前6世紀ごろのインドでは、バラモン教の祭式主義への疑問から、仏教やジャイナ教といった新しい宗教が誕生しました。その後、アレクサンドロスの西北インド進出を契機に、チャンドラグプタが南アジア最初の統一王朝であるマウリヤ朝を建国します。アショーカ王は仏教の影響を受けてダルマ(法)を統治の理念としてかかげ、紀元前後には大乗仏教の運動がおこりました。
この記事では、仏教の成立と展開を軸に、マウリヤ朝からクシャーナ朝に至る南アジアの政治史を詳しくたどります。1-6で概観した内容をさらに深掘りして学んでいきましょう。
前6世紀ごろ、南アジアでは政治・経済の中心がガンジス川上流域から中・下流域へと移動し、城壁で囲まれた都市国家がいくつも生まれました。仏教の経典にはこの時代に十六大国が存在したと記されています。これらの国々のなかには、王が支配する王制国家と、有力者の合議で政治を行う共和制国家がありました。
十六大国のなかではコーサラ国、つづいてマガダ国が有力となりました。豊かな農業生産を背景に各地との交易が発展して、クシャトリヤやヴァイシャが勢力をのばすなど、社会が大きく変化しました。マガダ国は前5世紀ごろにコーサラ国を滅ぼし、前4世紀にはナンダ朝のもとで北インド最大の勢力に成長しました。
こうした社会的・経済的な変化のもとで、新たな思想や宗教が生まれました。まず現れたのがウパニシャッド哲学です。これはバラモン教の祭式主義から転換して内面の思索を重視し、業(カルマ)が支配する輪廻からいかに脱却するかという解脱について説きました。この流れのなかから、仏教とジャイナ教という二つの新しい宗教が誕生しました。
ガウタマ=シッダールタ(前5世紀ごろ)は、現在のインドとネパールの国境周辺で王国を形成していたシャーキヤ(釈迦)族の王子として生まれました。人間の老い・病・死という苦しみに直面して出家し、修行の末にブッダ(尊称。「覚者=悟りを開いた者」の意)となりました。
ブッダは、業・輪廻・解脱の考えを深め、苦の原因から解脱する正しい認識の方法(四諦)と、正しい実践の方法(八正道)を説きました。また、心の内面から人々の悩みを解くことを重視し、正しいおこないを実践して煩悩を捨てさることで、解脱へと至ることができると説きました。
ブッダの教えのもう一つの重要な特徴は中道の考え方です。極端な苦行にも極端な快楽にも偏らず、穏やかな修行の道をとることを説きました。仏教はバラモン教の権威やヴァルナ制を否定したため、祭儀をつかさどるバラモンが高い権威をもつことに不満をもつ商人や王侯に支持され、広まっていきました。
仏教とほぼ同じ時期に、マガダ国のクシャトリヤ出身のヴァルダマーナ(マハーヴィーラ=偉大な勇者)がジャイナ教を開きました。ジャイナ教は、解脱のためにとくに禁欲的な苦行と徹底的な不殺生(アヒンサー)を強調しました。
ジャイナ教の不殺生の教えは、農業では虫を殺すことを避けられないため、農民よりも商人に広く受け入れられました。ジャイナ教は現在もインドの商人層を中心に信仰されています。
①仏教 ─ ガウタマ=シッダールタが開祖。四諦・八正道を説き、苦行にも快楽にも偏らない中道を重視。身分を否定し、あらゆる人に悟りの道を開いた
②ジャイナ教 ─ ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)が開祖。不殺生(アヒンサー)と厳しい苦行を重視。不殺生の戒律から特に商人層に広まった
前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシアを滅ぼしたのち、さらに西北インドにまで進出しました。王は前326年までにインダス川流域を制圧し、各地にギリシア系の政権が誕生しました。
この混乱のなかから、前4世紀末に南アジアで最初の統一王朝が登場しました。
マガダ国では前317年ごろ、武将チャンドラグプタがパータリプトラ(現パトナ)を都としてマウリヤ朝を建てました。マウリヤ朝は、西はアフガニスタン南部、東はガンジス川下流域、南はデカン高原にいたるインド最初の大帝国を形成しました。
マウリヤ朝の最盛期は第3代アショーカ王(在位前268年ごろ〜前232年ごろ)の時代でした。アショーカ王は征服活動で多くの犠牲者を出したことを悔い、仏教への帰依を深めました。そして、広大な帝国を統治する理念として不殺生・寛大・慈悲などの倫理(法=ダルマ)をかかげ、法にもとづいた平和な社会をめざしました。
アショーカ王は領内の各地でダルマ(法)の大切さを説く詔勅を岩壁や石柱に刻ませました。これが磨崖碑・石柱碑です。碑文はインド各地方の口語で作成されることが多かったですが、ギリシア語やアラム語のものもあり、当時のマウリヤ朝の国際性を示しています。また仏教側の伝承では、アショーカ王は仏典の結集(経典の編纂)をおこなわせ、スリランカなどの各地に布教使節を派遣したといいます。
しかし、アショーカ王の死後、官僚組織と軍隊の維持が財政難をまねいたことや、王家に対するバラモン階層の反発もあり、マウリヤ朝は衰退し、前2世紀初頭に滅亡しました。
①チャンドラグプタがパータリプトラを都としてマウリヤ朝を建て、南アジア最初の統一王朝を築いた
②第3代アショーカ王の時代が最盛期。征服活動の犠牲を悔いて仏教に帰依し、ダルマ(法)を理念とした統治をめざした
③アショーカ王は磨崖碑・石柱碑に詔勅を刻ませた。碑文にはギリシア語やアラム語のものもある
④仏教側の伝承では仏典の結集や各地への布教をおこない、スリランカなどにも布教使節を派遣した
ブッダの死後、仏教は僧が守るべき戒律や教えの解釈をめぐっていくつかの部派に分かれていきました(部派仏教)。
このうち上座部仏教は、ブッダの教えを忠実に守り、出家して厳しい修行を積んだ個人の解脱を重視する立場です。上座部仏教は前3世紀にスリランカに伝えられました。スリランカでは前5世紀ごろにインド・ヨーロッパ語族に属するシンハラ語を話す人々が渡来して王国を建設しており、このシンハラ人の王国が仏教をとりいれて、やがてインド洋交易の興隆を背景に大規模な僧院や仏塔を建設しました。上座部仏教はスリランカからさらに東南アジア(ビルマ・タイ・カンボジアなど)にも広まり、南伝仏教ともよばれます。
さらに紀元前後には、衆生の救済を重視し、悟りや知恵を求める修行者を広く菩薩として信仰する大乗仏教がおこりました。「大乗」とは衆生を救う「大きな乗り物」を意味します。自身のみの悟りを目的として出家者がきびしい修行をおこなう旧来の仏教を「小乗」と呼んで批判しました。大乗仏教はおもに中央アジアから東アジアに広まり、北伝仏教ともよばれます。
2世紀ごろ、ナーガールジュナ(龍樹)が「空」の思想を説き、大乗仏教の教理の基礎を理論化しました。この思想はその後の仏教思想に大きな影響を与えました。
| 上座部仏教 | 大乗仏教 | |
|---|---|---|
| 救済の対象 | 出家した個人の解脱 | すべての人々の救済 |
| 理想像 | 阿羅漢(修行を完成した個人) | 菩薩(衆生を救う存在) |
| 修行の特徴 | ブッダの教えに忠実な戒律重視 | 在家信者にも開かれた信仰 |
| 広まった地域 | スリランカ・東南アジア(南伝仏教) | 中央アジア・東アジア(北伝仏教) |
| 仏像 | 初期は仏像をつくらなかった | ガンダーラ美術の影響で仏像崇拝が発展 |
ブッダの死後、仏教は僧が守るべき戒律や教えの解釈をめぐっていくつかの部派に分かれていきました(部派仏教)。さらに紀元前後には、出家者だけの救済に限定する従来の仏教を「小さな乗り物」(小乗)と批判し、衆生の救済を重視する「大きな乗り物」(大乗)を掲げる運動がおこりました。なお、「小乗仏教」は大乗仏教側がそれ以前の部派仏教をおとしめた呼称です。大乗仏教は在家の信者にも救いの道を開いたことで、多くの人々の支持を集めることになります。
マウリヤ朝の衰退後、デカン高原ではサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝、前1世紀〜後3世紀)が興り、2世紀末には南インドの東海岸を広くおさえてインド洋交易で栄えました。この王朝のもとでは仏教やジャイナ教が盛んに活動をおこなうとともに、積極的に北インドの文化を摂取し、南インドにバラモン教や仏教を根づかせました。1世紀ごろから、インド洋の季節風(モンスーン)を利用してアラビア半島からインド半島沿岸に直航する航海法が開発され、海の東西交渉がさかんになりました。
マウリヤ朝の衰退に乗じて、バクトリアのギリシア系の人々が前2世紀に西北インドに勢力を広げ、仏教をはじめとするインドの文明の影響を受ける一方、ヘレニズム文明をインドに伝えました。前1世紀にはイラン系のサカ人が、後1世紀にはクシャーナ族が西北インドを征服しました。
クシャーナ族が建てたクシャーナ朝は、東西交易の中継で繁栄しました。中国から運ばれた絹がインダス川河口周辺やグジャラート地方の港でローマに向けて船積みされ、かわりにローマからは金貨がもたらされました。王朝のもとではローマの貨幣を参考にして金貨が大量に発行され、それにはイランやギリシア・インドなどの文字や神々が描かれており、活発な東西交流がおこなわれていたことを示しています。
王朝は2世紀半ばのカニシカ王の時代が最盛期であり、プルシャプラ(現ペシャーワル)を都として、中央アジアからガンジス川中流域に至る地域を支配しました。カニシカ王は仏教を保護しました。
クシャーナ朝の支配のもとでは、インド・中央アジア・ペルシア・ギリシアの諸文明が接触し、このころからヘレニズム文明の影響もあって仏像がつくられるようになりました。西北インドのガンダーラ地方で発展した仏教美術はガンダーラ美術とよばれ、巻き毛や口ひげ、高い鼻といった風貌や衣服のひだなどにギリシア彫刻の強い影響がみられます。
また、ガンジス川流域ではマトゥラー様式とよばれる仏像様式が発展しました。粗削りではあるが力強い作風が特徴です。ガンダーラとマトゥラーは、ともにクシャーナ朝の支配下にあった西北インドとガンジス川流域で異なる仏像様式が発展した例です。
仏教も東西交易路にのって中央アジアから東アジアに広がりました。3世紀、クシャーナ朝は西方ではササン朝ペルシアに領土を奪われ、東方では地方勢力の台頭を受けて衰亡しました。
紀元前後から数世紀の間、仏教を信仰する商人や僧が海と陸の道を通じてユーラシアの東半をさかんに往来し、地域間の交流を促進しました。スリランカを訪れた東晋の僧法顕、7世紀前半にナーランダー僧院で学びハルシャ=ヴァルダナの宮廷も訪れた唐の僧玄奘、7世紀後半に海路でインドに渡り同僧院で学んだ義浄はとくに有名です。この間、インドからも数多くの僧が仏教のために東方に向けて旅立ち、中国やチベットでは仏典の翻訳にも従事しました。
①2世紀半ばのカニシカ王のもとで最盛期を迎え、都はプルシャプラ(現ペシャーワル)に置かれた
②仏教を保護し、ヘレニズム文明の影響もあって仏像がつくられるようになった
③ガンダーラ美術 ─ ギリシア彫刻の影響を受けた仏像。マトゥラー様式の仏像も発展
④東西交易の中継で繁栄し、中国の絹がローマに向けて船積みされ、ローマからは金貨がもたらされた。ローマの貨幣を参考にした金貨も大量に発行された
⑤3世紀に西方ではササン朝ペルシアに領土を奪われ、東方では地方勢力の台頭を受けて衰亡した
この記事では、ウパニシャッド哲学を背景にバラモン教の権威やヴァルナ制を否定する仏教・ジャイナ教が生まれ、マウリヤ朝のアショーカ王がダルマを理念とした統治をめざしたこと、紀元前後に大乗仏教がおこり部派仏教と分かれたこと、クシャーナ朝のもとでガンダーラ美術やマトゥラー様式の仏像が発展したことを学びました。クシャーナ朝はローマとの交易の要衝にあり、仏教は東西交易路に沿って中央アジア・東アジアへと広まりました。
仏教は発祥地のインドではやがて衰退しますが、東南アジア・東アジア・中央アジアへと広がり、それぞれの地域の文化と融合しながら多様な形で受け継がれていきます。歴史総合で学ぶ「アジアの伝統社会」の宗教的基盤を理解する上で、仏教がどのように成立し、なぜ広範囲に広がったのかを押さえておくことが重要です。
前6〜前5世紀にヴァルナ制を否定する仏教・ジャイナ教が成立し、マウリヤ朝のアショーカ王は仏教の影響を受けダルマを統治の理念とした。紀元前後に大乗仏教がおこり、クシャーナ朝のカニシカ王のもとでガンダーラ美術やマトゥラー様式の仏像が発展した。
Q1. 仏教の開祖であるガウタマ=シッダールタが説いた、苦行にも快楽にも偏らない穏やかな修行の道を何というか。
Q2. マウリヤ朝の第3代の王で、仏教の影響を受けてダルマ(法)を統治の理念としてかかげた王は誰か。
Q3. クシャーナ朝の支配下で、西北インドのガンダーラ地方にギリシア彫刻の影響を受けて発展した仏教美術を何というか。
Q4. 紀元前後におこり、衆生の救済を重視して菩薩を信仰した仏教の流れを何というか。
この記事で学んだ内容を、入試形式の問題で確認しましょう。
次の文中の空欄( ア )〜( エ )に入る適切な語句を答えよ。
前4世紀に( ア )大王が西北インドに進出したのち、マガダ国の武将( イ )がパータリプトラを都として( ウ )朝を建てた。第3代の( エ )王は仏教の影響を受け、ダルマ(法)を統治の理念としてかかげた。
ア:アレクサンドロス イ:チャンドラグプタ ウ:マウリヤ エ:アショーカ
アレクサンドロスの西北インド進出 → チャンドラグプタによるマウリヤ朝建国 → アショーカ王が仏教の影響を受けダルマ(法)を統治の理念とした、という流れを押さえましょう。
次の文(1)〜(4)について、正しいものには○を、誤っているものには×を記し、×の場合は誤りの箇所を正しく訂正せよ。
(1) ×「厳しい苦行を最重要視した」→「苦行にも快楽にも偏らない中道を説いた」 (2) ○ (3) ○ (4) ×「インド伝統の技法のみで制作された」→「ギリシア彫刻の技法を取り入れた」
(1)について:ブッダは中道を説き、極端な苦行にも快楽にも偏らない修行の道を重視しました。禁欲的な苦行と徹底的な不殺生を強調するのはジャイナ教の特徴です。仏教とジャイナ教の違いは頻出なので、正確に区別しましょう。(4)について:ガンダーラ美術はヘレニズム文明の影響もあって仏像がつくられるようになり、衣服のひだなどにギリシア彫刻の強い影響がみられます。
仏教が部派仏教に分かれ、さらに大乗仏教がおこった経緯と、上座部仏教・大乗仏教それぞれの特徴および伝播した地域の違いを、80字程度で説明せよ。
戒律の解釈の違いから部派仏教に分かれ、紀元前後に衆生の救済を重視する大乗仏教がおこった。上座部仏教はスリランカ・東南アジアに、大乗仏教は中央アジア・東アジアに広まった。(83字)
この問題では、分裂の経緯・両者の特徴の違い・伝播した地域という3つの要素を限られた字数でまとめることが求められます。上座部仏教は「個人の解脱」「出家者中心」、大乗仏教は「すべての人の救済」「菩薩の理想」がキーワードです。伝播先の地域は頻出なので正確に覚えましょう。