ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアでは、灌漑農業を基盤に世界最古の都市文明が花開きました。シュメール人の都市国家から始まり、アッカド人による最初の統一、ハンムラビ王の法典による支配へと展開し、やがて周辺民族の侵入によって複雑な国際社会が生まれます。
この記事では、メソポタミア文明の歴史を時系列でたどりながら、楔形文字や六十進法など今日に残る文化遺産も整理します。
メソポタミアとは、ギリシア語で「川の間の土地」を意味します。ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたこの地域は、西アジアの乾燥地帯にありながら、二つの大河がもたらす水の恵みによって豊かな農耕が営まれました。この地域は東と北の山岳地帯からの人々の移住に開かれており、砂漠地帯のオアシスとも隊商交易などで結びついていました。メソポタミアからシリア、パレスチナにつらなる弓型の地形は肥沃な三日月地帯と呼ばれ、小麦やオリーヴの栽培がおこなわれていました。
メソポタミア南部では、川の定期的な増水を利用した灌漑農業が発達しました。前3500年ごろから人口が急激に増加し、神殿を中心に数多くの大村落が成立しました。やがて文字が発明され、銅器・青銅器などの金属器が普及しはじめました。
前3000年ごろには、大村落が都市へと発展し、前2700年ごろまでにウル・ウルク・ラガシュなど、シュメール人(民族系統不明)による都市国家が数多く形成されました。都市は城壁で囲まれ、中心には固有の守護神をまつる神殿がありました。王を中心に、神官・役人・戦士などが政治や経済・軍事の実権を握って人々を支配する階級社会が成立しました。
こうした都市国家には、壮大なジッグラト(聖塔)が建てられました。ジッグラトは階段状の塔で、王や神官は正面と側面から階段をのぼったところにある祭壇で都市の神をまつりました。ウルのジッグラトは特に有名です。
シュメール時代には、車軸やろくろの技術が生まれ、印章の使用も普及しました。都市間の交易もさかんであり、交換手段として銀が用いられました。
都市は領土や交易路をめぐって互いに争い、周辺に住むセム語系の人々の侵攻も受けながら盛衰をくりかえしました。優勢な都市国家の支配層には巨大な富が集まり、壮大な神殿・宮殿・王墓がつくられて、豪華なシュメール文化が栄えました。しかし前24世紀の中ごろ、セム語系のアッカド人がサルゴン1世に率いられてシュメール人の都市国家を征服し、さらに周辺諸地域にも侵攻して広大な地域に覇をふるいました。
①ティグリス川・ユーフラテス川の増水を利用した灌漑農業が発達した
②余剰食料が生まれ、農業以外の職業(神官・職人・商人)に従事する人々が現れた(分業)
③人口が集中し、文字・銅器・青銅器が普及する中で、神殿を中心とした支配体制(神権政治)が成立した
アッカド人はメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一しましたが、その統一国家は前22世紀に崩壊しました。その後、シュメール人の都市国家は独立を回復しました。
前19世紀初めにセム語系のアムル人がバビロン第1王朝をおこし、ハンムラビ王のとき(前18世紀ごろ)に全メソポタミアを支配しました。
王は首都バビロンで神の代理として政治をとりおこない、運河の大工事によって治水・灌漑を進め、またハンムラビ法典を発布して、法にもとづく強力な統治をしきました。
他人の目をつぶしたならば、自分の目をつぶさなければならない。
| シュメール都市国家 | バビロン第1王朝 | |
|---|---|---|
| 時期 | 前3000年〜前24世紀ごろ | 前19世紀初め〜前16世紀ごろ |
| 成立者 | シュメール人(民族系統不明) | アムル人(セム語系) |
| 政治形態 | 各都市ごとの神権政治 | ハンムラビ王による中央集権 |
| 支配範囲 | メソポタミア南部の個別都市 | 全メソポタミア |
| 宗教 | 各都市に固有の守護神 | 神の代理としての王 |
| 法典 | ウルナンム法典(現存最古) | ハンムラビ法典(全282条の集大成) |
| 特徴 | 都市間の覇権争い、統一できず | 法にもとづく統一支配、大規模な灌漑工事 |
①バビロン第1王朝のハンムラビ王が全メソポタミアを支配した
②領内にはさまざまな民族が暮らしており、統一的な法による支配が必要だった
③従来のシュメール法(ウルナンム法典など)を集大成し、法にもとづく強力な統治を実現した
ハンムラビ王の時代に栄えた文明の影響は、周辺の諸民族にもおよびました。
早くから鉄器を使用していたインド=ヨーロッパ語系のヒッタイト人は、前17世紀半ばごろ、アナトリア高原に強力な国家を建設し、メソポタミアに遠征してバビロン第1王朝を滅ぼし、シリアにも進出してエジプトと戦いました。
また、カッシート人はザグロス山脈方面から南メソポタミアに侵入して、バビロン第1王朝滅亡後のバビロニアを支配しました。さらに北メソポタミアにおこったミタンニ王国も西方のシリアへと領土を広げ、ヒッタイトに服属するまで強大な国力を保ちました。
こうしてオリエントでは前15〜前14世紀以降、諸王国が並立する複雑な状況が生まれました。
①馬の家畜化と二輪の軽戦車の開発により、圧倒的な機動力を獲得した
②ヒッタイトはさらにアナトリアの製鉄技術を発展させ、鉄製武器を装備した
③戦車と鉄器による軍事的優位で既存の青銅器文明圏を圧倒し、各地に進出した
シュメール人が創始した楔形文字は、言語の違いをこえて多くの民族に広まり、オリエントの多くの文字の原型となりました。楔形文字は粘土板に刻まれて用いられ、シュメール時代の遺跡からは数十万点もの粘土板が発見されています。多くは会計記録などですが、旧約聖書の「ノアの洪水」の原型となった洪水説話を含む「ギルガメシュ叙事詩」のような文芸作品もありました。
六十進法や太陰暦が使用されるとともに、太陰暦に閏月を設けて実際の季節とのずれを補正した太陰太陽暦も生み出されました。また、天文・暦法・数学・農学などの実用の学問も発達しました。
メソポタミアは多神教の世界でしたが、民族が交替するごとに信仰される最高神もかわりました。
楔形文字の解読は困難をきわめました。シュメール人の文字がセム語系のアッカド人やアッシリア人、インド=ヨーロッパ語系のペルシア人などにも採用されていたため、それぞれの言語ごとに解読を進める必要があったからです。
転機となったのは、イギリスのローリンソン(1810〜95)の功績です。イラン西部のベヒストゥン碑文には、古代ペルシア語・エラム語・バビロニア語(アッカド語)の3種類の楔形文字が刻まれていました。ローリンソンは古代ペルシア語の解読に成功し、これを手がかりにバビロニア語やアッシリア語の楔形文字も解読されていきました。20世紀になって、ようやくシュメール語とシュメール人の存在が確定したのです。
①開放的な地形 ─ 周囲が平原で陸続きのため、さまざまな民族が外部から侵入し、王朝が頻繁に交替した
②灌漑農業 ─ ティグリス川・ユーフラテス川の増水を利用した農耕が文明の基盤
③多神教 ─ メソポタミアは多神教の世界で、民族が交替するごとに信仰される最高神もかわった
④楔形文字 ─ 言語の違いを超えて多くの民族に採用され、オリエント世界の共通文字となった
⑤六十進法 ─ 時間(60分・60秒)や角度(360度)の体系として今日まで受け継がれている
メソポタミア文明は、開放的な地形ゆえにさまざまな民族が入れ替わりながら発展しました。この特徴は、砂漠に囲まれた閉鎖的な地形のエジプト文明とは対照的です。また、楔形文字や六十進法など、メソポタミアで生まれた文化は言語の違いをこえて多くの民族に広まり、オリエント世界全体に大きな影響を与えました。
ハンムラビ法典に見られる「法典による統治」という考え方は、近現代の「法の支配」の原型とも言えます。歴史総合では、市民革命における「法の前の平等」や憲法の制定を学びますが、法にもとづく統治という発想のルーツは古代メソポタミアにまで遡ることができるのです。もっとも、ハンムラビ法典の身分による刑罰の差は、近代的な「法の前の平等」とは大きく異なる点に注意しましょう。
メソポタミアではシュメール人の都市国家に始まり、アッカド人の統一、ハンムラビ王の法典による支配を経て、ヒッタイトら周辺民族の侵入で諸王国並立の時代となった。楔形文字・六十進法など今日に残る文化遺産も生まれた。
Q1. 民族系統不明の( )人がメソポタミア南部に都市国家を建設した。
Q2. メソポタミアの都市に建てられた階段状の塔を何というか。
Q3. 前18世紀に全メソポタミアを支配し法典を発布した王は誰か。
Q4. ヒッタイトが早くから使用していたことで知られる金属器は何か。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。
メソポタミア南部では前3000年ごろ、民族系統不明の( ア )人が( イ )やウルクなどの都市国家を建設した。前24世紀にはセム語系の( ウ )人がメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一した。その後、前19世紀にアムル人がバビロン第1王朝をおこし、前18世紀の( エ )王のときに全メソポタミアが支配された。
ア:シュメール イ:ウル ウ:アッカド エ:ハンムラビ
メソポタミア文明の歴史は、シュメール人の都市国家 → アッカド人の最初の統一 → バビロン第1王朝(アムル人)→ ハンムラビ王の全メソポタミア統一、という流れで展開します。シュメール人は楔形文字を創始した民族ですが、その言語系統は今なお不明です。アッカド人はセム語系の民族で、サルゴン1世に率いられてメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一しました。
ハンムラビ法典に関する次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。
(1) ○ (2) ×「現存する世界最古の法典」→「従来のシュメール法を集大成した法典」(現存最古の法典はウルナンム法典) (3) ○ (4) ×「身分にかかわらず同一の刑罰」→「被害者の身分によって刑罰が異なった」
(2)について:ハンムラビ法典は有名な法典ですが、現存最古の法典ではありません。それ以前のウル第3王朝のウルナンム法典が現存最古とされています。ハンムラビ法典は従来のシュメール法を集大成したものです。(4)について:ハンムラビ法典では、自由民どうしの傷害には同害復讐が適用されましたが、奴隷に対する加害は銀の支払いで済みました。身分による刑罰の差がある点が特徴です。
メソポタミアが「開放的な地形」であったことが歴史に与えた影響を、60字以内で述べよ。
周囲が平原で外部勢力が侵入しやすく、さまざまな民族が興亡を繰り返して多様な文化が融合した。(44字)
メソポタミアの「開放的な地形」とは、周囲がほぼ陸続きの平原であり、東のザグロス山脈や北方の高原からも民族が侵入しやすいことを意味します。このため、シュメール人 → アッカド人 → アムル人 → ヒッタイト → カッシートと、さまざまな民族が次々と台頭しました。これは砂漠に囲まれた「閉鎖的な地形」のエジプトと対比される重要なポイントです。入試では「メソポタミアとエジプトの地形の違いが歴史にどう影響したか」という形で出題されることが多いです。