中世ヨーロッパでは、キリスト教の枠組みのなかで独自の知的・芸術的文化が花開きました。
信仰と理性の調和をめざしたスコラ学、ヨーロッパ各地に誕生した大学、天を突くゴシック大聖堂、そしてイスラーム世界を経由した古代ギリシアの学問の再発見。
この記事では、中世西ヨーロッパの文化を多面的に学びます。
中世ヨーロッパでは、神学が最高の学問とされ、哲学や自然科学はその下におかれていました。教会の権威を理論的に確立するために、信仰を論理的に体系化しようとするスコラ学が生まれました。スコラ学は教会付属の学校(スコラ)を拠点に発展した中世西ヨーロッパに特有の学問で、キリスト教の信仰と、古代ギリシア以来の理性(哲学)をどのように調和させるかが最大の課題でした。
スコラ学の基盤には、12世紀以降にビザンツ帝国やイスラーム圏からもたらされ、アラビア語やギリシア語からラテン語に翻訳されたアリストテレスの哲学がありました。スコラ学はアリストテレス哲学の影響を受けて壮大な体系となりました。
スコラ学を大成したのが、13世紀のトマス=アクィナスです。彼は主著『神学大全』のなかで、アリストテレスの哲学を用いてキリスト教の教義を体系的に論証しました。トマス=アクィナスにより大成されたスコラ学は、教会の理論的支柱となりました。
スコラ学のなかで大きな論争となったのが普遍論争です。これは「普遍」(たとえば「人間」という概念そのもの)は実在するのか、それとも単なる名前にすぎないのかという哲学上の問題です。
実在論は、普遍は個々の事物とは別に実在すると考える立場です。代表的な論者はアンセルムスです。これに対して唯名論は、普遍は個々の事物につけられた名前(名称)にすぎないと考える立場で、人間の認識を重視したアベラールや、14世紀のウィリアム=オブ=オッカムが代表的な論者です。
とくにウィリアム=オブ=オッカムは近代合理思想の基礎を築いたとされます。唯名論は「個々の具体的な事物こそが実在する」と考えるため、のちの経験的・実証的な学問の発展につながる思想的基盤を提供しました。なお、オッカムの唯名論は教皇を頂点とするスコラ学の体系的権威と対立するとして、教会から異端視され、オッカムはアヴィニョンの教皇庁に召喚されて裁判にかけられました。このように、中世の知的探求が教会権威と衝突することもありました。
①スコラ学:教会の権威の理論的確立のため、信仰を論理的に体系化しようとした中世西ヨーロッパ特有の学問
②大成者:トマス=アクィナス、主著『神学大全』→教会の理論的支柱
③普遍論争:実在論(普遍は実在する / アンセルムス) vs 唯名論(普遍は名前にすぎない / アベラール、ウィリアム=オブ=オッカム)
④スコラ学の基盤:アリストテレス哲学
大学が誕生するのは12世紀頃からです。大学(ウニヴェルシタス)は教授や学生の組合としてできたのが始まりで、教皇や皇帝の特許状によって自治権を与えられた一種のギルドでした。
最古の大学といわれるイタリアのボローニャ大学は法学で知られ、学生組合型の大学として発展しました。
フランスのパリ大学は神学の研究で最高の権威を持ちました。パリ大学は教師組合型の大学であり、トマス=アクィナスもここで教えています。
イギリスではパリ大学を模範に創設されたオクスフォード大学と、そこからわかれてできたケンブリッジ大学が、独自の学寮(コレッジ)制をもとに発展しました。また、イタリアのサレルノの医学校はのちに大学に発展し、医学で有名でした。
おもな大学には神学・法学・医学の3学部があり、また基礎的な教養科目として自由七科も教育されました。講義はラテン語で行われ、ラテン語は西ヨーロッパの学問の共通語として機能しました。13世紀以降の大学は、国家の官僚を養成するという役割も果たしました。
| 大学 | 所在地 | 特色ある学部 | 組織形態 |
|---|---|---|---|
| ボローニャ大学 | イタリア | 法学 | 学生組合型 |
| パリ大学 | フランス | 神学 | 教師組合型 |
| オクスフォード大学 | イングランド | 神学・自然科学 | 教師組合型 |
| サレルノ大学 | イタリア | 医学 | ─ |
ウニヴェルシタス(universitas)はラテン語で「組合」「共同体」を意味する言葉です。中世の大学は、教師と学生がそれぞれの権利を守るために結成したギルド(同業者組合)が母体でした。「あらゆる学問を扱う場」という意味で「大学」と呼ばれるようになったのは、近代以降のことです。
教会の権威が高まり、経済的にゆたかになると、教会建築がさかんになり、それらを装飾するものとして彫刻や絵画も発展しました。はじめはビザンツ様式の影響が強かったものの、11世紀には半円アーチを用いる重厚なロマネスク様式が生まれました。厚い石壁と小さな窓が特徴です。
建物の重さを厚い壁で支えるため、窓を大きくすることができず、内部は薄暗い空間となります。その荘厳な雰囲気は、神への畏敬の念を感じさせるものでした。ドイツのシュパイアー大聖堂やイタリアのピサ大聖堂がロマネスク建築の代表例です。
12世紀後半以降、フランスを中心に新しい建築様式が広まりました。これがゴシック様式です。ゴシック建築は、尖頭アーチ(先のとがったアーチ)とフライング=バットレス(飛梁)という構造技術を用いることで、壁を薄くし、大きな窓を設けることを可能にしました。
壁を薄くする技術が進歩したため広くなった窓は、美しいステンドグラスで飾られ、外壁や柱には彫刻がほどこされました。高くそびえる塔は天に向かって伸び、神への信仰をかたちにしたものといえます。
天上の神をたたえる厚い信仰心を象徴するゴシック様式の教会は、繁栄する商人の経済力を背景に各都市に建設されました。代表的なゴシック建築として、フランスのランス大聖堂・シャルトル大聖堂、パリのノートルダム大聖堂、ドイツのケルン大聖堂などが挙げられます。
| 項目 | ロマネスク様式 | ゴシック様式 |
|---|---|---|
| 時期 | 11〜12世紀 | 12世紀後半〜 |
| アーチ | 半円アーチ | 尖頭アーチ |
| 壁 | 厚い石壁 | 薄い壁(フライング=バットレスで支える) |
| 窓 | 小さい(内部は薄暗い) | 大きい(ステンドグラス) |
| 印象 | 重厚・荘厳 | 高く・明るい |
| 代表例 | シュパイアー大聖堂、ピサ大聖堂 | ランス大聖堂、シャルトル大聖堂、ノートルダム大聖堂、ケルン大聖堂 |
中世ヨーロッパの文学は、長らくラテン語で書かれた宗教的なものが中心でした。しかし11世紀以降、各地の俗語(フランス語、ドイツ語、英語など)で書かれた文学作品が登場し始めます。
なかでも人気を集めたのが騎士道物語です。騎士は中世西ヨーロッパの人間の理想像で、武勇と主君への忠誠、神への信仰、女性・弱者の保護などを重視する彼らの道徳が騎士道です。ゲルマンの英雄伝説をもとにした叙事詩の『ニーベルンゲンの歌』、カール大帝と騎士たちを描いた武勲詩の『ローランの歌』、ケルト人の伝説をもとにした『アーサー王物語』などが口承され、やがて文章につづられました。
また、おもに宮廷において騎士の恋愛を叙情詩にうたったのが吟遊詩人(トルバドゥール)であり、その最盛期は12世紀でした。ドイツでは、ミンネジンガーと呼ばれる宮廷詩人が活躍しています。
中世文学の到達点とされるのが、イタリアのダンテの『神曲』です。ダンテはフィレンツェ出身の詩人で、『神曲』は地獄・煉獄・天国をめぐる壮大な叙事詩です。ラテン語ではなくトスカナ語(イタリア俗語)で書かれたことも画期的でした。教科書ではダンテはルネサンス文学の先駆として扱われており、中世の世界観を集大成しつつ、次の時代を切り開いた存在と位置づけられています。
イギリスのチョーサーは、14世紀に『カンタベリー物語』を英語で著しました。カンタベリー大聖堂へ巡礼する旅人たちがそれぞれ物語を語り合うという枠物語の形式をとり、聖職者から商人、騎士まで、さまざまな身分の人物が登場します。庶民的な物語集として中世イングランド社会を生き生きと描いた作品で、教科書ではダンテと同様にルネサンス期の文学者として扱われています。
中世の学問・宗教の言語はラテン語でしたが、ダンテやチョーサーはあえて日常語(俗語)で作品を書きました。これは、ラテン語を読めない一般の人々にも文学を届けたいという意図がありました。俗語文学の発展は各国語の文学的地位を高め、のちの国民文学の成立につながっていきます。
①ダンテ『神曲』:トスカナ語(イタリア俗語)で書かれた叙事詩。地獄・煉獄・天国をめぐる
②チョーサー『カンタベリー物語』:英語で書かれた巡礼者たちの物語集
③騎士道物語:『ニーベルンゲンの歌』『ローランの歌』『アーサー王物語』など。騎士の理想像を描く
④吟遊詩人(トルバドゥール):南フランスの宮廷で恋愛詩を歌った
12世紀のヨーロッパでは、知的活動が急速に活発になりました。この文化的活況を、歴史家チャールズ=ホーマー=ハスキンズは「12世紀ルネサンス」と名づけました。
その中核にあったのが、アラビア語文献のラテン語への翻訳です。イスラーム世界では、古代ギリシアの哲学・科学がアラビア語に翻訳されて継承・発展していました。十字軍やイベリア半島でのレコンキスタをきっかけに、西ヨーロッパのキリスト教徒はこれらの文献と出会いました。
とくに重要だったのが、イベリア半島のトレドやシチリア島のパレルモです。これらの地はイスラーム文化との接点にあり、ここで翻訳活動が盛んに行われました。ギリシア語やアラビア語からラテン語への翻訳を通じて、アリストテレスの哲学、ガレノスの医学、プトレマイオスの天文学などがヨーロッパに流入しました。
アラビア語文献には、古代ギリシアの原典だけでなく、イスラーム世界の学者たちによる注釈や独自の研究も含まれていました。イブン=ルシュド(ラテン名:アヴェロエス)のアリストテレス注釈は、西ヨーロッパのスコラ学者に大きな影響を与えました。トマス=アクィナスもイブン=ルシュドの注釈を参照しながら『神学大全』を著しています。
また、イブン=シーナー(ラテン名:アヴィケンナ)の『医学典範』は、ヨーロッパの大学で医学の標準的教科書として用いられました。このように、イスラーム科学の影響も大きく、実験・観察を重視したロジャー=ベーコンの自然科学研究はのちの近代科学を準備するものでした。ただし、ロジャー=ベーコンはあくまでキリスト教の信仰の枠組みのなかで自然を探究しており、宗教的世界観からの離脱を意図していたわけではありませんでした。
「ルネサンス(文芸復興)」という言葉は、15〜16世紀のイタリアで古代ギリシア・ローマの文化を再発見する運動を指し、しばしば「暗黒の中世」と対比されます。しかし12世紀ルネサンスが示すように、中世ヨーロッパはギリシア・ローマの知的遺産を絶えず吸収し、独自の学問体系を育てていました。15世紀のルネサンスは中世の知的蓄積の上に成立したものであり、「中世的な暗黒から突然光が差した」という単純な理解は、今日の歴史学では否定されています。
また、12世紀ルネサンスの最大の特徴は、古代ギリシアの知恵がイスラーム世界を経由してヨーロッパに届いた点にあります。イブン=シーナー・イブン=ルシュドをはじめとするイスラーム学者たちの仕事なしには、ヨーロッパにおけるアリストテレス哲学やスコラ学の発展はあり得ませんでした。これは異文明間の知的交流が文明の発展に果たした役割を示す好例です。
①古代ギリシアの学問がアラビア語で保存されていた
②翻訳活動の中心地:イベリア半島のトレド、シチリア島のパレルモ
③イブン=ルシュド(アヴェロエス)のアリストテレス注釈がスコラ学に影響
④イブン=シーナー(アヴィケンナ)の『医学典範』がヨーロッパの大学で使われた
⑤十字軍・レコンキスタがイスラーム世界との接触のきっかけ
中世ヨーロッパの文化は、キリスト教という共通の基盤のうえに成り立ちながら、イスラーム世界との交流によって大きく豊かになりました。12世紀ルネサンスでアリストテレス哲学が流入したことがスコラ学の発展を促し、大学という知の拠点が各地に生まれました。ゴシック大聖堂は信仰をかたちにした芸術であり、ダンテやチョーサーの俗語文学はのちの各国語文学の原点となりました。中世文化は「暗黒時代」ではなく、近代ヨーロッパの知的基盤を準備した創造的な時代だったのです。
中世ヨーロッパの大学制度は、近代の教育制度の源流です。「歴史総合」で扱う近代化と教育の普及を考えるとき、中世の大学がヨーロッパの知識人層を育てた出発点であることを押さえておくとよいでしょう。
中世ヨーロッパでは、12世紀ルネサンスによりイスラーム世界経由でアリストテレス哲学が流入し、スコラ学が発展した。大学が各地に成立し、ロマネスク・ゴシック建築や俗語文学も花開き、近代ヨーロッパの知的基盤が形成された。
Q1. キリスト教の信仰と理性の調和をめざした中世ヨーロッパの学問を何と呼ぶか。
Q2. スコラ学を大成した13世紀の神学者は誰か。また、その主著は何か。
Q3. ゴシック建築の特徴である先のとがったアーチを何と呼ぶか。
Q4. 12世紀ルネサンスにおいて、アラビア語文献のラテン語翻訳の中心地となったスペインの都市はどこか。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。
中世ヨーロッパでキリスト教の信仰と理性の調和をめざした学問を( ア )という。これを大成したのが( イ )であり、主著『( ウ )』のなかでアリストテレスの哲学を用いてキリスト教の教義を体系化した。中世の大学のうち、法学で知られるのが( エ )大学、神学で最高の権威を持ったのが( オ )大学である。
ア:スコラ学 イ:トマス=アクィナス ウ:神学大全 エ:ボローニャ オ:パリ
スコラ学の大成者トマス=アクィナスと『神学大全』、そして中世の代表的大学の特色を問う基本問題です。ボローニャ大学は法学、パリ大学は神学、サレルノ大学は医学、オクスフォード大学は神学・自然科学で知られています。大学と専門分野の組み合わせは入試の頻出事項です。
次の各文の正誤を判定し、誤りの場合は正しく訂正せよ。
(1) ×「ロマネスク」→「ゴシック」。ロマネスク建築の特徴は半円アーチと厚い石壁。 (2) ○ (3) ×「コルドバ」→「トレド」 (4) ○
(1)について:尖頭アーチとステンドグラスはゴシック様式の特徴です。ロマネスク様式は半円アーチと厚い石壁が特徴で、壁を厚く作る必要があるため窓は小さく、内部は薄暗くなります。この二つの様式の特徴を取り違えるのはよくある誤りです。(3)について:翻訳活動の中心地はトレドやパレルモです。コルドバは後ウマイヤ朝の首都として栄えた都市で、確かに学問の中心地でしたが、翻訳の拠点として問われるのはトレド(とパレルモ)です。
12世紀ルネサンスが西ヨーロッパの学問・文化に与えた影響について、「アラビア語」「トレド」「アリストテレス」「スコラ学」の語句を使って120字以内で説明せよ。
イスラーム世界で保存されていた古代ギリシアの学問が、スペインのトレドを中心にアラビア語からラテン語に翻訳された。これによりアリストテレス哲学がヨーロッパに流入し、信仰と理性の調和をめざすスコラ学の発展を促した。(106字)
この問題は、12世紀ルネサンスの内容と意義を整理するものです。ポイントは三つの段階を時系列に沿って述べることです。第一に、古代ギリシアの学問がイスラーム世界でアラビア語に翻訳されて保存されていたこと。第二に、トレドを中心にこれらがラテン語に翻訳されてヨーロッパに伝わったこと。第三に、流入したアリストテレス哲学がスコラ学の発展を支えたこと。この三段階を4つの指定語句すべてを使って論じる必要があります。