第1章 文明の成立と古代文明の特質

南アジアの古代文明
─ インダス文明からグプタ朝へ

インダス川流域に栄えた計画都市の文明は、突如として衰退し、その文字は今なお解読されていません。やがてアーリヤ人が進入し、ヴェーダの宗教とカースト制度(ヴァルナ制)が形づくられます。そこから仏教・ジャイナ教が生まれ、マウリヤ朝・クシャーナ朝・グプタ朝のもとでインド独自の文化が花開きました。
この記事では、インダス文明の成立からグプタ朝の黄金期まで、南アジアの古代史を時系列でたどります。

1インダス文明 ─ 計画都市の謎

南アジア古代史の流れ

インダス文明
ヴェーダ時代
仏教・ジャイナ教成立
マウリヤ朝
クシャーナ朝
グプタ朝
前2600年前1500年前6C前4C1C4C6C

前2600年ごろから前1900年ごろにかけて、インダス川流域に高度な都市文明が栄えました。これがインダス文明です。代表的な遺跡として、インダス川下流域のモエンジョ=ダーロ、上流域のハラッパー、グジャラート地方のドーラーヴィーラーなどが知られています。

インダス文明の都市の最大の特徴は、計画的な都市建設にあります。整然と区画された道路に沿って、焼成煉瓦づくりの建築が建ちならび、下水道も整備されていました。沐浴場や穀物倉などの公共建築物もつくられ、市街地に隣接して城塁がありました。しかし、宮殿や陵墓は発見されておらず、強大な支配者のいない社会であったと考えられています。

インダス文明ではインダス文字(印章文字)が使われていました。しかしこの文字は現在まで未解読であり、そのためインダス文明の政治や社会の詳細はわかっていません。印章には牛や架空の一角獣などの動物の図像とともにインダス文字が刻まれ、同類の印章はメソポタミアでも多く発見されており、両地域間の交流がさかんだったことがわかります。

インダス文明を担った民族は不明ですが、瘤牛や菩提樹が崇拝されており、すでに南アジア文明の源流がつくられていました。インダス文明は前1900年ごろから衰退しましたが、その原因は解明されていません。ただし、河川流路の変更や気候の変化が原因とする説があります。

ここが問われる: インダス文明の特徴 内容・特徴

計画的な都市建設 ─ 整然と区画された道路、焼成煉瓦づくりの建築、下水道、沐浴場・穀物倉などの公共建築物
インダス文字(印章文字) ─ 数百種類確認されているが現在まで未解読
宮殿・陵墓が未発見 ─ 強大な支配者のいない社会であったと考えられている
代表的遺跡 ─ モエンジョ=ダーロ、ハラッパー、ドーラーヴィーラー

2アーリヤ人の進入とヴェーダ時代

アーリヤ人の進入

インダス文明が衰退した後、前1500年ごろから、インド=ヨーロッパ語系アーリヤ人が西北からカイバル峠をこえてパンジャープ地方に進入しました。アーリヤ人は部族を単位として活動し、雷や火などの自然神を崇拝して、さまざまな祭礼をとりおこないました。

これらの宗教的な知識をおさめたインド最古の文献がヴェーダと呼ばれる聖典群です。なかでも最古の讃歌集『リグ=ヴェーダ』からは、この時期の多神教的な世界観を知ることができます。各種ヴェーダが編まれた前1500年〜前600年ごろまでの時代をヴェーダ時代と呼びます。

ガンジス川流域への進出

前1000年を過ぎると、アーリヤ人はより肥沃なガンジス川上流域へ移動を開始しました。森林の開墾に適した鉄器が使われるようになり、牛に牽かせる鉄の刃先をつけた木製の犂も生み出されました。また、の栽培もおこなわれるようになりました。アーリヤ人は農耕に従事する先住民とまじわって農耕技術を学び、定住の農耕社会を形成しました。

カースト制度(ヴァルナ制)の成立

農耕社会への移行で生産に余裕が生じると、王侯・武士や司祭など、生産に従事しない階層が生まれました。祭式の体系化が進むなか、王が支配の正統性を示すため祭礼を主導し、強い権力を得るようになりました。こうした過程で、ヴァルナと呼ばれる4つの身分に人々はわかれるとする身分的上下観念が生まれました。

  • バラモン(司祭)─ 祭祀を司る最高位の身分
  • クシャトリヤ(武士)─ 王族や武士の身分
  • ヴァイシャ(農民・牧畜民・商人)
  • シュードラ(隷属民)

この4つのヴァルナの外に置かれる不可触民も存在しました。バラモンたちは、複雑な祭祀を正確にとりおこなわなければ神々から恩恵を受けることができないとして、自身を最高の身分としました。彼らがつかさどる宗教をバラモン教といいます。さらに、特定の信仰や職業と結びついたり、ほかの集団の者との結婚や食事などを制限することで結合をはかるジャーティカースト)集団が多数生まれてきました。これらのジャーティはヴァルナ制と結びつき、たがいに上下関係を主張するようになりました。ヴァルナ制とさまざまなジャーティの主張とが組み合わさった社会制度は南アジア社会の基層となり、のちにカースト制度として展開することになりました。

カースト制度(ヴァルナ制)が生まれた背景
アーリヤ人が先住民とまじわり、定住の農耕社会を形成する
農耕社会への移行で生産に余裕が生じ、王侯・武士や司祭など生産に従事しない階層が生まれる
バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの4つのヴァルナ(身分的上下観念)が成立
特定の信仰や職業と結びついたジャーティ(カースト)集団が多数生まれ、ヴァルナ制と結びつく

3新しい宗教の誕生 ─ 仏教とジャイナ教

前6世紀ごろになると、政治・経済の中心がガンジス川上流域から中・下流域へと移動し、城壁で囲まれた都市国家がいくつも生まれました。都市の発達と商業の成長にともない、クシャトリヤやヴァイシャなどの都市民が台頭しました。こうした社会的・経済的な発展を背景に、バラモンが祭祀を独占し身分を固定するバラモン教に対して、新たな宗教思想が生まれます。

仏教の成立

クシャトリヤ出身ガウタマ=シッダールタブッダ、前5世紀ごろ)は、業・輪廻・解脱の考えを深めて仏教を創始し、苦の原因から解脱する正しい認識の方法(四諦)と正しい実践の方法(八正道)を説きました。ヴェーダの権威を批判する仏教は、祭祀をつかさどるバラモンが高い権威をもつことに不満をもつ商人や王侯に支持され、インド全域に広がりました。

ジャイナ教の成立

ほぼ同じ時期に、マガダ国のクシャトリヤ出身のヴァルダマーナマハーヴィーラ)が、禁欲的な苦行と徹底的な不殺生により解脱を得るとするジャイナ教の祖となりました。ジャイナ教もヴェーダの権威を批判し、商人や王侯に支持されましたが、厳格な戒律のため広範な普及には至りませんでした。

発展:ウパニシャッド哲学と新宗教の関係

ヴェーダ時代の末期に編纂された『ウパニシャッド』(奥義書)文献では、人間は業(カルマ)が支配する輪廻にとらわれた存在とされ、宇宙の根本原理(ブラフマン)と自己(アートマン)を合一させることによって、輪廻からときはなたれ解脱することができると説かれました(梵我一如)。仏教やジャイナ教は、このウパニシャッドの思想的基盤の上に成立した宗教です。ただし、仏教はアートマン(永遠不変の自我)の存在を否定した点でウパニシャッド哲学と異なります。

4マウリヤ朝 ─ インド初の統一国家

前4世紀後半、マケドニアのアレクサンドロス大王が前326年までにインダス川流域を制圧し、西北インドは一時その大帝国に組み入れられました。一方、マガダ国では前317年ごろ、武将チャンドラグプタがナンダ朝を倒し、パータリプトラ(現パトナ)を都としてマウリヤ朝を建てました。マウリヤ朝は西はアフガニスタン南部から東はガンジス川下流域、南はデカン高原にいたるインド最初の大帝国を形成しました。

アショーカ王の統治

マウリヤ朝は第3代のアショーカ王(在位前268ごろ〜前232ごろ)のもとで帝国の領域が最大となりました。アショーカ王は征服活動で多くの犠牲者を出したことを悔い、仏教への帰依を深めました。その広大な帝国を統治する理念として不殺生・慈悲などの倫理(法(ダルマ))をかかげ、領内の各地でダルマの大切さを説く勅令を岩や石柱に刻みました。これらの磨崖碑・石柱碑はインド各地に残り、なかにはギリシア語やアラム語で記されたものもあり、帝国の多民族・多言語的な性格を示しています。

また、仏典の結集(編纂)をおこない、スリランカなどの各地に布教使を派遣しました。この布教活動を通じて、仏教は南アジアから東南アジアへと広がっていきます。

しかし、官僚組織と軍隊の維持が財政難をまねいたことや、王家に対するバラモン階層の反発もあり、アショーカ王の死後、マウリヤ朝は衰退し、前2世紀初頭に滅亡しました。

5クシャーナ朝とガンダーラ美術

マウリヤ朝滅亡後、北インドは政治的に不安定な時期が続きました。南インドでは、前1世紀ごろにデカン高原にサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)が成立し、インド洋交易で繁栄しました。一方、1世紀には中央アジアのクシャーナ族が西北インドから中央アジアにかけてクシャーナ朝を建てました。

クシャーナ朝は2世紀中ごろのカニシカ王のもとで全盛期を迎え、プルシャプラ(現ペシャワール)を都として北インドから中央アジアに及ぶ地域を支配しました。カニシカ王は仏教を保護しました。クシャーナ朝は東西交易の中継で繁栄し、中国から運ばれた絹がインダス川河口周辺の港でローマに向けて船積みされ、かわりにローマからは金貨がもたらされました。

ガンダーラ美術

クシャーナ朝の支配のもとで、インド・中央アジア・ペルシア・ギリシアの諸文明が接触し、さまざまな宗教が混在しました。このころからヘレニズム文明の影響もあって仏像がつくられるようになりました。西北インドのガンダーラ地方では、ギリシア彫刻の強い影響を受けた仏教美術が生まれ、これをガンダーラ美術と呼びます。

また、ガンジス川流域ではマトゥラー様式と呼ばれる独自の仏像様式も発展しました。洗練されたガンダーラ様式とは異なり、素朴ではあるが力強い作風が特徴的です。これらの仏像表現は東アジア・東南アジアの仏教美術に大きな影響を与えます。

紀元前後には、衆生の救済を重視し、悟りや知恵を求める修行者を広く菩薩として信仰する大乗仏教がおこりました。2世紀ごろ、ナーガールジュナ(龍樹)がその教理の基礎を理論化しました。大乗仏教はおもに中央アジアから東アジアに広まり(北伝仏教)、一方、スリランカや東南アジアには上座部仏教(南伝仏教)が広まりました。

ここが問われる: マウリヤ朝とクシャーナ朝の比較 比較
マウリヤ朝クシャーナ朝
時期前4世紀末〜前2世紀1世紀〜3世紀
建国者チャンドラグプタクシャーナ族
最盛期の王アショーカ王カニシカ王
パータリプトラプルシャプラ
支配領域アフガニスタン南部〜ガンジス川下流域〜デカン高原西北インド〜中央アジア
仏教との関係アショーカ王がダルマをかかげ、布教使を派遣カニシカ王が保護、大乗仏教が発展
文化石柱碑・磨崖碑にダルマ(法)を刻むガンダーラ美術(ヘレニズムの影響を受けた仏像)

6グプタ朝 ─ インド古典文化の黄金期

4世紀前半、かつてのマガダ国の故地から台頭したチャンドラグプタ1世パータリプトラを都としてグプタ朝を建てました(320年ごろ)。チャンドラグプタ2世の時代に北インドの大部分を統一し、最盛期を迎えました。

グプタ朝の時代はインド古典文化の黄金期と呼ばれます。サンスクリット語が宗教だけでなく政治や学芸の言語として用いられ、サンスクリット語で王の事績を喧伝する碑文を作成することが一般化しました。グプタ朝の国教的な地位を占めたのはヒンドゥー教でしたが、仏教やジャイナ教も引き続き信仰されていました。

グプタ朝の文化

  • 文学カーリダーサの戯曲(『シャクンタラー』)が代表作です。
  • 仏教 ─ グプタ朝期にも仏教は栄え、ナーランダー僧院が仏教教学の中心となりました。
  • 美術アジャンター石窟寺院の壁画は、仏教美術の傑作として知られます。優美さとやさしさをもつグプタ様式の仏像が確立されました。
  • 自然科学ゼロの概念を含むインド数字が発展しました。このインド数字はのちにアラビア数字として西方に伝わります。
  • 宗教 ─ バラモン教がインド各地の土着の神々に対する民間信仰と融合してヒンドゥー教が発展しました。世界の保持者ヴィシュヌと、破壊と創造の神シヴァが主神とされました。2世紀ごろまでに成立した『マヌ法典』はカースト制度の規範を体系化しました。
  • 叙事詩 ─ 『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の二大叙事詩がこの時代までに現在の形にまとめられました。

グプタ朝は5世紀後半からフーナの侵入を受けて衰退し、6世紀半ばに滅亡しました。しかし、グプタ朝期に確立したヒンドゥー教とサンスクリット語による諸学芸はインドをこえて広がり、とくに東南アジアではその伝統文化の一部を構成することとなりました。

グプタ朝滅亡後、7世紀前半にハルシャ=ヴァルダナ(ヴァルダナ朝)が一時北インドを統一しましたが、彼の死後ふたたび分裂しました。玄奘はその治世下のインドを訪問し、当時の様子を『大唐西域記』に記録しています。

ポイント:グプタ朝の文化遺産
  • サンスクリット文学 ─ カーリダーサの『シャクンタラー』に代表される宮廷文学が栄えた。
  • インド数字 ─ ゼロの概念を含む十進法の数字体系が発展し、のちにアラビア数字として世界に広まった。
  • ヒンドゥー教の確立 ─ バラモン教が民間信仰を吸収して成立。シヴァ神・ヴィシュヌ神信仰が定着した。
  • 純インド的美術 ─ ガンダーラ美術のギリシア的要素が消化され、アジャンター石窟寺院の壁画に見られるインド独自の美術様式が完成した。

ここが問われる: マウリヤ朝とグプタ朝の比較 比較
マウリヤ朝グプタ朝
時期前4世紀末〜前2世紀4世紀〜6世紀
建国者チャンドラグプタチャンドラグプタ1世
最盛期の王アショーカ王チャンドラグプタ2世
パータリプトラパータリプトラ
支配方式官僚制による中央集権的支配地方の首長に自治を認める緩やかな支配
宗教アショーカ王がダルマ(法)をかかげるヒンドゥー教が国教的地位を占める
文化石柱碑・磨崖碑、仏教布教サンスクリット文学、インド数字、アジャンター壁画、ナーランダー僧院
衰退原因アショーカ王死後に衰退、前2世紀初頭に滅亡フーナの侵入

6補足:南インドの展開

インド亜大陸の南部、デカン高原と海岸平野の間には丘陵地帯が続き、そこで採れる胡椒やインド産の綿布はインド洋交易の主要商品となりました。南インドの港はアラビア海・ベンガル湾の交易を結ぶ要衝として栄えました。

11世紀には南インドのチョーラ朝が隆盛し、スリランカやスマトラ島に軍を派遣するなど、インド洋世界に積極的に進出しました。チョーラ朝の海上活動は、東南アジアとの交流を深める上でも重要な意味をもちます。

7俯瞰する ─ この記事のつながり

南アジアの古代文明は、インダス文明の計画都市に始まり、アーリヤ人の進入によるヴァルナ制の形成、それに対する仏教・ジャイナ教の成立、そしてマウリヤ朝・クシャーナ朝・グプタ朝のもとでの文化の発展という流れで展開しました。グプタ朝期に確立したヒンドゥー教とサンスクリット語による諸学芸はインドをこえて広がり、とくに東南アジアではその伝統文化の一部を構成することとなりました。

この記事と他の章のつながり

  • 1-1 文明の誕生 ─ インダス文明は四大文明の一つです。大河の流域に生まれた文明という共通点がありますが、エジプトやメソポタミアとは異なり、巨大な王宮や神殿が確認されていない点が特徴的です。
  • 1-5 オリエントの統一 ─ アレクサンドロス大王の東方遠征がインダス川流域にまで及んだことが、マウリヤ朝成立の契機となりました。ガンダーラ美術に見られるギリシア文化の影響も、ヘレニズムの広がりと関連しています。
  • 1-7 中国の古代文明 ─ 仏教はクシャーナ朝の時代に大乗仏教として中央アジアを経由して中国に伝わり(北伝仏教)、中国文化に大きな影響を与えました。
  • 第3章 南アジア・東南アジア ─ グプタ朝以降のインドの歴史、ヒンドゥー教文化圏としての東南アジアへの影響は、この章で詳しく学びます。
歴史総合とのつながり

カースト制度に見られる身分による社会の固定化は、歴史総合で学ぶ近代の身分制度の解体や平等思想の成立と対比して考えることができます。また、仏教の伝播は、グローバルな宗教の広がりという視点で、キリスト教やイスラーム教の伝播と比較する題材にもなります。

8まとめ

  • 前2600年ごろからインダス川流域にインダス文明が栄えた。モエンジョ=ダーロハラッパーに代表される計画都市を持ち、インダス文字は現在も未解読である。
  • 前1500年ごろ、インド=ヨーロッパ語系のアーリヤ人がパンジャープ地方に進入しはじめ、ヴェーダにもとづく文化を形成した。
  • バラモン(司祭)・クシャトリヤ(武士)・ヴァイシャ(農民・牧畜民・商人)・シュードラ(隷属民)の4つのヴァルナによる身分的上下観念が生まれ、ジャーティ(カースト)と結びついて南アジア社会の基層となった。
  • 前6世紀ごろ、バラモン教への批判から仏教(ガウタマ=シッダールタ)とジャイナ教(ヴァルダマーナ)が成立した。
  • マウリヤ朝のチャンドラグプタがインド最初の大帝国を形成し、アショーカ王のもとでダルマ(法)による統治がおこなわれ、仏教が各地に広まった。
  • クシャーナ朝カニシカ王のもとでヘレニズム文明の影響を受けたガンダーラ美術が生まれ、ナーガールジュナ(龍樹)が大乗仏教の教理を理論化した。
  • グプタ朝はインド古典文化の黄金期で、ヒンドゥー教の確立、サンスクリット文学ゼロの概念を含むインド数字など多くの文化遺産が生まれた。
この記事を100字で要約すると

インダス文明の計画都市に始まり、アーリヤ人の進入でヴァルナ制とバラモン教が形成された。仏教・ジャイナ教が生まれ、マウリヤ朝のアショーカ王はダルマによる統治をおこなった。クシャーナ朝ではガンダーラ美術と大乗仏教が発展し、グプタ朝でヒンドゥー教やサンスクリット文学などインド古典文化が花開いた。

9穴埋め・一問一答

Q1. インダス文明の代表的な遺跡で、インダス川下流域にある都市遺跡の名前は何か。

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モエンジョ=ダーロ。碁盤の目状の道路、焼きレンガの建物、排水設備を備えた計画都市の遺跡です。上流域にはハラッパーがあります。

Q2. アーリヤ人の社会で、祭祀を司る最高位の身分を何というか。

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バラモン(司祭)。ヴァルナ制の4身分は上からバラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラです。

Q3. マウリヤ朝の第3代の王で、仏教に帰依しダルマ(法)による統治を行ったのは誰か。

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アショーカ王。征服活動で多くの犠牲者を出したことを悔い、仏教への帰依を深めました。不殺生・慈悲などの倫理(ダルマ)をかかげ、各地に勅令を岩や石柱に刻みました。スリランカなどに布教使を派遣しました。

Q4. グプタ朝の時代にバラモン教と民間信仰が融合して成立した宗教は何か。

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ヒンドゥー教。シヴァ神やヴィシュヌ神への信仰が中心で、グプタ朝では国教的な地位を占めました。

10アウトプット演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

問1 A 基礎 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。

前2600年ごろからインダス川流域に栄えた( ア )文明では、( イ )やハラッパーなどの計画都市が建設された。この文明で使われた( ウ )文字は現在も解読されていない。前1500年ごろ、インド=ヨーロッパ語系の( エ )人が西北インドに進入し、ヴェーダにもとづく文化を形成した。

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解答

ア:インダス イ:モエンジョ=ダーロ ウ:インダス エ:アーリヤ

解説

インダス文明はインダス川流域に栄えた古代文明で、モエンジョ=ダーロ(下流)とハラッパー(上流)が代表的遺跡です。インダス文字は印章に刻まれた未解読の文字です。アーリヤ人は中央アジア方面から進入したインド=ヨーロッパ語系の民族で、最古の聖典リグ=ヴェーダを伝えました。

B 標準レベル

問2 B 標準 正誤

次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。

  • (1) ガンダーラ美術は、ローマ美術の影響を受けてインド南部で発達した仏教美術である。
  • (2) アショーカ王は仏教の影響を受けてダルマ(法)をかかげ、各地に勅令を岩や石柱に刻み、スリランカなどに布教使を派遣した。
  • (3) グプタ朝の時代に、ゼロの概念を含むインド数字が発展した。
  • (4) 大乗仏教は、出家者のみが悟りに到達できると説く仏教の一派である。
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解答

(1) ×「ローマ美術」→「ギリシア美術」、「インド南部」→「西北インドのガンダーラ地方」 (2) ○ (3) ○ (4) ×「出家者のみが悟りに到達できる」→「すべての人々の救済を目指す」

解説

(1)について:ガンダーラ美術はギリシア美術の影響を受けて西北インドのガンダーラ地方で発達した仏教美術です。クシャーナ朝の時代に、アレクサンドロス大王の東方遠征以来のギリシア文化の影響が仏像制作に反映されました。(4)について:大乗仏教は出家者だけでなく、すべての人々(衆生)の救済を目指す仏教です。従来の仏教を小乗仏教と呼んで批判し、菩薩による衆生救済を説きました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

マウリヤ朝とグプタ朝の支配方式および宗教政策の違いを、80字以内で述べよ。

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解答例

マウリヤ朝は官僚制による中央集権的支配を行い仏教を保護したが、グプタ朝は地方首長に自治を認める緩やかな支配のもとヒンドゥー教を重視した。(68字)

解説

マウリヤ朝はアショーカ王に代表されるように、広大な領域を官僚制と法(ダルマ)によって中央集権的に統治し、仏教を保護・布教しました。一方、グプタ朝は地方の首長に一定の自治を認める間接的な支配方式をとり、宗教面ではヒンドゥー教が国教的な地位を占めました。この両王朝の違いは入試で頻出のテーマです。

採点ポイント
  • マウリヤ朝の中央集権的支配と仏教保護が述べられている
  • グプタ朝の緩やかな支配とヒンドゥー教重視が述べられている
  • 両者の対比が明確に示されている