第1章 オリエントと地中海世界

エジプト文明
─ ナイルがつくった3000年の王国

ナイル川の定期的な増水がもたらす肥沃な土壌を基盤に、エジプトでは前3000年ごろにメソポタミアより早く統一国家が成立しました。砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形のため外部勢力の侵入を受けにくく、約3000年にわたってエジプト語系の人々による安定した支配が続きます。
この記事では、古王国・中王国・新王国の展開をたどりながら、ピラミッドや神聖文字(ヒエログリフ)など独自の文化遺産も整理します。

1「ナイルのたまもの」─ エジプト文明の基盤

エジプト史の時代区分

古王国
第1中間期
中王国
第2中間期
新王国
末期王朝
前27C前22C前21C前17C前16C前11C前7C〜

「エジプトはナイルのたまもの」というギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉どおり、エジプトではナイル川の増減水を利用して豊かな農業がおこなわれました。ナイル川は毎年7〜10月に増水・氾濫して上流から肥沃な土壌を運んだので、エジプトではほかの地域に比べて豊かな農業が営まれたのです。

発展:「エジプトはナイルのたまもの」の元来の意味

ヘロドトスがこの言葉を語ったとき、彼が指していたのは単に農業の豊かさではありませんでした。ナイル川の氾濫が長年にわたって上流から土砂を運び堆積させることで、下流域(デルタ地帯)の土地そのものが形成されたという地理的事実を述べたものです。つまり「エジプトという土地はナイルが造り出した」という意味であり、後世に「ナイルの恵みの象徴」として広まった用法とは本来のニュアンスが異なります。

また、ナイル川の治水には、住民の共同労働と、彼らを統率する強力な指導者が必要であったため、全国を統一的に支配する仕組みが早くから発達しました。

エジプトの地形は、メソポタミアとは対照的です。メソポタミアは周囲が平原で、周辺からセム語系やインド=ヨーロッパ語系の遊牧民が豊かな富を求めて移住し、民族の興亡を繰り返しました。一方、エジプトは砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形のため、外部勢力の侵入を受けにくく、エジプト語系の人々が長期にわたって高度で安定した文明を営むことができました。また、地中海やナイル川、紅海を利用した交易網を発達させました。

エジプトではメソポタミアより早く統一国家が成立したのか
ナイル川流域に部族国家が形成されるが、居住可能な範囲はナイル川沿いに限定される
大規模な治水・灌漑のために、多くの村落を統率する強力な王が必要になる
砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形のため、外部勢力の侵入が少なく統一を維持しやすい
前3000年ごろ、上下エジプトを統一した王国が成立(メソポタミアでは都市国家が分立したまま)
ここが問われる: エジプトとメソポタミアの地理的条件の違い 比較
エジプトメソポタミア
地形砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形周辺から遊牧民が移住しやすい開放的な地形
河川の増水ナイル川が毎年定期的に増水ティグリス・ユーフラテス川が不規則に増水
外部勢力侵入を受けにくい侵入を受けやすい
政治形態早くから統一国家が成立都市国家が分立し、統一は遅れた
王朝交替エジプト語系の人々が長期にわたって高度な文明を維持さまざまな民族が興亡を繰り返した
信仰の傾向定期的な増水 → 来世信仰不規則な洪水 → 現世的信仰
太陽暦太陰暦(太陰太陽暦)

2ファラオの支配 ─ 古王国・中王国・新王国

エジプトの統一とファラオ

ナイル川流域の部族国家は、やがてナイル河谷の上エジプトとデルタ地帯の下エジプトの二つの王権のもとにまとめられていきました。前3000年ごろには上下エジプトを統一した王国が成立します。メソポタミアより早い段階での統一でした。

メンフィスを都として、王はファラオと呼ばれ、生ける神として神官や役人を使って神権政治をおこないました。以後、約30の王朝が交替しながら約3000年にわたってファラオによる支配が続きます。

古王国時代 ─ ピラミッドの時代

ナイル川下流域のメンフィスを中心に栄えた古王国では、クフ王らがおそらく自分の墓として、巨大なピラミッドを築かせました。これは神である王の絶大な権力を示しています。

古王国時代は外部から孤立していましたが、強力な王権を誇り、官僚制が発達しました。しかしやがてファラオの権力が衰え、統一が崩れました(第1中間期)。

中王国時代 ─ テーベの台頭とヒクソスの侵入

中王国時代になると、都はテーベに移りました。このころにはシリアやクレタ島などとさかんに通商し、紅海沿岸地帯にも進出しました。

しかし、中王国の末期に諸民族の混成集団であるヒクソスが馬と戦車をもって侵入し、国内は一時混乱しました。

新王国時代 ─ 最大領域とアメンホテプ4世の宗教改革

しかし、前16世紀になるとエジプト人によるヒクソス撃退と再統一がなされ、新王国が成立しました。新王国はさらにシリアへと進出しました。

新王国時代には、ヒクソスの軍事技術がとりいれられ、シリアにまで進出してミタンニやヒッタイトとも争いを重ねました。

前14世紀にはアメンホテプ4世(イクナートン)が神官勢力のはびこるテーベからテル=エル=アマルナに都を移し、従来の神々の崇拝を禁じてアトン神を唯一神とする宗教改革を断行しました。しかし、王の死後、改革は挫折し、古来のアメン神信仰に復帰しました。この信仰改革の影響で、古い伝統にとらわれない写実的なアマルナ美術が生みだされました。

その後、ラメセス2世の治世に繁栄期を迎え、建築活動もさかんでした。ラメセス2世はヒッタイトカデシュで戦ったのち、世界最古の現存する国際条約を結びました。しかし、オリエントの全域が鉄器時代に入ると、鉄資源の不足のためエジプトは衰退していきました。

ここが問われる: 古王国・中王国・新王国の特徴 内容・特徴

古王国 ─ 都はメンフィス。外部から孤立していたが、強力な王権を誇り官僚制が発達。クフ王らがピラミッドを建設
中王国 ─ 都はテーベ。シリアやクレタ島との通商が盛んに。末期にヒクソスが馬と戦車をもって侵入
新王国 ─ ヒクソスを追放して再統一。ヒクソスの軍事技術をとりいれシリアに進出。アメンホテプ4世のアトン信仰による宗教改革。ラメセス2世がヒッタイトとカデシュで戦い国際条約を締結

3エジプトの信仰と文化 ─ 神々・ピラミッド・文字

多神教と来世信仰

エジプトは宗教においては、動物神への信仰がさかんな多神教でした。古王国時代にはファラオは主神たる太陽神ラーの化身として崇められました。中王国時代にはテーベの守護神アメンが主神となり、新王国時代にはラーの信仰と結びついたアメン=ラーの信仰が広まりました。

エジプト人は来世信仰をもち、霊魂の不滅を信じてミイラをつくり、「死者の書」を残しました。

神聖文字と文化遺産

エジプト文字には、碑文や墓室・石棺などに刻まれた象形文字の神聖文字(ヒエログリフ)と、パピルス草からつくった一種の紙(パピルス)に書かれた民用文字(デモティック)とがありました。

また、エジプトで発達した測地術は、ギリシアの幾何学の基になり、太陰暦とならんで用いられた太陽暦は、のちにローマで採用されてユリウス暦となりました。

発展:ロゼッタ=ストーンとシャンポリオン

古代エジプトのヒエログリフの存在は中世以降も知られていましたが、その読み方は忘れ去られていました。18世紀末、エジプトに遠征したナポレオン軍がアレクサンドリア東方のロゼッタで碑文の刻まれた石を発見しました。このロゼッタ=ストーンには、上段に神聖文字、中段に民用文字、下段にギリシア文字の3種類で同じ内容が刻まれていました。

フランスのシャンポリオン(1790〜1832)は、このギリシア文字を手がかりに神聖文字の解読に成功しました。この報告書が提出された1822年は「エジプト学の発足年」とされています。

ここが問われる: エジプト文明の文化的遺産 内容・特徴

多神教と来世信仰 ─ 太陽神ラーを中心とする多神教。霊魂の不滅を信じ、ミイラや「死者の書」をつくった
神聖文字(ヒエログリフ) ─ 碑文や墓室・石棺に刻まれた象形文字。民用文字(デモティック)も使用された
太陽暦 ─ 1年365日。のちにローマで採用されてユリウス暦となった
測地術 ─ エジプトで発達し、ギリシアの幾何学の基になった
ロゼッタ=ストーン ─ シャンポリオンが神聖文字の解読に成功(1822年)

4俯瞰する ─ この記事のつながり

エジプト文明は、ナイル川のめぐみと砂漠・海に囲まれた閉鎖的な地形に支えられ、約3000年にわたる安定した文明を営みました。周辺から豊かな富を求めて遊牧民が移住し、民族の興亡を繰り返したメソポタミアとは対照的であり、この二つの文明の比較は入試の定番テーマです。エジプトはやがてオリエント全体の統一の波に飲み込まれていきますが、その文化はギリシア・ローマ世界にも大きな影響を与えました。

この記事と他の章のつながり

  • 1-1 文明の誕生 ─ エジプトは四大文明の一つとして、ナイル川の恵みから農耕 → 分業 → 王権の成立という因果関係の典型例です。
  • 1-2 メソポタミア文明 ─ エジプトの「閉鎖的な地形」とメソポタミアの「開放的な地形」の対比は、入試でも頻出です。統一国家の早期成立(エジプト)と都市国家の分立(メソポタミア)という違いに注目しましょう。
  • 1-4 東地中海世界の諸民族 ─ エジプトとメソポタミアの間に位置するシリア・パレスチナ地方では、フェニキア人やヘブライ人が活躍します。ヘブライ人の「出エジプト」はエジプト新王国時代の出来事です。
  • 1-5 オリエントの統一 ─ 末期王朝以降のエジプトは、アッシリア・アケメネス朝ペルシアに征服されます。オリエント統一の過程でエジプトがどう組み込まれたかを学びます。
歴史総合とのつながり

古代エジプト文明の時代は歴史総合の範囲外です。ただし、エジプトの太陽暦がローマのユリウス暦を経て現在のグレゴリオ暦につながっている点は、歴史総合で学ぶ近代世界の暦の標準化と関連しています。

5まとめ

  • ナイル川の定期的な増水がもたらす肥沃な土壌と、砂漠・海に囲まれた閉鎖的な地形がエジプト文明の基盤となった。
  • 前3000年ごろ、メソポタミアより早く統一国家が成立。王はファラオと呼ばれ、生ける神として神権政治を行った。
  • 古王国ではメンフィスを都にクフ王らがピラミッドを建設。中王国ではテーベに都が移り、末期にヒクソスが馬と戦車をもって侵入した。
  • 新王国ではヒクソスを追放してエジプト人による再統一がなされた。アメンホテプ4世(イクナートン)がアトン神を唯一神とする宗教改革を断行したが、王の死後に挫折した。
  • ラメセス2世の治世に繁栄期を迎えた。ヒッタイトとカデシュで戦ったのち、世界最古の現存する国際条約を結んだ。
  • 多神教と来世信仰が特徴で、ミイラ「死者の書」がつくられた。
  • 神聖文字(ヒエログリフ)太陽暦測地術などの文化遺産が生み出された。
この記事を100字で要約すると

ナイル川のめぐみと砂漠・海に囲まれた閉鎖的な地形を背景に、前3000年ごろエジプトに統一国家が成立した。ファラオによる神権政治のもと古王国・中王国・新王国を経て約3000年続き、ピラミッド・ヒエログリフ・太陽暦などの文化遺産を生んだ。

6穴埋め・一問一答

Q1. 古代ギリシアの歴史家(  )は「エジプトはナイルのたまもの」と述べた。

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ヘロドトス。元来はナイル川の氾濫で堆積した土砂が下流域の土地を形成したという意味ですが、後世にはナイル川の恵みを象徴する言葉として知られるようになりました。

Q2. エジプトの王は(  )と呼ばれ、生ける神として神権政治を行った。

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ファラオ。エジプトの王を指す呼称です。ファラオは生ける神として、神官や役人を使って神権政治をおこないました。

Q3. 新王国時代にアトン信仰による宗教改革を行ったファラオは誰か。

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アメンホテプ4世(イクナートン)。神官勢力のはびこるテーベからテル=エル=アマルナに都を移し、アトン神を唯一神とする宗教改革を断行しました。王の死後、改革は挫折し古来のアメン神信仰に復帰しました。

Q4. エジプトの象形文字である神聖文字を何と呼ぶか。

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ヒエログリフ。碑文や墓室・石棺に刻まれた象形文字で、フランスのシャンポリオンがロゼッタ=ストーンのギリシア文字を手がかりに1822年に解読に成功しました。

7アウトプット演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

問1 A 基礎 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。

エジプトでは前3000年ごろに統一国家が成立し、王は( ア )と呼ばれた。( ア )は生ける神であり、神官や役人を使って( イ )をおこなった。ナイル川下流域の( ウ )を都とした古王国では、( エ )王らが巨大なピラミッドを建設した。

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解答

ア:ファラオ イ:神権政治 ウ:メンフィス エ:クフ

解説

エジプトの王はファラオと呼ばれ、生ける神として神官や役人を使って神権政治をおこないました。古王国時代にはメンフィスを都とし、クフ王らが巨大なピラミッドを築かせました。これは神である王の絶大な権力を示しています。

B 標準レベル

問2 B 標準 正誤

エジプト文明に関する次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。

  • (1) エジプトでは太陰暦が用いられ、これがのちにローマのユリウス暦の基礎となった。
  • (2) 中王国時代の末期に諸民族の混成集団であるヒクソスが馬と戦車をもって侵入した。
  • (3) アメンホテプ4世は、従来の多神教を排してアトン信仰を強制し、テル=エル=アマルナに遷都した。
  • (4) ラメセス2世はヒッタイトを滅ぼし、オリエント全域を支配した。
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解答

(1) ×「太陰暦」→「太陽暦」 (2) ○ (3) ○ (4) ×「ヒッタイトを滅ぼし、オリエント全域を支配した」→「ヒッタイトとカデシュで戦ったのち、世界最古の現存する国際条約を結んだ」

解説

(1)について:エジプトで太陰暦とならんで用いられたのは太陽暦(1年365日)であり、これがのちにローマで採用されてユリウス暦となりました。太陽暦と太陰暦の混同は頻出の誤りです。(4)について:ヒッタイトとエジプト新王国はカデシュで戦ったのち、世界最古の現存する国際条約を結びました。ヒッタイトを滅ぼしたのは「海の民」の侵入によるもので、オリエントを最初に統一したのはアッシリアです。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

エジプトで統一国家が長期間維持された理由を、地理的条件と政治体制の両面から60字以内で述べよ。

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解答例

砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形が外敵の侵入を防ぎ、ファラオが神として君臨する神権政治が安定した支配を可能にした。(55字)

解説

エジプトの長期安定の理由は、地理的条件と政治体制の二つの側面から説明する必要があります。地理的条件としては、砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形のため外部勢力の侵入を受けにくかったこと。政治体制としては、ファラオが生ける神として絶大な権威を持ち、神官や役人を使って神権政治により全国を統一的に支配したことです。周辺から遊牧民が移住して民族が興亡を繰り返したメソポタミアの開放的な地形と比較して論じられることが多い論点です。

採点ポイント
  • 「砂漠と海に囲まれた閉鎖的な地形」が外敵の侵入を防いだことが述べられている
  • ファラオによる「神権政治」が安定した支配を支えたことが述べられている
  • メソポタミアとの対比に触れていればなお良い