第6章 イスラーム教の伝播と西アジアの動向

イスラーム教の諸地域への伝播
─ 分裂のなかで広がる信仰と文化

8世紀に最盛期を迎えたアッバース朝は、やがて各地で地方政権が自立し、政治的には分裂していきます。しかしアラビア語とイスラーム法が文明圏の統合を保つなか、インド・イラン・ギリシアの文化的伝統が融合して多様な学問が興隆し、ムスリム商人の交易を通じてイスラーム教は各地に広がりました。
この記事では、アッバース朝の支配の名目化と地方政権の自立、イスラーム文化の繁栄、そしてインド洋・サハラ交易圏の拡大までを学びます。

1アッバース朝の衰退と地方政権の自立

750年に成立したアッバース朝は、ハールーン=アッラシード(在位786〜809年)の時代に最盛期を迎えました。首都バグダードは東西交易の中心地として繁栄し、世界各地の物産が市場(バザール)の店頭を飾る国際都市となりました。

しかし9世紀以降、アッバース朝のカリフの権威は次第に衰えていきます。アッバース朝は広大な版図を維持するために各地の総督や有力者に地方の政治を任せ、その地位の世襲を認めるようになりました。各地で地方政権が自立し、アッバース朝の支配は名目的なものとなっていきました。

アッバース朝の衰退期には、社会的不満が反乱として噴出することもありました。9世紀後半(869〜883年)にイラク南部で起こったザンジュの乱は、農業労働に使役されていた東アフリカ系の黒人奴隷(ザンジュ)が蜂起した大規模な反乱で、約15年にわたって続きました。この乱は最終的に鎮圧されましたが、イスラーム世界における奴隷制と農業経営の実態を示す重要な事件として記録されています。

アッバース朝のカリフの権威が衰退したのはなぜか
広大な版図を維持するため、各地の総督に地方の政治を任せ、地位の世襲を認めた
エジプト(トゥールーン朝)や中央アジア(サーマーン朝)など、周辺地域で地方政権が自立
トルコ系のマムルーク(軍人奴隷)の台頭などによりカリフの権力がさらに弱まった
地方政権の自立で税収が減り国家財政が破綻。アッバース朝の支配は名目的なものとなった

イスラーム世界に成立した地方政権の多くは、イスラーム世界の象徴としてアッバース家のカリフの権威を認めていました。また、アラビア語とイスラーム法が社会に定着していたことで、文明圏としての統合は保たれていたのです。

後ウマイヤ朝(コルドバ)

ウマイヤ朝が滅亡すると、その一族がイベリア半島に逃れ、コルドバを都に後ウマイヤ朝を開きました(756年)。後ウマイヤ朝は10世紀のアブド=アッラフマーン3世の時代に最盛期を迎えました。

後ウマイヤ朝の君主ははじめアミールを称し、アッバース朝カリフの権威を否定しませんでしたが、10世紀にファーティマ朝に対抗してみずからカリフを称するようになりました。イベリア半島のムスリム支配下の地域(アンダルス)では灌漑農業が発達し、コルドバをはじめ多くの都市が繁栄しました。キリスト教徒やユダヤ教徒のあいだでもアラビア語の習得がすすみ、アラビア語の書物がさかんにラテン語に翻訳されて、中世ヨーロッパの学問の基礎となりました。

イドリース朝(モロッコ)

アッバース朝の迫害を逃れたアリー家の一族が789年にモロッコに建てたイドリース朝は、歴史上最初のシーア派王朝とされています。王朝名はムハンマドの子孫イドリース1世に由来します。イドリース朝のもとでベルベル人へのイスラーム教の普及がすすみ、現在のモロッコにあたる地域がイスラーム圏に組み込まれました。

ファーティマ朝(カイロ)

10世紀になると、シーア派の一派であるイスマーイール派がチュニジアでベルベル人を組織し、ファーティマ朝を建てました。ファーティマ朝の君主はムハンマドの直系の子孫であることを主張してカリフを称し、アッバース朝カリフの権威を完全に否定しました。後ウマイヤ朝の君主もこれに対抗してカリフを称したため、イスラーム世界には3人のカリフが並立する分裂状態が生まれました。

ファーティマ朝は10世紀後半にエジプトを征服して首都カイロを建設し、シリアにも進出しました。また紅海経由の交易路をおさえ、地中海とインド洋を結ぶ交易の主導権を握って経済的にも繁栄しました。カイロに建立されたアズハル・モスクにはアズハル学院が併設され、現存する世界最古の大学のひとつとなっています。

ブワイフ朝とガズナ朝

10世紀のアッバース朝では、トルコ系のマムルーク(軍人奴隷)の台頭などによってカリフの権力が弱まっていました。それに乗じてシーア派を奉じるイラン系の軍事政権ブワイフ朝がバグダードに入城し、946年に大アミール(大総督)の称号を得て、実質的な統治を行いました。スンナ派のカリフをシーア派の軍事政権が保護するという、ねじれた関係が生まれたのです。またブワイフ朝は、軍人に対し給与のかわりに一定地域の徴税権を与えるイクター制をはじめて実施しました。

一方、アフガニスタンを拠点とするトルコ系のガズナ朝が勢力を拡大しました。なかでもマフムード(在位998〜1030年)は北インドに十数回にわたって遠征を行い、イスラーム勢力のインド進出の先駆けとなりました。

政権成立年首都宗派特徴
後ウマイヤ朝756年コルドバスンナ派イベリア半島に建国。カリフを称する
ファーティマ朝909年カイロシーア派(イスマーイール派)チュニジアで成立。エジプトを征服しカイロを建設。カリフを称する
ブワイフ朝932年成立/946年バグダード入城バグダードシーア派大アミール(大総督)の称号を得てイラクとイランを統治。イクター制を開始
ガズナ朝962年ガズナスンナ派マフムードが北インドに繰り返し遠征
ここが問われる: アッバース朝の衰退と地方政権 比較

後ウマイヤ朝:イベリア半島のコルドバを首都。ウマイヤ家の一族が建国。はじめアミールを称しアッバース朝の権威を否定しなかったが、のちにカリフを称する。アブド=アッラフマーン3世の時代に最盛期
ファーティマ朝:シーア派(イスマーイール派)。チュニジアで成立、エジプトを征服しカイロを建設。カリフを称する
ブワイフ朝:イラン系シーア派。バグダードに入城し大アミールの称号を得る
ガズナ朝:トルコ系スンナ派。マフムードが北インドに繰り返し遠征
⑤ 10世紀には3人のカリフ(アッバース朝・後ウマイヤ朝・ファーティマ朝)が並立

ここが問われる: アミールとスルタンの違い 用語・定義

大アミール:大総督の称号。ブワイフ朝がカリフから授与された
スルタン:世俗の支配者を意味する称号。セルジューク朝のトゥグリル=ベクがアッバース朝カリフから授与された

2イスラーム文化の繁栄

イスラーム世界は政治的には分裂しましたが、アラビア語が共通語として広く用いられ、シャリーア(イスラーム法)も社会に定着していたことから、文明圏としてのイスラーム世界の統合は保たれていました。アッバース朝のもとでは、インド・イラン・ギリシアなどの文化的な伝統が融合し、多様な学問が興隆しました。

学問の発展

9世紀初め以後、バグダードの「知恵の館」(バイト=アルヒクマ)を中心に、ギリシア語による医学・天文学・幾何学・倫理学・哲学の文献がさかんにアラビア語に翻訳されました。第7代カリフのマアムーン(在位813〜833年)の時代にこの機関は発展し、とくにアリストテレスの哲学はイスラーム神学の形成に重要な役割を果たしました。

イブン=シーナー(ラテン名アヴィケンナ、980〜1037年)は、中央アジア出身の学者で、医学の百科全書『医学典範』を著しました。この書はラテン語に翻訳され、ヨーロッパでも17世紀まで医学の教科書として使われました。またイブン=シーナーはアリストテレスの著作をもとにイスラーム哲学を完成させた哲学者としても知られます。

イブン=ルシュド(ラテン名アヴェロエス、1126〜1198年)は、イベリア半島のコルドバで活動した哲学者です。アリストテレスの高度な注釈を行ったことで知られ、その著作はラテン語に翻訳されてヨーロッパのスコラ哲学に大きな影響を与えました。

数学の分野では、インドの数学がもたらされ、ゼロの概念が導入されて位取りに便利なアラビア数字がつくられました。フワーリズミー(780年ごろ〜850年ごろ)は数学者として知られ、アルゴリズム(算法)や代数学(アルジャブル)の基礎を築きました。

このほか、イスラーム教の信仰に対する関心から、『クルアーン(コーラン)』やムハンマドの言行についての伝承(ハディース)を扱う学問が発達し、それらを基礎にイスラーム法学者(ウラマー)たちが司法や政治で活躍するようになりました。

11世紀以降、禁欲的な修行と神との合一を求める神秘主義運動(スーフィズム)が広まり、神秘主義教団(タリーカ)が各地に形成されました。スーフィーたちは厳格な法解釈を超えた情感豊かな信仰を説き、民衆のあいだに広く受け入れられました。スーフィズムはイスラーム教がアナトリア・中央アジア・インド・東南アジア・アフリカなどに浸透していく際の大きな推進力となりました。

イスラーム世界で学問が発展したのはなぜか
インド・イラン・ギリシアなどの文化的な伝統が融合し、多様な学問が興隆した
バグダードの「知恵の館」を中心に、ギリシア語の文献がさかんにアラビア語に翻訳された
マドラサ(学院)で学んだウラマーが各地で共通の知識をもって活動し、イスラーム世界の一体性を支えた
その成果がラテン語に翻訳され、ヨーロッパの学問の基礎を提供した

マドラサでの講義はイスラーム世界全体で共通していて、どこで学んでも同じ法学の知識を身につけることができました。共通の知識をもつウラマーの存在が、政治的な分裂にもかかわらずイスラーム世界の一体性を維持した最大の要因です。そしてイスラーム世界の学問はラテン語に翻訳され、ヨーロッパの学問の基礎を提供しました。

学者時代・地域分野主な業績
フワーリズミー9世紀・バグダード数学代数学(アルジャブル)の基礎を築く。アルゴリズムの語源
イブン=シーナー10〜11世紀・中央アジア出身医学・哲学『医学典範』を著す。アリストテレスをもとにイスラーム哲学を完成
イブン=ルシュド12世紀・コルドバ哲学アリストテレスの高度な注釈。スコラ哲学に大きな影響
ここが問われる: イスラーム世界の学者と業績 用語・定義

フワーリズミー:代数学の基礎。「アルゴリズム」「アルジャブル(algebra)」の語源
イブン=シーナー:中央アジア出身。『医学典範』の著者。イスラーム哲学の完成者。ラテン名アヴィケンナ
イブン=ルシュド:アリストテレスの高度な注釈者。ラテン名アヴェロエス。ヨーロッパのスコラ哲学に影響
知恵の館:バグダードの翻訳・研究機関。ギリシア語文献をアラビア語に翻訳

3イスラーム建築の特色

建築はイスラーム文明を代表する芸術として発展しました。イスラーム教では偶像崇拝が禁止されていたため、人物や動物を装飾のモチーフにすることが避けられ、独自の装飾様式が生み出されました。

アラベスクは、植物の茎や葉、アラビア文字を図案化した幾何学的な紋様で、モスクの壁面装飾や建造物・陶器・書籍などを飾りました。

高度な技術を駆使したドームと優雅なミナレット(尖塔)を特徴とするモスクが各地に建てられ、ミナレットからはアザーン(礼拝への呼びかけ)が行われました。

このほか、モスクの内部には礼拝の方向(メッカの方角)を示すミフラーブ(壁龕)や、説教のためのミンバル(説教壇)が設けられています。

発展 ─ なぜイスラーム建築では幾何学模様が発達したのか

イスラーム教では偶像崇拝が否定されているため、絵画や彫刻などの造形美術は未発達でした。そのかわりに発達したのが、植物の茎や葉・アラビア文字を図案化した幾何学的な紋様(アラベスク)と、ミニアチュール(細密画)です。またクルアーンの一節を美しく書いて壁面に飾るカリグラフィー(書道)は、文字そのものを芸術にまで高めたイスラーム独自の表現方法です。

ここが問われる: イスラーム建築の特色 内容・特徴

モスク:イスラーム教の礼拝施設
アラベスク:植物の茎や葉・アラビア文字を図案化した幾何学的紋様。偶像崇拝の禁止に由来
ミナレット(尖塔):モスクに付属する塔。アザーン(礼拝の呼びかけ)を行う
④ 偶像崇拝の禁止→人物・動物の像を使わない→幾何学模様・カリグラフィーが発達

4イスラーム商業圏の拡大

イスラーム教は、商人の活動を通じても各地に伝播しました。ムハンマド自身が商人の出身であったように、イスラーム教では商業活動が肯定的に位置づけられています。シャリーア(イスラーム法)には商取引のルールが詳しく定められており、広範囲にわたる通商活動の基盤となりました。

インド洋交易

イスラーム商人は、インド洋の季節風(モンスーン)を利用した海上交易を活発に展開しました。ダウ船と呼ばれる帆船でアラビア半島・東アフリカ・インド・東南アジア・中国を結ぶ広大な交易ネットワークを築きました。

アラブ系やイラン系のムスリム商人は、季節風(モンスーン)を利用してダウ船を操り、広大なインド洋海域を結ぶ交易ネットワークに参加しました。東アフリカ沿岸の海港では、スワヒリ語がアラビア語の影響を受けて共通語として用いられるようになりました。

西アフリカでは、ガーナ王国がラクダを用いてサハラ北部の岩塩と自国の金を交換する隊商交易で栄えていました。北アフリカのイスラーム化後、ムスリム商人による交易は大きく発展し、11世紀後半のムラービト朝によるガーナ王国の征服は、西アフリカのイスラーム化を促しました。その後におこったマリ王国やソンガイ王国の支配階層はイスラーム教徒であり、ニジェール川中流の交易都市トンブクトゥはイスラームの学問の中心地として発展しました。

イスラーム商業圏を支えた仕組み
  • 共通の法体系:シャリーアにもとづく商取引の規則が広域にわたり通用した
  • 共通の言語:アラビア語が商業言語として機能した
  • 為替・信用取引:遠隔地取引のための手形(スフタジャ)や信用決済が発達した
  • キャラバンサライ:隊商のための宿泊施設が交易路に整備された

イスラーム都市は独特の空間構成をもっていました。各職種や出身地・民族ごとに形成された迷路状の街区を基本とし、公衆浴場(ハンマーム)・隊商宿(キャラヴァンサライ)・市場(スーク)などが集まるバザールが都市の中心にありました。また、不動産や収益を公共目的に寄進するワクフ(宗教寄進)制度がモスク・学院・病院などの公共施設の維持を支え、都市のインフラとして機能しました。

ここが問われる: イスラーム商業圏の特徴 内容・特徴

ダウ船:大きな三角帆を備えた木造帆船。季節風(モンスーン)を利用してインド洋を航行
スワヒリ語:アラビア語の影響を受けて東アフリカ沿岸で共通語となった
サハラ交易:ガーナ王国→マリ王国→ソンガイ王国。トンブクトゥがイスラーム学問の中心地に
④ ムスリム商人の活動がイスラーム化の大きな要因。軍事的征服だけでなく交易を通じた伝播

5年表で整理する

アッバース朝の衰退と地方政権の自立

アッバース朝(最盛期)
後ウマイヤ朝
ファーティマ朝
ブワイフ朝
ガズナ朝
750年 756 909 946 962 11世紀
年代できごと
750年アッバース朝成立。首都バグダード
756年後ウマイヤ朝成立。ウマイヤ家の一族がイベリア半島に逃れ、コルドバを都に建国
786〜809年ハールーン=アッラシード治世。アッバース朝の最盛期
9世紀初めバグダードの「知恵の館」を中心にギリシア語文献のアラビア語翻訳が本格化
909年ファーティマ朝成立(チュニジア)。イスマーイール派がベルベル人を組織。カリフを称する
932年ブワイフ朝成立(イラン系シーア派)
946年ブワイフ朝がバグダードに入城。大アミールの称号を得る
962年ガズナ朝成立(アフガニスタン)
969年ファーティマ朝がエジプトを征服し、首都カイロを建設。アズハル・モスクを建立
10世紀3人のカリフ(アッバース朝・後ウマイヤ朝・ファーティマ朝)が並立
998〜1030年ガズナ朝のマフムードが北インドに十数回にわたり遠征

6俯瞰する ─ この記事のつながり

地方政権の自立は、イスラーム世界の政治的分裂を意味していましたが、イラン人やトルコ人、ベルベル人など、それまでイスラーム世界の周辺にいた諸民族のあいだにイスラームが普及していったことの反映でもありました。アラビア語・シャリーア・ウラマーの存在が文明圏の統合を保ち、ムスリム商人のインド洋交易ネットワークは人・もの・情報が大量に行きかう、開かれた世界でありつづけました。

この記事と他の章のつながり

  • 5-1 アラブの大征服とイスラーム政権の成立 ─ アッバース朝がウマイヤ朝を倒して「イスラーム帝国」を実現した経緯は前の記事で学びました。本記事はその後の展開、すなわちアッバース朝自体の衰退と地方政権の自立を扱います。
  • 6-2 西アジアの動向 ─ ブワイフ朝やガズナ朝のあと、トルコ系のセルジューク朝が台頭します。セルジューク朝のスルタンがアッバース朝のカリフを保護し、さらにビザンツ帝国と対立して十字軍の契機をつくった経緯を次の記事で学びます。
  • 7-3 西ヨーロッパ世界の変容 ─ イベリア半島の後ウマイヤ朝やイスラーム学問がヨーロッパに与えた影響は、12世紀ルネサンスやスコラ哲学の文脈で重要になります。
  • 9-1 アジア交易世界の興隆 ─ インド洋交易圏は、のちにポルトガルなどヨーロッパ勢力の参入によって再編されます。イスラーム商人が築いた交易ネットワークの延長上に大航海時代の動きがあります。
歴史総合とのつながり

イスラーム商業圏の拡大は、歴史総合で学ぶ「結びつく世界」のテーマに直結します。インド洋交易はヨーロッパの大航海時代に先立つグローバルな交易圏であり、現在の東アフリカやインドネシアのイスラーム教徒のルーツにもつながっています。また、イスラーム世界で保存・発展されたギリシア哲学や科学がヨーロッパに逆輸入された経緯は、異なる文明間の知の交流の好例です。

7まとめ

  • アッバース朝は広大な版図を維持するため各地の総督に地方政治を任せたが、地方政権の自立で支配は名目的なものとなった。
  • 後ウマイヤ朝はイベリア半島のコルドバを首都とし、はじめアミールを称したがのちにカリフを称した。アンダルスではアラビア語の書物がラテン語に翻訳された。
  • シーア派のファーティマ朝はチュニジアで成立し、エジプトを征服してカイロを建設した。10世紀には3人のカリフが並立した。
  • シーア派のブワイフ朝は大アミール(大総督)としてバグダードの実権を握り、ガズナ朝のマフムードは北インドに繰り返し遠征した。
  • インド・イラン・ギリシアの文化的伝統が融合し、フワーリズミー(代数学)・イブン=シーナー(医学典範・哲学)・イブン=ルシュド(アリストテレス注釈)らが活躍した。
  • 偶像崇拝の禁止からアラベスク(幾何学的紋様)が発達し、ドームとミナレット(尖塔)を特徴とするモスクが各地に建てられた。
  • ムスリム商人はダウ船インド洋交易を展開し、西アフリカではガーナ王国・マリ王国がサハラ交易で栄え、トンブクトゥがイスラーム学問の中心地となった。
この記事を100字で要約すると

アッバース朝の支配が名目化するなか、後ウマイヤ朝・ファーティマ朝・ブワイフ朝などの地方政権が自立した。アラビア語とイスラーム法が文明圏の統合を保ち、ムスリム商人の交易を通じてイスラーム教は諸地域に伝播した。(102字)

8穴埋め・一問一答

Q1. ウマイヤ家の一族がイベリア半島に建てた王朝を何というか。また、その首都はどこか。

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後ウマイヤ朝。首都(都)はコルドバです。ウマイヤ朝滅亡後、一族がイベリア半島に逃れて756年に建国しました。

Q2. 北アフリカに成立し、のちにエジプトを征服してカイロを建設したシーア派の王朝を何というか。

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ファーティマ朝。シーア派のイスマーイール派がチュニジアでベルベル人を組織して建国。ムハンマドの直系の子孫を主張しカリフを称しました。10世紀後半にエジプトを征服してカイロを建設しました。

Q3. 医学の百科全書『医学典範』を著し、ラテン名アヴィケンナで知られるイスラーム世界の学者は誰か。

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イブン=シーナー(中央アジア出身)。『医学典範』はラテン語に翻訳され、ヨーロッパでも長く医学の教科書として使用されました。哲学者としてもイスラーム哲学を完成させました。

Q4. イスラーム教の礼拝施設をモスクというが、モスクに付属し礼拝の呼びかけ(アザーン)が行われる塔を何というか。

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ミナレット(尖塔)。ムアッジン(呼びかけ人)がここからアザーンを行い、1日5回の礼拝の時間を知らせます。

9アウトプット演習

この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。

A 基礎レベル

問1 A 基礎 穴埋め

次の文中の空欄( ア )〜( オ )に入る適切な語句を答えよ。

9世紀以降、アッバース朝のカリフの権威が衰退するなか、各地で地方政権が自立した。イベリア半島ではウマイヤ家の一族が( ア )を首都に後ウマイヤ朝を建てた。北アフリカではシーア派の( イ )朝が成立し、エジプトに( ウ )を建設した。バグダードではイラン系シーア派の( エ )朝が( オ )の称号を得て実権を掌握した。

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解答

ア:コルドバ イ:ファーティマ ウ:カイロ エ:ブワイフ オ:大アミール

解説

アッバース朝の衰退期に自立した主要政権とその特徴を整理して覚えましょう。後ウマイヤ朝(コルドバ)・ファーティマ朝(カイロ)はともにカリフを称し、ブワイフ朝は大アミールの称号でバグダードの実権を握りました。各政権の宗派(スンナ派/シーア派)の区別も重要です。

B 標準レベル

問2 B 標準 正誤

イスラーム文化に関する次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。

  • (1) フワーリズミーは医学の百科全書『医学典範』を著した。
  • (2) イブン=ルシュドはアリストテレス哲学の注釈で知られ、ヨーロッパのスコラ哲学に影響を与えた。
  • (3) イスラーム建築では偶像崇拝が禁止されているため、アラベスクなどの幾何学模様が発達した。
  • (4) ファーティマ朝はスンナ派の王朝で、バグダードに首都を置いた。
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解答

(1) ×「フワーリズミー」→「イブン=シーナー」 (2) ○ (3) ○ (4) ×「スンナ派」→「シーア派」、「バグダード」→「カイロ」

解説

(1)について:フワーリズミーは数学者で、代数学(アルジャブル)の基礎を築いた人物です。『医学典範』の著者はイブン=シーナー(アヴィケンナ)です。学者名と業績の組み合わせは頻出なので正確に覚えましょう。(4)について:ファーティマ朝はシーア派(イスマーイール派)で、首都はカイロです。2つの誤りを含む選択肢にも注意しましょう。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

10世紀のイスラーム世界が「政治的には分裂したが、文化的には統一性を保った」といわれる理由を、「アラビア語」「シャリーア」「インド洋交易」の語句を使って100字以内で説明せよ。

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解答例

各地に地方政権が自立して政治的には分裂したが、学問・行政の共通語としてアラビア語が用いられ、シャリーアが商取引を含む社会生活を規律した。インド洋交易を通じて広域の経済圏が維持され、文化的な統一性が保たれた。(103字)

解説

この問題のポイントは、「政治的分裂」と「文化的統一」の対比を具体的に説明することです。政治的には複数のカリフやスルタンが並立した一方、文化面ではアラビア語という共通言語、シャリーアという共通の法体系、そしてイスラーム商人による広域の交易ネットワークが、イスラーム世界の一体性を支えていたことを述べましょう。

採点ポイント
  • 地方政権の自立による政治的分裂に言及している
  • アラビア語が共通の学問語・行政語であったことを述べている
  • シャリーアが社会生活を規律する共通の法体系であったことを述べている
  • インド洋交易による広域の経済的結びつきに言及している