1970年代の石油危機を契機に、先進国の経済は大きな転換期を迎えました。重化学工業中心の産業構造から第3次産業(サービス業・情報産業)が拡大し、コンピュータと通信技術の発展による情報革命が世界を一変させます。経済の停滞に対してイギリスのサッチャーやアメリカのレーガンが新自由主義政策を推進する一方、アジアではNIES・ASEAN諸国が急速な工業化を遂げ、のちにBRICsと呼ばれる新興国も台頭しました。ヨーロッパではECからEUへと統合が深化し、世界経済の構造は根本的に変容していきます。
1960年代以降、西側先進諸国では、国家が国民の福祉に手厚く配慮する福祉国家的な政策がしだいに主流となりました。第二次世界大戦以前に福祉国家化が始まっていた北欧諸国に加えて、西欧諸国でも、社会民主主義を掲げる政党がしばしば政権を担い、無償あるいは低額での教育・医療・福祉サービスを実現したほか、大規模な公共事業によって雇用の安定をはかりました。社会保障費の増大は、経済成長によって支えられました。また、アメリカ合衆国の民主党政権や日本の自由民主党政権も、同様の政策を推進しました。西側諸国における福祉の拡充は、東側諸国との体制間競争によってもうながされました。
他方で、経済成長は公害という社会問題も生みました。有毒性の汚水やガスが工場から大量に排出され、公害病による多数の犠牲者を出しました。また、河川・大気・土壌を汚染し、森林伐採や海洋の埋め立てなどの自然破壊も進みました。これに対して住民の抗議運動が広がるとともに、1972年には環境を主題とする初の国際会議である国連人間環境会議がストックホルムで開催されました。同年には、資源は有限であり、このまま経済成長を続ければいずれは限界に達するとの警鐘も、科学者らによって発せられました。
1960年代以降のアメリカ合衆国では、ベトナム戦争による巨額の戦費とともに、社会保障費の増加が重い負担となりました。1971年には、西欧と日本の経済成長により、1世紀近く続いた合衆国の貿易収支黒字も赤字に転じ、国内から金が流出しました。これを受けて同年、ニクソン大統領はドルの金兌換停止を発表して、世界に衝撃を与えました(ドル=ショック)。アメリカの経済力と金・ドル本位制を基盤とするブレトン=ウッズ体制は終わりを迎え、1973年、先進工業国の通貨は変動相場制に移行し、世界経済は合衆国・西欧・日本の三極構造に向かいはじめました。
ついで、1973年にエジプト・シリアとイスラエルとのあいだで第4次中東戦争が勃発すると、アラブ諸国を含む石油輸出国機構(OPEC)は、イスラエルを支援する西側諸国に圧力をかけるため、原油価格を引き上げました。またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)も、イスラエル支援国に対する原油輸出を禁止しました。こうしたアラブ諸国による石油戦略の結果、西側先進諸国では急激な物価高が生じました(第1次石油危機〈オイル=ショック〉)。
1979年には、イラン=イスラーム革命によって成立した新体制が欧米系石油企業を追放して原油生産を国有化すると、これをきっかけに原油価格が高騰し、第2次石油危機がおこりました。ドル=ショックとオイル=ショックは世界的な不況を引きおこし、安価な原油を前提としてきた先進国の好景気は終わりました。
まもなく立ち直った日本を除いて、西欧諸国やアメリカ合衆国の経済成長は減速しました。1975年には、世界経済の主要問題を討議するために先進国首脳会議(サミット)の開催が始まりました。
オイル=ショックは、生産の規模を重視してきた経済路線に見直しをせまりました。西側先進諸国では大量生産よりも高度な技術が重要視されるようになって、量から質への産業構造の転換が始まりました。コンピュータやエレクトロニクスといったハイテクノロジー産業が本格的に形成され、省エネルギー化も追求されました。
他方、世界有数の産油国であるソ連では、原油輸出による外貨獲得が積極的に進められ、国民の生活水準も短期的には向上しました。しかし、外貨による機材の輸入に依存した結果、ソ連では産業のハイテク化や省エネ化はおこなわれず、旧式の設備が維持され、環境汚染も拡大しました。
石油危機はエネルギー多消費型の産業モデルを行き詰まらせ、先進国の産業構造を第2次産業中心から第3次産業中心へと転換させる契機となりました。
1970年代以降、IC(集積回路)やマイクロチップの技術革新により、コンピュータは急速に小型化・低価格化しました。1980年代にはオフィスや家庭にパーソナルコンピュータ(PC)が普及し始め、情報処理のあり方が根本的に変わりました。
もともとアメリカの軍事研究ネットワークとして開発された通信技術は、1990年代にインターネットとして民間に開放されました。電子メール、ウェブサイトの普及により、世界中の情報が瞬時に共有される時代が到来しました。この情報革命(IT革命)は、18世紀の産業革命に匹敵する社会変革と評されます。
情報革命は経済のグローバル化を加速させました。金融取引が電子化されて国境を越えた資本移動が瞬時に行われるようになり、多国籍企業は世界各地に生産拠点を展開しました。また、情報技術を基盤とする新たな産業(IT産業)がアメリカのシリコンバレーなどで急成長し、経済の牽引力となりました。
オイル=ショックののち、西側先進諸国では、経済の効率性がより重視されるようになり、これは福祉国家的政策の見直しにもつながりました。社会保障費や公共事業費が国家予算に占める大きさが批判され、「小さな政府」を求める声が強まりました。
その結果、1970年代末から80年代にかけて、イギリスのサッチャー、アメリカ合衆国のレーガン、西ドイツのコール、日本の中曽根康弘などの各政権が、市場経済を最優先し、競争原理を重んじる新自由主義的な政策を打ち出しました。これらの国では電信・鉄道・航空など、非効率とされた国営・公営部門の民営化がおこなわれ、経済の規制緩和が進められました。
| 国 | 指導者 | 在任期間 | 主な政策 |
|---|---|---|---|
| イギリス | サッチャー | 1979〜90年 | 国営企業の民営化、規制緩和、労組の抑制 |
| アメリカ | レーガン | 1981〜89年(大統領) | 大規模減税、規制緩和、軍事費増額 |
| 西ドイツ | コール | 1982〜98年 | 市場経済の重視、のちにドイツ統一を実現 |
| 日本 | 中曽根康弘 | 1982〜87年 | 国鉄・電電公社の民営化、規制緩和 |
石油危機後の経済の行き詰まりが、政府の役割を縮小し市場原理を重視する新自由主義の台頭を促しました。
開発途上国では、低賃金によるコスト削減を利点として外国企業を誘致し、労働集約的な工業品を先進国に輸出する経済政策が進められていきました。韓国・台湾・香港・シンガポール・ブラジル・メキシコなど新興工業経済地域(NIES)のこのような動きが、タイ・マレーシア・中国・ベトナムなどに波及していきました。
これらの国々の急速な工業化の結果、1970〜80年代には開発途上国の多くで高い経済成長率が実現しました。他方で、開発途上国のあいだでも、高い経済成長率を示す国々と、サハラ以南のアフリカのように経済成長率が低いままの国々との格差が広がっていきました。これを南南問題といいます。
先進工業国では工場が国外に流出して雇用機会が減りましたが、コンピュータなど最先端の部門の研究や生産で競争を乗り切るようになりました。1980年代にはアメリカ合衆国・西欧・日本のあいだで先端技術開発をめぐる激しい競争が発生し、自動車やコンピュータなどの部門で貿易摩擦が激化しました。貿易収支の赤字に苦しむアメリカ合衆国が、1985年のプラザ合意でドル安を容認すると、円高による不況を背景として、日本企業などは開発途上国への大規模な工場移転を開始しました。
2000年代に入ると、ブラジル・ロシア・インド・中国の4か国がBRICsと総称され、その急速な経済成長が世界的に注目されました。特に中国は、1978年の改革開放政策以降、「世界の工場」と呼ばれるほどの製造業の集積を実現し、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位の経済大国となりました。インドもIT産業を中心に急成長を遂げました。
| グループ | 主な国・地域 | 成長の時期 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| NIES | 韓国・台湾・香港・シンガポール | 1970〜80年代 | 輸出志向型工業化、先進国の技術導入 |
| ASEAN | タイ・マレーシア・インドネシアなど | 1980〜90年代 | 外国資本の誘致、輸出型工業化 |
| BRICs | ブラジル・ロシア・インド・中国 | 2000年代〜 | 豊富な資源・人口を背景に急成長 |
① 1970〜80年代:NIES(韓国・台湾・香港・シンガポール)が輸出型工業化で急成長
② 1980〜90年代:ASEAN諸国(タイ・マレーシアなど)が外資導入で工業化
③ 1978年〜:中国が改革開放政策で市場経済を導入→「世界の工場」に
④ 2000年代〜:BRICsが世界経済に大きな影響力をもつ存在に
1967年にEEC・ECSC・EURATOMの3共同体が合併して発足したEC(ヨーロッパ共同体)は、加盟国を拡大しながら経済統合を深化させていきました。1973年にはイギリス・アイルランド・デンマークが加盟し、1980年代にはギリシャ・スペイン・ポルトガルが加わって12か国体制となりました。
1987年発効の単一欧州議定書に基づき、EC は1992年末までに域内で人・モノ・資本・サービスが自由に移動できる単一市場の完成を目指しました。
1992年に調印されたマーストリヒト条約(ヨーロッパ連合条約)は、経済統合にとどまらず、共通外交・安全保障政策や司法・内務協力など政治的統合にまで踏み込みました。この条約に基づき、1993年にEU(ヨーロッパ連合)が発足しました。
EU はさらに経済統合を深め、1999年に共通通貨ユーロが決済通貨として導入され、2002年には紙幣・硬貨の流通が始まりました。ユーロは域内の為替リスクを解消し、経済交流を促進しましたが、各国の財政政策の調整という課題も残しました。
経済統合の成果をさらに発展させるために、政治的な統合へと踏み込んだのがEC→EUへの発展の核心です。
石油危機と産業構造の変容は、「歴史総合」の「グローバル化と私たち」で扱われる重要テーマです。情報革命がもたらしたグローバル化は現在の私たちの生活に直結しており、また新自由主義的な経済政策が格差の拡大を招いたとする議論は現代社会の課題として継続しています。歴史的な経緯を知ることで、現代の経済問題をより深く理解できます。
1970年代の石油危機で先進国の高度成長が終わり、産業構造が重工業からサービス業・情報産業へ転換した。スタグフレーションに対しサッチャーとレーガンが新自由主義政策を推進。アジアではNIES・ASEAN・BRICsが台頭し、ヨーロッパではECがマーストリヒト条約でEUへ発展、共通通貨ユーロが導入された。(140字)
Q1. 1973年、第4次中東戦争をきっかけにアラブ産油国が原油価格を引き上げたことで発生した経済的混乱を( )という。
Q2. 石油危機後、先進国で景気の停滞とインフレーションが同時に進行した現象を( )という。
Q3. 1979年にイギリス首相に就任し、国営企業の民営化や規制緩和などの新自由主義政策を推進した人物は( )である。
Q4. 1981年にアメリカ大統領に就任し、大規模な減税と規制緩和を柱とする経済政策(レーガノミクス)を推進した人物は( )である。
Q5. 1970〜80年代に急速な工業化を遂げた韓国・台湾・香港・シンガポールの総称を( )という。
Q6. 1967年に結成された東南アジアの地域協力機構を( )という。
Q7. 2000年代に急成長が注目されたブラジル・ロシア・インド・中国の4か国の総称を( )という。
Q8. 1992年に調印され、ECからEUへの発展の基礎となった条約を( )という。
Q9. 1993年にマーストリヒト条約に基づいて発足した、ヨーロッパの政治・経済統合組織を( )という。
Q10. 1999年に導入され、2002年に紙幣・硬貨の流通が始まったEUの共通通貨を( )という。
次の空欄に適語を入れよ。
(1) 1973年の第4次中東戦争を機に、OPEC加盟のアラブ産油国が原油価格を大幅に引き上げたことで( ア )が発生した。
(2) イギリスのサッチャー首相が推進した、国営企業の民営化や規制緩和を柱とする経済政策の考え方を( イ )という。
(3) 1970〜80年代に急速な工業化を遂げた韓国・台湾・香港・シンガポールは( ウ )と総称された。
(4) 1992年に調印され、ECからEUへの発展の基礎となった条約は( エ )である。
ア:(第1次)石油危機 イ:新自由主義(ネオリベラリズム) ウ:NIES(新興工業経済地域) エ:マーストリヒト条約
(1)について:第4次中東戦争を契機にOPECが原油価格を約4倍に引き上げ、安価な石油に依存していた先進国経済に大きな打撃を与えました。(2)について:サッチャーは「イギリス病」と呼ばれた経済停滞を打破するため、「小さな政府」を掲げて国営企業の民営化と規制緩和を断行しました。(3)について:NIESはNewly Industrializing Economiesの略で、輸出志向型の工業化に成功した国・地域を指します。(4)について:マーストリヒト条約は経済統合だけでなく共通外交・安全保障政策にまで踏み込み、ECをEUへと発展させました。
次の問いに答えよ。
(1) 石油危機後に先進国で発生した、景気の停滞とインフレーションが同時に進行する現象を何というか。
(2) アメリカのレーガン大統領の経済政策で生じた、財政赤字と貿易赤字の2つの問題を総称して何と呼ぶか。
(3) 中国が1978年から推進し、市場経済の導入と対外開放を進めた政策を何というか。
(1) スタグフレーション
(2) 双子の赤字
(3) 改革開放政策
(1)について:スタグフレーション(stagflation)は stagnation(停滞)と inflation(インフレ)を組み合わせた造語です。従来のケインズ経済学ではインフレと不況は同時に起こらないと考えられていたため、新たな経済政策が必要とされました。(2)について:レーガノミクスは大規模減税で財政赤字を、軍事費増大でさらに財政支出を拡大させる一方、高金利政策でドル高を招いて輸出が減少し貿易赤字も増大しました。(3)について:改革開放は鄧小平の主導で始まり、経済特区の設置や外国資本の導入を通じて中国経済を急成長させました。
1970年代の石油危機以降、先進国の経済政策がケインズ主義から新自由主義へ転換した背景と、その影響を「スタグフレーション」「民営化」「グローバル化」の語句を使って150字以内で説明せよ。
石油危機後、先進国では不況とインフレが同時に進行するスタグフレーションが発生し、従来のケインズ主義的政策が行き詰まった。そこでサッチャーやレーガンが規制緩和や国営企業の民営化を進める新自由主義政策を採用した。市場原理の重視は情報革命とあいまって経済のグローバル化を加速させたが、国内の格差拡大という課題も生んだ。(150字)
この問題では、石油危機→スタグフレーション→ケインズ主義の限界→新自由主義への転換→民営化・規制緩和→グローバル化の促進という因果の流れを論理的に記述することが求められます。