内戦、2000年代初めに本格化したスーダンのダルフール紛争など、紛争が多発しました。

ロシアでは、ソ連解体後の1990年代に民営化や地方分権化が進行しましたが、2000年に大統領に選出されたプーチンはこの動きをおしとどめ、国家による基幹産業・資源への管理を強化し、中央集権的な行政を確立しました。2014年には、ウクライナでEU加盟支持派が政権を掌握したことをきっかけに、クリミア半島に侵攻してロシアへの併合を一方的に宣言し、さらに2022年にはウクライナ全土に侵攻して、国際的な非難を浴びました。

冷戦の終結以降は、地域紛争後の平和維持活動(PKO)をはじめとして、国連の役割が増大しはじめています。多極化の時代であるからこそ、諸国家の利害を調整して平和的に紛争を解決するための国際的な協力が、従来以上に求められています。

ここが問われる: 冷戦後の地域紛争 比較
紛争地域背景・特徴
ユーゴスラヴィア紛争旧ユーゴスラヴィア(バルカン半島)連邦解体にともなう民族紛争。ボスニア内戦(〜95年)、コソヴォ紛争(99年NATO軍介入)
ルワンダ内戦ルワンダ(アフリカ中部)約100万人の犠牲者を出した(1994年)
ソマリア内戦ソマリア(東アフリカ)政府崩壊と武装勢力の割拠。「破綻国家」の典型
シリア内戦シリア(中東)「アラブの春」から内戦に発展。大量の難民が発生
冷戦後に地域紛争が頻発したのはなぜか
冷戦中は米ソが同盟国や衛星国の内部対立を抑止していた
冷戦の終結→超大国の抑止力が弱まる
抑え込まれていた民族・宗教・部族の対立が表面化
旧ユーゴスラヴィア・ルワンダ・ソマリアなどで内戦・民族紛争が頻発

冷戦構造が崩壊したことで、それまで封じ込められていた地域の対立が噴出したのです。

発展:グローバリゼーションと国際協力

グローバリゼーションがもたらす経済格差の深化や移民の増加などへの反発は、世界の各地にみられます。しかし、世界の経済的な一体化は今後も進むでしょう。多極化の時代であるからこそ、諸国家の利害を調整して平和的に紛争を解決するための国際的な協力が従来以上に求められています。核兵器の軍縮や、感染症・災害に対する国際的な協力体制の構築も急務です。

この記事の要約(約120字)

冷戦後、アメリカは湾岸戦争を主導したが、対テロ戦争やイラク戦争でその主導権にかげりが生じた。EUの拡大と中国の急速な経済成長により世界は多極化に向かい、パレスチナ問題や「アラブの春」後の混乱、旧社会主義圏の民族紛争やロシアのウクライナ侵攻など、地域紛争が多発している。グローバリゼーションの進展とともに国際協力の重要性が増している。

つながりマップ

  • 19-1 社会主義圏の動揺:ソ連崩壊後のロシアはプーチン政権のもとで国際社会での存在感を強めた。一方、旧ユーゴスラヴィアの解体は冷戦後の地域紛争の典型例となった
  • 19-2 冷戦の終結:マルタ会談・ソ連解体という冷戦の終結が、本記事で扱うアメリカ一極体制や地域紛争頻発の直接の前提となった
  • 14-1 西アジアの変容:パレスチナ問題の起源は第一次世界大戦中のフセイン=マクマホン協定・バルフォア宣言にさかのぼる
  • 18-3 アジア・アフリカの独立:冷戦期の中東戦争やアフリカの独立が、今日の地域紛争やパレスチナ問題の歴史的背景となっている

確認クイズ

Q1. 1991年、イラクのクウェート侵攻に対してアメリカを中心とする多国籍軍が行った戦争を(  )という。

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湾岸戦争

Q2. 2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生したテロ事件を(  )という。

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同時多発テロ

Q3. 1993年に発効した条約によって発足した、ヨーロッパの地域統合組織を(  )という。

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ヨーロッパ連合(EU)(マーストリヒト条約により発足)

Q4. 1970年代後半から鄧小平を中心に始まった、中国の経済近代化路線を(  )路線という。

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改革開放

Q5. 1989年、北京で民主化を求める運動が武力で鎮圧された事件を(  )事件という。

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天安門事件

Q6. 1993年、ノルウェーの調停でイスラエルとパレスチナが相互承認し、暫定自治で合意した協定を(  )合意という。

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オスロ合意

Q7. 2010年末にチュニジアから始まり、アラブ諸国に広がった民主化運動を総称して「(  )」という。

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アラブの春

Q8. 2014年にウクライナのクリミア半島に侵攻し、さらに2022年にウクライナ全土に侵攻したロシアの大統領は(  )である。

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プーチン

入試レベル問題

A 基礎レベル

問1 A 基礎 一問一答

次の空欄に適する語句を答えよ。

(1) 2001年の同時多発テロを受けて、ブッシュ(子)大統領がアフガニスタンのターリバーン政権に対しておこなった軍事行動を( ア )という。

(2) 1993年にECを発展させて発足した地域統合組織を( イ )という。

(3) EU加盟国の多くで導入された共通通貨を( ウ )という。

(4) 中国で1978年から始まった経済近代化政策を( エ )という。

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解答

ア:対テロ戦争 イ:ヨーロッパ連合(EU) ウ:ユーロ エ:改革開放

解説

(1)について:2001年9月11日の同時多発テロを受け、ブッシュ(子)大統領はイスラーム急進派をかくまっているとして、アフガニスタンのターリバーン政権に対して対テロ戦争をおこしました。(2)について:EUはマーストリヒト条約(1993年発効)により発足しました。(3)について:ユーロは2002年に全面的な使用が開始されました。(4)について:鄧小平を中心に進められた改革開放は、人民公社の解体や外国資本・技術の導入などを柱とする路線です。

B 標準レベル

問2 B 標準 一問一答

次の問いに答えよ。

(1) 湾岸戦争とイラク戦争の開戦の正統性の違いを、「国連安全保障理事会」の語句を使って簡潔に説明せよ。

(2) 1993年にイスラエルとPLOの間で成立した合意の名称を答えよ。

(3) 2010年末にチュニジアで始まった民主化運動の名称と、その後シリアで深刻化した事態を答えよ。

クリックして解答・解説を表示
解答

(1) 湾岸戦争は国連安全保障理事会の決議に基づく多国籍軍の行動であったが、イラク戦争は国連安全保障理事会の明確な承認を得ないまま開戦された。

(2) オスロ合意

(3) 民主化運動:「アラブの春」(チュニジアでの革命はジャスミン革命とも呼ばれる)。シリアでは内戦が長期化し、大量の難民が発生した。

解説

(1)について:湾岸戦争では米・ソが協調し国連安保理がイラクへの武力行使を容認する決議を採択しましたが、イラク戦争ではアメリカがイギリスとともに開戦しました。(2)について:オスロ合意はノルウェーの調停で交渉が行われたことが名称の由来です。イスラエルとパレスチナが相互に承認し、暫定自治政府の樹立で合意しました。(3)について:「アラブの春」はチュニジアからエジプトやリビアに波及し独裁政権が倒れましたが、シリアでは内戦が発生して多数の難民が生まれました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

冷戦終結後の国際秩序がアメリカの一極体制から多極化へ向かった過程を、「湾岸戦争」「対テロ戦争」「EU」「中国」の語句を使って150字以内で説明せよ。

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解答例

冷戦後、アメリカは湾岸戦争で米ソ協調のもと国連中心の国際秩序を示した。しかし同時多発テロ後の対テロ戦争やイラク戦争の長期化により、アメリカの主導権にかげりが生じた。一方、EUの東方拡大や中国の急速な経済成長により、世界の政治・経済の重心は分散し、国際秩序は多極化に向かった。(138字)

解説

この問題では、冷戦後の国際秩序の変容を、アメリカの軍事行動の変質(湾岸戦争→対テロ戦争・イラク戦争)と、新たなアクターの台頭(EU・中国)の両面から論じることが求められます。

採点ポイント
  • 湾岸戦争がアメリカ主導の国際協調として成功した点に触れている
  • 対テロ戦争やイラク戦争の長期化でアメリカの主導権にかげりが生じたことが記述されている
  • EUの東方拡大に言及している
  • 中国の経済成長に触れている
  • 全体として多極化への流れが論理的に説明されている