第1章 オリエントと地中海世界

メソポタミア文明
─ 都市国家から統一帝国へ

ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアでは、灌漑農業を基盤に世界最古の都市文明が花開きました。シュメール人の都市国家から始まり、アッカド人による最初の統一、ハンムラビ王の法典による支配へと展開し、やがて周辺民族の侵入によって複雑な国際社会が生まれます。
この記事では、メソポタミア文明の歴史を時系列でたどりながら、楔形文字や六十進法など今日に残る文化遺産も整理します。

1シュメール人の都市国家 ─ 最初の都市文明

メソポタミアの歴史

シュメール都市国家
アッカド統一
バビロン第1王朝
ヒッタイト・カッシート・ミタンニ並立
前3000年前24C前19C前16C前12C

メソポタミアとは、ギリシア語で「川の間の土地」を意味します。ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたこの地域は、西アジアの乾燥地帯にありながら、二つの大河がもたらす水の恵みによって豊かな農耕が営まれました。この地域は東と北の山岳地帯からの人々の移住に開かれており、砂漠地帯のオアシスとも隊商交易などで結びついていました。メソポタミアからシリア、パレスチナにつらなる弓型の地形は肥沃な三日月地帯と呼ばれ、小麦やオリーヴの栽培がおこなわれていました。

メソポタミア南部では、川の定期的な増水を利用した灌漑農業が発達しました。前3500年ごろから人口が急激に増加し、神殿を中心に数多くの大村落が成立しました。やがて文字が発明され、銅器・青銅器などの金属器が普及しはじめました。

前3000年ごろには、大村落が都市へと発展し、前2700年ごろまでにウルウルク・ラガシュなど、シュメール人(民族系統不明)による都市国家が数多く形成されました。都市は城壁で囲まれ、中心には固有の守護神をまつる神殿がありました。王を中心に、神官・役人・戦士などが政治や経済・軍事の実権を握って人々を支配する階級社会が成立しました。

こうした都市国家には、壮大なジッグラト(聖塔)が建てられました。ジッグラトは階段状の塔で、王や神官は正面と側面から階段をのぼったところにある祭壇で都市の神をまつりました。ウルのジッグラトは特に有名です。

シュメール時代には、車軸ろくろの技術が生まれ、印章の使用も普及しました。都市間の交易もさかんであり、交換手段としてが用いられました。

都市は領土や交易路をめぐって互いに争い、周辺に住むセム語系の人々の侵攻も受けながら盛衰をくりかえしました。優勢な都市国家の支配層には巨大な富が集まり、壮大な神殿・宮殿・王墓がつくられて、豪華なシュメール文化が栄えました。しかし前24世紀の中ごろ、セム語系のアッカド人サルゴン1世に率いられてシュメール人の都市国家を征服し、さらに周辺諸地域にも侵攻して広大な地域に覇をふるいました。

メソポタミアで都市国家が生まれた背景
ティグリス川・ユーフラテス川の定期的な増水が肥沃な土壌をもたらす
増水を利用した灌漑農業が発達し、大量の食料を安定的に生産
余剰食料が生まれ、農業に従事しない神官・職人・商人が出現(分業
人口が集中し、文字が発明され、銅器・青銅器が普及
神殿を中心に支配階級が形成され、城壁で囲まれた都市国家が成立
ここが問われる: メソポタミアで都市国家が成立した理由 理由・背景

①ティグリス川・ユーフラテス川の増水を利用した灌漑農業が発達した
②余剰食料が生まれ、農業以外の職業(神官・職人・商人)に従事する人々が現れた(分業)
③人口が集中し、文字・銅器・青銅器が普及する中で、神殿を中心とした支配体制(神権政治)が成立した

2メソポタミアの統一 ─ アッカドからバビロンへ

アッカド人による最初の統一

アッカド人はメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一しましたが、その統一国家は前22世紀に崩壊しました。その後、シュメール人の都市国家は独立を回復しました。

バビロン第1王朝とハンムラビ王

前19世紀初めにセム語系のアムル人バビロン第1王朝をおこし、ハンムラビ王のとき(前18世紀ごろ)に全メソポタミアを支配しました。

王は首都バビロンで神の代理として政治をとりおこない、運河の大工事によって治水・灌漑を進め、またハンムラビ法典を発布して、法にもとづく強力な統治をしきました。

史料:ハンムラビ法典 第196条
他人の目をつぶしたならば、自分の目をつぶさなければならない。
中田一郎訳『ハンムラビ「法典」』より(一部改変)。スサ(イラン)で発見された高さ2.25mの石碑に刻まれている。碑の上部には玉座に座る太陽神を崇拝するハンムラビ王の浮き彫りがある。
ポイント:ハンムラビ法典の特徴
  • 復讐法の原則 ─ その刑法は「目には目を、歯には歯を」の復讐法の原則に立っていました。
  • 身分による刑罰の差 ─ 刑罰は被害者の身分によって違っていました。自由民どうしの場合は同害復讐が適用されますが、奴隷に対する加害は銀の支払いで済みました。
  • 全282条 ─ 刑法・商法・民法など幅広い内容を含み、前文と後文を備えた体系的な法典です。
  • 集大成としての性格 ─ ハンムラビ法典は最古の法典ではなく、従来のシュメール法(ウルナンム法典など)を集大成したものです。

ここが問われる: シュメール都市国家とバビロン第1王朝の比較 比較
シュメール都市国家バビロン第1王朝
時期前3000年〜前24世紀ごろ前19世紀初め〜前16世紀ごろ
成立者シュメール人(民族系統不明)アムル人(セム語系)
政治形態各都市ごとの神権政治ハンムラビ王による中央集権
支配範囲メソポタミア南部の個別都市全メソポタミア
宗教各都市に固有の守護神神の代理としての王
法典ウルナンム法典(現存最古)ハンムラビ法典(全282条の集大成)
特徴都市間の覇権争い、統一できず法にもとづく統一支配、大規模な灌漑工事
ここが問われる: ハンムラビ法典が制定された背景と目的 理由・背景

①バビロン第1王朝のハンムラビ王が全メソポタミアを支配した
②領内にはさまざまな民族が暮らしており、統一的な法による支配が必要だった
③従来のシュメール法(ウルナンム法典など)を集大成し、法にもとづく強力な統治を実現した

3周辺民族の侵入 ─ ヒッタイト・カッシート・ミタンニ

ハンムラビ王の時代に栄えた文明の影響は、周辺の諸民族にもおよびました。

ヒッタイトの台頭

早くから鉄器を使用していたインド=ヨーロッパ語系のヒッタイト人は、前17世紀半ばごろ、アナトリア高原に強力な国家を建設し、メソポタミアに遠征してバビロン第1王朝を滅ぼし、シリアにも進出してエジプトと戦いました。

カッシートとミタンニ

また、カッシート人はザグロス山脈方面から南メソポタミアに侵入して、バビロン第1王朝滅亡後のバビロニアを支配しました。さらに北メソポタミアにおこったミタンニ王国も西方のシリアへと領土を広げ、ヒッタイトに服属するまで強大な国力を保ちました。

こうしてオリエントでは前15〜前14世紀以降、諸王国が並立する複雑な状況が生まれました。

インド=ヨーロッパ語系民族がオリエントに進出できた理由
中央アジア・南ロシアの草原地帯で馬の家畜化が進む
馬に引かせる二輪の軽戦車を開発 ─ 圧倒的な機動力を獲得
ヒッタイトはさらにアナトリアの製鉄技術を発展させ、鉄製武器を装備
戦車と鉄器の軍事力で既存の青銅器文明圏を圧倒し、オリエント各地に進出
ここが問われる: インド=ヨーロッパ語系民族がオリエントに進出できた理由 理由・背景

①馬の家畜化と二輪の軽戦車の開発により、圧倒的な機動力を獲得した
②ヒッタイトはさらにアナトリアの製鉄技術を発展させ、鉄製武器を装備した
③戦車と鉄器による軍事的優位で既存の青銅器文明圏を圧倒し、各地に進出した

4メソポタミアの文化遺産 ─ 今に生きる古代の知恵

楔形文字

シュメール人が創始した楔形文字は、言語の違いをこえて多くの民族に広まり、オリエントの多くの文字の原型となりました。楔形文字は粘土板に刻まれて用いられ、シュメール時代の遺跡からは数十万点もの粘土板が発見されています。多くは会計記録などですが、旧約聖書の「ノアの洪水」の原型となった洪水説話を含む「ギルガメシュ叙事詩」のような文芸作品もありました。

六十進法と暦法

六十進法太陰暦が使用されるとともに、太陰暦に閏月を設けて実際の季節とのずれを補正した太陰太陽暦も生み出されました。また、天文・暦法・数学・農学などの実用の学問も発達しました。

メソポタミアの宗教

メソポタミアは多神教の世界でしたが、民族が交替するごとに信仰される最高神もかわりました。

発展:楔形文字の解読 ─ ローリンソンとベヒストゥン碑文

楔形文字の解読は困難をきわめました。シュメール人の文字がセム語系のアッカド人やアッシリア人、インド=ヨーロッパ語系のペルシア人などにも採用されていたため、それぞれの言語ごとに解読を進める必要があったからです。

転機となったのは、イギリスのローリンソン(1810〜95)の功績です。イラン西部のベヒストゥン碑文には、古代ペルシア語・エラム語・バビロニア語(アッカド語)の3種類の楔形文字が刻まれていました。ローリンソンは古代ペルシア語の解読に成功し、これを手がかりにバビロニア語やアッシリア語の楔形文字も解読されていきました。20世紀になって、ようやくシュメール語とシュメール人の存在が確定したのです。

ここが問われる: メソポタミア文明を特徴づける要素 内容・特徴

開放的な地形 ─ 周囲が平原で陸続きのため、さまざまな民族が外部から侵入し、王朝が頻繁に交替した
灌漑農業 ─ ティグリス川・ユーフラテス川の増水を利用した農耕が文明の基盤
多神教 ─ メソポタミアは多神教の世界で、民族が交替するごとに信仰される最高神もかわった
楔形文字 ─ 言語の違いを超えて多くの民族に採用され、オリエント世界の共通文字となった
六十進法 ─ 時間(60分・60秒)や角度(360度)の体系として今日まで受け継がれている

5俯瞰する ─ この記事のつながり

メソポタミア文明は、開放的な地形ゆえにさまざまな民族が入れ替わりながら発展しました。この特徴は、砂漠に囲まれた閉鎖的な地形のエジプト文明とは対照的です。また、楔形文字や六十進法など、メソポタミアで生まれた文化は言語の違いをこえて多くの民族に広まり、オリエント世界全体に大きな影響を与えました。

この記事と他の章のつながり

  • 1-1 文明の誕生 ─ メソポタミアは四大文明の一つとして、農耕革命から都市文明への発展の典型例です。灌漑・余剰食料・分業・王権の因果関係を前の記事で学びました。
  • 1-3 エジプト文明 ─ メソポタミアの「開放的な地形」とエジプトの「閉鎖的な地形」の対比は、入試でも頻出です。都市国家の分立(メソポタミア)と統一王朝の早期成立(エジプト)という違いに注目しましょう。
  • 1-4 東地中海の諸民族 ─ メソポタミアとエジプトの間に位置するシリア・パレスチナ地方では、フェニキア人やヘブライ人が活躍します。ハンムラビ法典と「モーセの律法」の対比も重要です。
  • 1-5 オリエントの統一 ─ メソポタミアの諸王国並立は、やがてアッシリアによるオリエント初の統一へとつながります。メソポタミアの開放的地形が、より大きな統一帝国の出現を促しました。
歴史総合とのつながり

ハンムラビ法典に見られる「法典による統治」という考え方は、近現代の「法の支配」の原型とも言えます。歴史総合では、市民革命における「法の前の平等」や憲法の制定を学びますが、法にもとづく統治という発想のルーツは古代メソポタミアにまで遡ることができるのです。もっとも、ハンムラビ法典の身分による刑罰の差は、近代的な「法の前の平等」とは大きく異なる点に注意しましょう。

6まとめ

  • 灌漑農業の発達したメソポタミア南部で、前3000年ごろからシュメール人(民族系統不明)の都市国家が成立した。
  • 都市国家ではジッグラト(聖塔)を中心とした神権政治が行われ、都市間で覇権を争った。
  • 前24世紀の中ごろ、セム語系のアッカド人サルゴン1世に率いられてメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一した。
  • 前19世紀にアムル人がバビロン第1王朝をおこし、ハンムラビ王(前18世紀)が全メソポタミアを支配しハンムラビ法典を発布した。
  • インド=ヨーロッパ語系のヒッタイトが鉄器・戦車でバビロン第1王朝を滅ぼし、カッシートミタンニとともに諸王国並立の時代が生まれた。
  • シュメール人が創始した楔形文字は言語を超えて多くの民族に使用され、ギルガメシュ叙事詩などの文芸作品も生まれた。
  • 六十進法(60分・60秒・360度)や太陰暦太陰太陽暦など、今日に受け継がれる文化遺産が数多く生み出された。
この記事を100字で要約すると

メソポタミアではシュメール人の都市国家に始まり、アッカド人の統一、ハンムラビ王の法典による支配を経て、ヒッタイトら周辺民族の侵入で諸王国並立の時代となった。楔形文字・六十進法など今日に残る文化遺産も生まれた。

7穴埋め・一問一答

Q1. 民族系統不明の(  )人がメソポタミア南部に都市国家を建設した。

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シュメール人。ウル・ウルク・ラガシュなどの都市国家を建設し、楔形文字を創始しました。言語系統は現在も不明です。

Q2. メソポタミアの都市に建てられた階段状の塔を何というか。

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ジッグラト(聖塔)。頂上に守護神をまつる祭壇があり、王や神官が祭儀を行いました。ウルのジッグラトが特に有名です。

Q3. 前18世紀に全メソポタミアを支配し法典を発布した王は誰か。

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ハンムラビ王。バビロン第1王朝の第6代王で、全282条のハンムラビ法典を発布しました。復讐法の原則と身分による刑罰の差が特徴です。

Q4. ヒッタイトが早くから使用していたことで知られる金属器は何か。

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鉄器。ヒッタイトはアナトリアの製鉄技術を発展させ、鉄製武器と馬に引かせた戦車で強大な軍事力を誇りました。

8アウトプット演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

問1 A 基礎 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。

メソポタミア南部では前3000年ごろ、民族系統不明の( ア )人が( イ )やウルクなどの都市国家を建設した。前24世紀にはセム語系の( ウ )人がメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一した。その後、前19世紀にアムル人がバビロン第1王朝をおこし、前18世紀の( エ )王のときに全メソポタミアが支配された。

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解答

ア:シュメール イ:ウル ウ:アッカド エ:ハンムラビ

解説

メソポタミア文明の歴史は、シュメール人の都市国家 → アッカド人の最初の統一 → バビロン第1王朝(アムル人)→ ハンムラビ王の全メソポタミア統一、という流れで展開します。シュメール人は楔形文字を創始した民族ですが、その言語系統は今なお不明です。アッカド人はセム語系の民族で、サルゴン1世に率いられてメソポタミア南部の都市国家をはじめて統一しました。

B 標準レベル

問2 B 標準 正誤

ハンムラビ法典に関する次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。

  • (1) ハンムラビ法典は全282条からなり、刑法だけでなく商法・民法にあたる内容も含んでいる。
  • (2) ハンムラビ法典は現存する世界最古の法典である。
  • (3) ハンムラビ法典の刑法には「目には目を、歯には歯を」の復讐法(同害復讐)の原則が見られる。
  • (4) ハンムラビ法典では、被害者の身分にかかわらず同一の刑罰が科された。
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解答

(1) ○ (2) ×「現存する世界最古の法典」→「従来のシュメール法を集大成した法典」(現存最古の法典はウルナンム法典) (3) ○ (4) ×「身分にかかわらず同一の刑罰」→「被害者の身分によって刑罰が異なった」

解説

(2)について:ハンムラビ法典は有名な法典ですが、現存最古の法典ではありません。それ以前のウル第3王朝のウルナンム法典が現存最古とされています。ハンムラビ法典は従来のシュメール法を集大成したものです。(4)について:ハンムラビ法典では、自由民どうしの傷害には同害復讐が適用されましたが、奴隷に対する加害は銀の支払いで済みました。身分による刑罰の差がある点が特徴です。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

メソポタミアが「開放的な地形」であったことが歴史に与えた影響を、60字以内で述べよ。

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解答例

周囲が平原で外部勢力が侵入しやすく、さまざまな民族が興亡を繰り返して多様な文化が融合した。(44字)

解説

メソポタミアの「開放的な地形」とは、周囲がほぼ陸続きの平原であり、東のザグロス山脈や北方の高原からも民族が侵入しやすいことを意味します。このため、シュメール人 → アッカド人 → アムル人 → ヒッタイト → カッシートと、さまざまな民族が次々と台頭しました。これは砂漠に囲まれた「閉鎖的な地形」のエジプトと対比される重要なポイントです。入試では「メソポタミアとエジプトの地形の違いが歴史にどう影響したか」という形で出題されることが多いです。

採点ポイント
  • 「開放的な地形」が外部勢力の侵入を容易にしたことが述べられている
  • さまざまな民族の興亡・交替が示されている
  • 文化の多様性や融合への言及があればなお良い