約1万年前、人類は狩りや採集に頼る暮らしから、自ら食料をつくり出す暮らしへと大きく転換しました。やがて大河のそばに人々が集まり、都市が生まれ、文字が発明され、王が現れます。
この記事では、文明誕生までの流れを因果関係に沿ってたどり、各文明の特徴を比較しながら整理します。
約1万年前に氷期が終わると地球は温暖化し、自然環境が大きく変化したため、人類は地域ごとの多様な環境に適応していきました。そのなかでもっとも重要だったのは、約1万年前の西アジア、とりわけメソポタミア北部からアナトリア高原にかけての地域で、麦の栽培が開始されたことです。この地域の周辺には蹄類の動物が生育しており、羊は早くから家畜化され、遅れて牛・豚などの飼育も始まりました。これが農耕・牧畜の開始です。これにより人類は積極的に自然環境を改変する能力を身につけ、食料を生産する生活を営みはじめました。
なお、打製石器から磨製石器への移行期は中石器時代と呼ばれ、細石器がさかんに使われました。石斧が発明されて森林の伐採がたやすくなり、人々は山地の洞穴から離れて平地に小屋を建てて住むようになっていきます。
西アジア以外でもそれぞれの土地の気候に応じた農耕が始まりました。東アジアでは、黄河流域で約8000年前にアワとキビが、長江流域では約9000年前に稲が栽培されるようになりました。中央アメリカでは約9000年前にカボチャなどが栽培され、約7000年前にはトウモロコシも大規模に栽培されるようになりました。
農耕・牧畜が始まると、人類は集落に住み、織物や土器をつくり、磨製石器を用いるようになりました。新石器時代の始まりです。このような初期農耕民の新石器文化は、アジア・ヨーロッパ・アフリカの各大陸に広がりました。人類はその歴史の99%の時期を狩猟・採集・漁撈にたよってきましたが、この時代に獲得経済から農耕・牧畜による生産経済に移るという重大な変革をとげたのです。この変革は新石器革命(食料生産革命)とも呼ばれます。
その結果、人口は飛躍的に増え、文明誕生の基礎が築かれました。定住生活によって余剰食料が生まれると、すべての人が農作業に従事する必要がなくなります。すると、土器をつくる職人、交易を行う商人、祭祀を司る神官など、さまざまな専門的な仕事(分業)が生まれました。人口が増え、神殿や王宮を中心にして農産物を蓄積する都市がつくられるようになったのです。
最終氷期が終わって気候が温暖化すると、西アジアの「肥沃な三日月地帯」では野生の麦が自生していました。この地域には野生の羊や山羊も生息しており、栽培・家畜化に適した動植物が揃っていたのです。考古学では、ヨルダンのイェリコやトルコのチャタル=ヒュユクなどが最初期の農耕集落として知られています。つまり、温暖な気候・野生の穀物・家畜化できる動物という3つの条件が揃った西アジアが、農耕の出発点になりました。
①農耕の開始(麦・米などの栽培)
②牧畜の開始(羊・山羊・牛・豚などの飼育)
③磨製石器の使用(打製石器に代わる精密な石器)
④土器の製作(食料の貯蔵・煮炊きが可能に)
⑤定住生活の開始(移動生活から集落形成へ)
世界で最初に文明が成立した地域には、共通する地理的な特徴があります。いずれも大河の流域に位置していたということです。ナイル川、ティグリス川・ユーフラテス川、インダス川、黄河・長江などの流域に文明が誕生しました。やや遅れてアメリカ大陸にも独自に文明が形成されました。
初期の農耕は雨水だけに頼り、肥料も用いなかったため収穫は少なく、耕地も替えていかなくてはなりませんでした。しかし、メソポタミアをはじめとする地域で灌漑農業が始まると、食料生産が発達してより多くの人口をやしなうことが可能になりました。灌漑施設の維持のためには組織化された集団とその指導者が必要となり、神意を占う神官や農産物の管理・分配を行う王があらわれて、多数の人間を統一的に支配する国家という仕組みが生まれました。
こうした文明においては、宗教・交易の中心である都市が生まれ、都市生活を支えるために遠隔地から素材を輸入する交易が発達しました。支配する人とされる人とのあいだに階級の差が生じました。また、武器や工具などの金属器がつくられ、多くの文明では政治や商業の記録を残すための文字も発明されました。さらにそれぞれの文明は、その地域の自然環境によって様々な特色をみせました。
たとえばエジプトは、ナイル川の定期的な増水がもたらす肥沃な土壌に支えられていたことから、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスによって「エジプトはナイルの賜物」と表現されました。この言葉はもともとナイル川の氾濫で堆積した土砂が下流域の土地を形成したという意味でしたが、のちにナイル川の恵みを象徴する言葉として広く知られるようになりました。以下の表で、おもな古代文明の特徴を比較してみましょう。
| 文明 | 河川 | 成立時期 | 文字 | 主な特徴 |
|---|---|---|---|---|
| メソポタミア文明 | ティグリス川・ユーフラテス川 | 前3500年ごろ | 楔形文字 | 都市国家の分立、開放的な地形で外部勢力の侵入が多い |
| エジプト文明 | ナイル川 | 前3000年ごろ | 神聖文字(ヒエログリフ) | 砂漠に囲まれた閉鎖的地形、統一王朝が早期に成立 |
| インダス文明 | インダス川 | 前2600年ごろ | インダス文字(未解読) | 計画的な都市設計(モヘンジョ=ダロ)、前1800年ごろ衰退 |
| 中国文明 | 黄河(のちに長江流域も) | 前1600年ごろ(殷) | 甲骨文字 | 神権政治(占い)、青銅器文化の発達。長江流域では約9000年前から稲作が始まったとされる |
文明の成立条件は一般に次の4つとされています。
| メソポタミア | エジプト | インダス | 中国 | |
|---|---|---|---|---|
| 地域 | 西アジア(現在のイラク) | 北アフリカ(現在のエジプト) | 南アジア(現在のパキスタン) | 東アジア(現在の中国) |
| 河川 | ティグリス川・ユーフラテス川 | ナイル川 | インダス川 | 黄河(のちに長江も) |
| 成立時期 | 前3500年ごろ | 前3000年ごろ | 前2600年ごろ | 前1600年ごろ(殷) |
| 文字 | 楔形文字 | 神聖文字(ヒエログリフ) | インダス文字(未解読) | 甲骨文字 |
| 暦法 | 太陰暦 → 太陰太陽暦 | 太陽暦(1年365日) | 不明 | 太陰太陽暦 |
| 宗教・信仰 | 多神教、占星術 | 多神教、来世信仰 | 沐浴の習慣(宗教的?) | 祖先崇拝、占い(神権政治) |
| 政治形態 | 都市国家の分立 | 統一王国(ファラオ) | 不明(強力な王権の痕跡が乏しい) | 王朝(殷 → 周) |
| 代表的建築物 | ジッグラト(聖塔) | ピラミッド、神殿 | 大浴場、穀物倉庫 | 宮殿(殷墟) |
| 金属器 | 青銅器 | 青銅器 | 青銅器 | 青銅器(精緻な祭器) |
| 交易 | 広域交易(ペルシア湾経由) | レバノン杉・金の輸入 | メソポタミアとの海上交易 | 周辺地域との交易は限定的 |
| 地理的特性 | 開放的(平原、外部勢力の侵入が多い) | 閉鎖的(砂漠に囲まれ安定) | 西方に開けた回廊 | 東方に孤立(独自の発展) |
ただし、すべての地域で同じように都市が発達したり文字が発明されたりしたわけではありません。環境に応じて狩猟・採集や遊牧を生業とする集団も存在しました。農耕を軸としない社会が存在したことも忘れてはなりません。多様な社会の成り立ちを把握することが、豊かな歴史観を築くうえで重要です。
①大河の定期的な氾濫が上流から肥沃な土壌(沖積土)を運んでくる
②豊かな土地で大規模な農耕が可能になり、大量の食料を安定的に確保できた
③灌漑・治水のための大規模工事が必要となり、多くの人々を組織的に動員する仕組み(王権・国家)が生まれた
文明の成立要件のなかでも、文字の発明はとりわけ重要な意味を持ちます。文字の使用によって、人類は過去の記録を参考に将来に備え、複雑で抽象的な思考をすることもできるようになりました。文字記録が存在する時代を歴史時代とし、それ以前を先史時代として区分します。ここから人類史は歴史時代に入っていったのです。
それぞれの文明が生み出した文字を見てみましょう。メソポタミアでは、粘土板の上に葦のペン(尖筆)で刻んだ楔形文字がつくられました。楔形文字はオリエントの多くの文字の原型となりました。エジプトでは、神殿や墓の壁に彫られた神聖文字(ヒエログリフ)が使われました。中国では、甲骨文字が殷の時代(前16世紀ごろ)に出現しました。そしてインダス文明にも独自のインダス文字がありましたが、こちらは現在に至るまで解読されていません。
文字はもともと、祭祀や財政・会計事務など実務的な目的のために発達しました。しかしやがて、法律の制定、宗教的な教えの記録、文学作品の創作など、社会のあらゆる分野に広がっていきました。
大麦 30グル、エンリル神殿の倉庫より。書記ルガル=エメシュが記す。
大河のほとりに暮らす人々にとって、川がいつ氾濫しいつ水が引くかを知ることは、生死に関わる問題でした。種まきの時期を間違えれば収穫はゼロになります。この切実な必要性から、人々は空を見上げ、星や太陽・月の動きを観察するようになりました。こうして天文学と暦法が発達したのです。
エジプトでは、ナイル川の氾濫が毎年ほぼ同じ時期に起こることに注目し、太陽暦(1年を365日とする暦)が発明されました。一方、メソポタミアでは月の満ち欠けにもとづく太陰暦が使用されました。太陰暦では1年が354日となって実際の季節とのずれが生じてしまうため、閏月を設けてこれを補正した太陰太陽暦も生み出されました。
さらにメソポタミアでは六十進法が発達しました。現在の1時間=60分、1分=60秒、円の360度という仕組みは、メソポタミアの数学に起源を持っています。
エジプトのヒエログリフはロゼッタ=ストーンの発見(1799年)によって解読の道が開かれましたが、インダス文字は今なお謎のままです。理由は主に3つあります。第一に、発見された文字資料のほとんどが印章に刻まれた極めて短い文で、長文の手がかりがありません。第二に、ロゼッタ=ストーンのような「二言語並記」の資料が存在しません。第三に、インダス文字がどの言語を表しているのかすら特定できていないのです。
①余剰食料の管理・税の徴収など行政上の記録の必要性
②交易における取引記録の必要性
③宗教的な儀式や王の命令を正確に伝える必要性
結果として、法律の成文化(ハンムラビ法典など)や文学・学問の蓄積が可能になった
①農耕において、種まきや収穫の適期を正確に知る必要があった
②大河の氾濫時期を予測して、灌漑や治水の準備をする必要があった
③結果として天文観測が体系化され、太陽暦(エジプト)・太陰暦(メソポタミア)が成立した
ここまで、農耕の開始から文字・暦法の発明まで、文明誕生の流れを見てきました。各文明はそれぞれ独立して発展した面もありますが、完全に孤立していたわけではありません。メソポタミアとエジプトは交易を通じて早くから接触があり、メソポタミアとインダスの間にもペルシア湾を経由した海上交易の痕跡が確認されています。次の記事以降で、それぞれの文明の詳細を学んでいきます。
この時代は「歴史総合」の範囲には含まれませんが、約1万年前の農耕革命は、歴史総合で学ぶ18世紀の産業革命と対比できます。農耕革命が食料生産を根本から変えたように、産業革命はモノの生産を根本から変えました。いずれも技術革新が社会構造を一変させた点で共通しています。
約1万年前に氷期が終わると、西アジアで農耕・牧畜が始まり(新石器時代)、人口が飛躍的に増えて文明誕生の基礎が築かれた。大河流域では灌漑農業により国家が成立し、都市・文字・金属器・階級が生まれ、文明が誕生した。
Q1. 磨製石器の使用・土器の製作・農耕牧畜が始まった時代を何と呼ぶか。
Q2. 四大文明のうち、ティグリス川・ユーフラテス川の流域に成立した文明は何か。
Q3. 古代エジプトで、ナイル川の氾濫時期を予測するために発明された暦を何というか。
Q4. メソポタミアで発達した、60を基数とする数の体系を何というか。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。
世界で最初に文明が成立した地域は、いずれも大きな河川の流域であった。ティグリス川・ユーフラテス川の流域には( ア )文明が、ナイル川の流域には( イ )文明が、インダス川の流域には( ウ )文明が、黄河の流域には( エ )文明がそれぞれ成立した。
ア:メソポタミア イ:エジプト ウ:インダス エ:中国
四大文明の名称と河川の対応は最も基本的な知識です。メソポタミアはギリシア語で「川の間の土地」を意味し、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域を指します。エジプト文明はナイル川の定期的な氾濫がもたらす肥沃な土壌に支えられました。インダス文明はインダス川流域に広がり、モヘンジョ=ダロやハラッパーなどの計画都市が特徴です。中国文明は黄河流域で殷(商)の時代に甲骨文字が使用されました。
次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。
(1) ○ (2) ×「パピルスの上に」→「粘土板の上に」 (3) ○ (4) ○
楔形文字は、湿った粘土板の上に葦の茎を削った尖筆で押しつけて記されました。パピルスはエジプトで使われた書写材料であり、神聖文字(ヒエログリフ)などを記すのに用いられました。素材と文字体系の対応を正確に区別することが大切です。
大河流域において古代文明が発展した理由を、「灌漑」「余剰食料」「王権」の3つの語句をすべて用いて、60字以内で説明せよ。
大河の灌漑農業で余剰食料が生まれ分業が進み、灌漑工事を統率する必要から王権が成立して文明が発展した。(49字)
この問題では、大河流域で文明が生まれた因果関係を論理的に説明することが求められています。ポイントは3つの指定語句を因果の連鎖としてつなげることです。灌漑農業が余剰食料をもたらしたこと、余剰食料が社会の分業を可能にしたこと、大規模な灌漑工事の組織化が王権の成立につながったこと、この3段階の因果関係を簡潔にまとめましょう。