第1章 オリエントと地中海世界

オリエントの統一
─ アッシリアからアケメネス朝ペルシアへ

前7世紀、アッシリアが史上初めてオリエント全域を統一しました。しかし過酷な支配は長続きせず、帝国はわずか半世紀ほどで崩壊します。その後、4つの王国が分立する時代を経て、ペルシア人のアケメネス朝が寛容な統治でふたたびオリエントを統一し、エーゲ海からインダス川に至る大帝国を築きました。
この記事では、オリエント統一の過程を「支配のあり方」に注目しながらたどり、ゾロアスター教など後世への影響が大きい宗教についても整理します。

1アッシリアの統一 ─ 史上初のオリエント統一帝国

アッシリアの台頭

ティグリス川中流域の都市アッシュルの商人は、古くから隊商交易に従事していました。前2千年紀初めに北メソポタミアにおこったアッシリア王国は、アナトリア方面との中継貿易によって栄えましたが、前15世紀には一時ミタンニ王国に服属しました。しかし、その後に独立を回復しました。

圧倒的な軍事力

アッシリアは前9世紀ごろから、鉄製の武器戦車を装備し、新たに騎馬隊も組織して勢力をのばしました。シリアやバビロニア、アナトリア東南部、イラン高原西北部を征服し、パレスティナからエジプトにまで進軍しました。こうしてアッシリアは、前7世紀前半にオリエント全土のさまざまな民族を支配して統合する帝国となりました。

オリエントの統一と崩壊

アッシリア帝国はニネヴェを首都とし、征服地を州にわけ、それぞれに総督を派遣して直接統治しました。駅伝制を設け、粘土板文書を保存して情報の収集に努めました。しかし、強制移住や重税などのために服属民の反感をまねき、帝国の統治は長くは安定しませんでした。やがて各地に反乱がおこり、近隣諸国にも圧迫されて、前612年にはニネヴェが陥落して崩壊し、オリエントにはエジプト、アナトリアのリディア新バビロニア(カルデア)、イラン高原のメディアの4王国が分立することになりました。

アッシリアが短期間で崩壊した理由
鉄製武器・戦車・騎馬隊で全オリエントを征服(前7世紀前半)
征服した民族に強制移住・重税を課し、反抗には武力で弾圧(武断政治
広大な帝国の各地で服属民の反乱が頻発し、抑えきれなくなる
前612年、首都ニネヴェが陥落し帝国は崩壊
ここが問われる: アッシリアの統治の特徴 内容・特徴

①鉄製武器・戦車・騎馬隊による軍事力で全オリエントを征服した
②征服地を州に分けて総督を派遣し直接統治した。駅伝制を設け、粘土板文書を保存して情報の収集に努めた
③強制移住・重税などのために服属民の反感をまねき、前612年に崩壊した

24王国の分立 ─ アッシリア崩壊後の世界

アッシリアが滅亡すると、オリエントには4つの王国が分立しました。このうちメディアと新バビロニアはアッシリアを滅ぼした国です。

オリエント統一の流れ

アッシリア統一
4王国分立
アケメネス朝ペルシア
前7世紀前半前612前550前330 滅亡

4王国の概要

リディアは、アナトリア(小アジア)西部に建てられた王国です。イオニア地方のギリシア人諸都市を勢力下に置きながら、さかんに交易活動を行いました。リディアではじめて打刻による貨幣(金と銀の合金)がつくられ、ギリシア人もそれにならいました。

メディアは、イラン高原にエクバタナを都として建てられたインド=ヨーロッパ語系(イラン系)の王国で、イラン人が建てた最初の国家です。騎馬隊を主力とする軍隊でアナトリア東部にまで進出し、新バビロニアとともにアッシリアを滅ぼしました。

新バビロニア(カルデア)は、カルデア人がメソポタミアに建てた王国です。ネブカドネザル2世のとき一大勢力を誇り、ユダ王国を滅ぼして住民の多くをバビロンに強制移住させました。これがバビロン捕囚(前586年)です。

エジプトは独立を回復し、サイスを都として復古主義政策をすすめました(第26王朝)。

ここが問われる: 4王国の特徴 比較
王国地域民族・語系特徴
リディアアナトリア西部リディア人はじめて打刻による貨幣を使用。ギリシア人と交易
メディアイラン高原インド=ヨーロッパ語系(イラン人)エクバタナを都とする。イラン人が建てた最初の国家。騎馬隊を主力
新バビロニアメソポタミアカルデア人ネブカドネザル2世のとき一大勢力。バビロン捕囚
エジプトナイル川流域エジプト人独立を回復。サイスを都とする(第26王朝)

3アケメネス朝ペルシア ─ 「寛容の帝国」

キュロス2世の建国

4王国の分立に終止符を打ち、オリエントをふたたび統一したのはペルシア人でした。ペルシア人はインド=ヨーロッパ語系の民族で、イラン高原南部に移住してメディア王国に服属していました。前550年キュロス2世がメディアの政権を奪取し、アケメネス朝を開きました。

キュロス2世はさらにリディアと新バビロニアをも征服しました。アケメネス朝は、その後エジプトも併合して、ふたたび全オリエントを統一しました。

ダレイオス1世の統治制度

ダレイオス1世の時代に、帝国は西はエーゲ海沿岸から南はエジプト、東はインダス川流域にまでおよぶ広大な帝国となりました。ダレイオス1世は「諸王の王」と称し、以下のような統治制度を整えました。

ダレイオス1世の統治制度
  • サトラップ(総督)制 ─ 全土を20余州に分け、各州にサトラップを任命して徴税や治安維持を担わせました。
  • 「王の目」「王の耳」 ─ 中央から派遣される巡察使と密偵で、州行政の監視や情報の収集にあたらせました。
  • 「王の道」と駅伝制「王の道」とよばれる公道を整備し、都スサを中心に駅伝制を設けて、王都と地方が直結する体制をとりました。
  • 貨幣制度と交易の発展金貨・銀貨を発行し、交通網の整備とあわせて商業交易の条件を有利にしました。税制の整備や交易の保護によって財政の基盤が固められ、帝国内のアラム人フェニキア人ギリシア人などの商人は、交易活動の範囲を西地中海からインドにまで広げました。
  • 新都ペルセポリスの建設 ─ 新都ペルセポリスを建設して中央集権制を強化しました。この都は新年祭など公式行事を行うための場所であり、行政の中心はスサに置かれていました。

また、イラン高原や中央アジアでは地下水路(カナート)がつくられて灌漑農業が開発され、その後の農業発展の基礎が築かれました。

寛容な支配

ペルシア帝国にはさまざまな民族が住んでいましたが、アッシリアとは異なり、服属した異民族は寛容にあつかわれました。被征服民の法や宗教は、軍役と貢納の義務が守られるかぎり尊重されました。公用語としてはペルシア語のほか、アッシリア語やアラム語などが使われました。アケメネス朝はオリエントの諸民族の文化を統合し、楔形文字を表音化したペルシア文字もつくられました。

オリエントに君臨し繁栄を誇ったペルシア帝国も、前5世紀前半にはギリシアへの遠征(ペルシア戦争)に敗れ、やがてエジプトの離反にも悩まされました。前4世紀には勢力もおとろえ、前330年アレクサンドロスの遠征軍によって滅ぼされました。

アケメネス朝がアッシリアと異なり長期支配できた理由
アッシリア:強制移住・重税・武力弾圧 → 各地で反乱 → 約半世紀で崩壊
↓ 対照的に
アケメネス朝:被征服民の法・宗教・慣習を尊重(軍役と貢納の義務を守れば)
サトラップ制・「王の目・耳」・王の道で効率的な中央集権を実現
反乱が起きにくく、長期にわたる安定した支配を維持
ここが問われる: ダレイオス1世の統治制度 内容・特徴

①全土を20余州に分け、サトラップ(総督)を任命して統治させた
「王の目」「王の耳」とよばれる巡察使と密偵を派遣し、州行政を監視した
「王の道」とよばれる公道と駅伝制を整備し、王都と地方を直結させた
④被征服民の法・宗教を、軍役と貢納の義務が守られるかぎり尊重する寛容な支配を行った

4オリエントの宗教 ─ ゾロアスター教とその影響

ゾロアスター教の教え

イラン人の民族的宗教であるゾロアスター教拝火教)は、世界史上きわめて大きな影響を与えた宗教の一つです。この宗教では、この世は光明神アフラ=マズダ暗黒神アーリマンがたえず闘争すると説きました。これを善悪二元論といいます。

そして、善き人々の霊魂は最後の審判によって天国に導かれると説きました。祭祀は拝火壇を中心に行われたため、「拝火教」とも呼ばれます。

教典『アヴェスター』

ゾロアスター教の教典は『アヴェスター』と呼ばれます。ただし、『アヴェスター』が体系的に編集されたのは、後のササン朝の時代です。この最後の審判や天国の観念は、その後のユダヤ教キリスト教イスラームといった一神教に大きな影響を及ぼしました。ゾロアスター教はアケメネス朝で信仰され、ササン朝で国教とされました。

発展:ゾロアスター教がキリスト教・イスラームに与えた影響

ゾロアスター教の「善悪二元論」「最後の審判」「天国と地獄」といった考え方は、後のユダヤ教に影響を与え、ユダヤ教から生まれたキリスト教やイスラームにも受け継がれたとされています。とくにバビロン捕囚の時代に、ユダヤ人がペルシア人と接触したことが影響の契機と考えられています。

また、南北朝・隋唐時代の中国にも伝わり、「祆教(けんきょう)」と呼ばれました。さらに、ゾロアスター教から派生したマニ教(3世紀に成立)は、仏教・キリスト教を融合した宗教で、北アフリカや中央ユーラシア、唐代の中国にまで広がりました。

ここが問われる: ゾロアスター教の特徴 内容・特徴

善悪二元論 ─ 光明神アフラ=マズダと暗黒神アーリマンの闘争
最後の審判 ─ 善き人々の霊魂は最後の審判によって天国に導かれる
③教典は『アヴェスター』(ササン朝で編集)
④ササン朝で国教化。キリスト教・イスラームにも影響を与えた

5俯瞰する ─ この記事のつながり

オリエントの統一は、メソポタミアの都市国家から始まった古代世界が、より大きな「帝国」へと発展していく転換点です。アッシリアの武断政治とアケメネス朝の寛容な支配の対比は、「帝国を長期的に維持するには何が必要か」という普遍的な問いへの一つの答えを示しています。

この記事と他の章のつながり

  • 1-2 メソポタミア文明 ─ アッシリアはもともとメソポタミアの一都市国家でした。メソポタミアの開放的な地形が、より大きな統一帝国の出現を促したという流れをおさえましょう。
  • 1-4 東地中海世界の諸民族 ─ ヘブライ人のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚が起きました。その後、アケメネス朝のキュロス2世が解放したことでユダヤ教が成立します。
  • 4-3 ペルシア戦争 ─ オリエントを統一したアケメネス朝がギリシア世界に進出し、ペルシア戦争が勃発します。アテネ民主政の発展はペルシア戦争と密接に関わっています。
  • 5-4 キリスト教 ─ ゾロアスター教の「最後の審判」「天国と地獄」の観念は、ユダヤ教を通じてキリスト教にも影響を与えました。
  • 6-1 イスラーム ─ ゾロアスター教の影響はイスラームにもおよんでいます。また、ササン朝滅亡後もイラン文明の伝統はイスラーム世界に受け継がれました。

6まとめ

  • 前7世紀前半アッシリアが鉄製武器・戦車・騎馬隊の軍事力で史上初めて全オリエントを統一した。首都はニネヴェ
  • アッシリアは重税と圧政によって服属民の反抗をまねき、前612年に崩壊した。
  • アッシリア滅亡後、リディア(はじめて打刻による貨幣)・メディア新バビロニア(バビロン捕囚)・エジプト4王国が分立した。
  • ペルシア人のキュロス2世前550年アケメネス朝を建て、リディア・新バビロニアを征服。その後エジプトも併合してオリエントを再統一した。
  • ダレイオス1世サトラップ制「王の目」「王の耳」「王の道」と駅伝制で中央集権体制を確立した。
  • アケメネス朝は被征服民の法・宗教・慣習を尊重する寛容な支配で長期にわたる安定を実現した。
  • ゾロアスター教は善悪二元論・最後の審判を説き、教典は『アヴェスター』。ササン朝で国教化され、キリスト教・イスラームにも影響を与えた。
この記事を100字で要約すると

アッシリアが武力で初のオリエント統一を果たしたが武断政治で崩壊。4王国分立を経てアケメネス朝ペルシアが寛容な支配で再統一し、サトラップ制などの中央集権体制を築いた。ゾロアスター教は後世の宗教にも影響を与えた。

7穴埋め・一問一答

Q1. アッシリアが前7世紀前半に全オリエントを統一した際の首都はどこか。

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ニネヴェ。アッシュル=バニパル王の時代には約50万点の粘土板文書を集めた大図書館が建設されました。前612年に新バビロニアとメディアの連合軍に攻められて陥落しました。

Q2. 4王国のうち、はじめて打刻による貨幣を使用したことで知られる国はどこか。

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リディア。アナトリア西部の王国で、金と銀の合金の打刻による貨幣をつくりました。ギリシア人もそれにならいました。

Q3. アケメネス朝で、各州に任命された総督を何と呼ぶか。

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サトラップ。ダレイオス1世が全土を20余州に分け、サトラップに徴税や治安維持を担わせました。サトラップの監視のために「王の目」「王の耳」とよばれる巡察使と密偵が派遣されました。

Q4. ゾロアスター教で信仰される光明神は何か。

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アフラ=マズダ。暗黒神アーリマンとの善悪二元論の闘争を説き、善き人々の霊魂は最後の審判によって天国に導かれるとされました。教典は『アヴェスター』です。

8アウトプット演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

問1 A 基礎 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。

前7世紀前半、( ア )が鉄製武器や戦車を用いて全オリエントを征服したが、武断政治により前612年に崩壊した。その後、小アジアの( イ )、イラン高原のメディア、メソポタミアの新バビロニア、エジプトの4王国が分立した。やがてイラン人の( ウ )がアケメネス朝を建て、( エ )の時代にエーゲ海からインダス川に至る大帝国が完成した。

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解答

ア:アッシリア イ:リディア ウ:キュロス2世 エ:ダレイオス1世

解説

オリエント統一の流れは、アッシリアによる最初の統一 → 4王国の分立 → アケメネス朝による再統一、という3段階で整理できます。アケメネス朝は建国者キュロス2世の寛容な政策と、ダレイオス1世のサトラップ制・「王の目」「王の耳」・「王の道」による中央集権体制で帝国を安定させました。

B 標準レベル

問2 B 標準 正誤

アケメネス朝ペルシアに関する次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。

  • (1) ダレイオス1世は全国を20余州に分け、各州にサトラップ(総督)を置いて統治させた。
  • (2) 「王の目」「王の耳」とは、各州のサトラップが中央に情報を伝える制度である。
  • (3) アケメネス朝は被征服民の宗教や慣習を弾圧し、ペルシアの文化を強制した。
  • (4) アケメネス朝は前330年にアレクサンドロス大王によって滅ぼされた。
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解答

(1) ○ (2) ×「サトラップが中央に情報を伝える制度」→「中央から派遣されてサトラップを監視する巡察使と密偵」 (3) ×「宗教や慣習を弾圧し、ペルシアの文化を強制した」→「被征服民の法や宗教・慣習を尊重した(寛容な支配)」 (4) ○

解説

(2)について:「王の目」「王の耳」はサトラップ自身ではなく、中央から各地に派遣された巡察使と密偵のことです。サトラップが地方で独自の権力を持ちすぎないように監視する仕組みでした。(3)について:アケメネス朝の最大の特徴は「寛容な支配」です。アッシリアの武断政治が短期間の崩壊を招いたのに対し、アケメネス朝は服属した異民族を寛容にあつかうことで長期にわたる安定を実現しました。この対比は入試で頻出です。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

アッシリアとアケメネス朝ペルシアの支配の違いを、80字以内で説明せよ。

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解答例

アッシリアは強制移住や重税などで服属民の反感をまねき短期間で崩壊したが、アケメネス朝は服属した異民族を寛容にあつかい、法や宗教を尊重することで長期の安定を実現した。(80字)

解説

この問題はアッシリアとアケメネス朝の「支配のあり方」を対比させる典型的な論述問題です。両者はともにオリエントを統一した帝国ですが、支配の方針は正反対でした。アッシリアは強制移住や重税で服属民の反感をまねいて短期間で崩壊しましたが、アケメネス朝は服属した異民族を寛容にあつかうことで長期にわたる安定を実現しました。この対比を簡潔に述べることがポイントです。

採点ポイント
  • アッシリアの武断政治(強制移住・重税・武力弾圧)に触れている
  • アケメネス朝の寛容な支配(法・宗教・慣習の尊重)に触れている
  • 両者の対比構造が明確になっている