第19章 冷戦の終結と今日の世界

産業構造の変容
─ 情報革命・新自由主義・地域統合が変えた世界経済

1970年代の石油危機を契機に、先進国の経済は大きな転換期を迎えました。重化学工業中心の産業構造から第3次産業(サービス業・情報産業)が拡大し、コンピュータと通信技術の発展による情報革命が世界を一変させます。経済の停滞に対してイギリスのサッチャーやアメリカのレーガン新自由主義政策を推進する一方、アジアではNIESASEAN諸国が急速な工業化を遂げ、のちにBRICsと呼ばれる新興国も台頭しました。ヨーロッパではECからEUへと統合が深化し、世界経済の構造は根本的に変容していきます。

この記事のポイント
  • 1973年・1979年の石油危機を契機に先進国の経済成長が鈍化し、産業構造が重工業からサービス業・情報産業へ転換した
  • コンピュータ・インターネットの普及による情報革命が経済・社会を根本的に変えた
  • イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン新自由主義(規制緩和・民営化・「小さな政府」)を推進した
  • アジアではNIESASEANBRICsが急成長し、世界経済の重心が移動した
  • ECマーストリヒト条約(1992年)でEUに発展し、共通通貨ユーロが導入された

1石油危機と経済構造の転換

福祉国家と公害

1960年代以降、西側先進諸国では、国家が国民の福祉に手厚く配慮する福祉国家的な政策がしだいに主流となりました。第二次世界大戦以前に福祉国家化が始まっていた北欧諸国に加えて、西欧諸国でも、社会民主主義を掲げる政党がしばしば政権を担い、無償あるいは低額での教育・医療・福祉サービスを実現したほか、大規模な公共事業によって雇用の安定をはかりました。社会保障費の増大は、経済成長によって支えられました。また、アメリカ合衆国の民主党政権や日本の自由民主党政権も、同様の政策を推進しました。西側諸国における福祉の拡充は、東側諸国との体制間競争によってもうながされました。

他方で、経済成長は公害という社会問題も生みました。有毒性の汚水やガスが工場から大量に排出され、公害病による多数の犠牲者を出しました。また、河川・大気・土壌を汚染し、森林伐採や海洋の埋め立てなどの自然破壊も進みました。これに対して住民の抗議運動が広がるとともに、1972年には環境を主題とする初の国際会議である国連人間環境会議がストックホルムで開催されました。同年には、資源は有限であり、このまま経済成長を続ければいずれは限界に達するとの警鐘も、科学者らによって発せられました。

ドル=ショックとオイル=ショック

1960年代以降のアメリカ合衆国では、ベトナム戦争による巨額の戦費とともに、社会保障費の増加が重い負担となりました。1971年には、西欧と日本の経済成長により、1世紀近く続いた合衆国の貿易収支黒字も赤字に転じ、国内から金が流出しました。これを受けて同年、ニクソン大統領はドルの金兌換停止を発表して、世界に衝撃を与えました(ドル=ショック)。アメリカの経済力と金・ドル本位制を基盤とするブレトン=ウッズ体制は終わりを迎え、1973年、先進工業国の通貨は変動相場制に移行し、世界経済は合衆国・西欧・日本の三極構造に向かいはじめました。

ついで、1973年にエジプト・シリアとイスラエルとのあいだで第4次中東戦争が勃発すると、アラブ諸国を含む石油輸出国機構(OPEC)は、イスラエルを支援する西側諸国に圧力をかけるため、原油価格を引き上げました。またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)も、イスラエル支援国に対する原油輸出を禁止しました。こうしたアラブ諸国による石油戦略の結果、西側先進諸国では急激な物価高が生じました(第1次石油危機〈オイル=ショック〉)。

1979年には、イラン=イスラーム革命によって成立した新体制が欧米系石油企業を追放して原油生産を国有化すると、これをきっかけに原油価格が高騰し、第2次石油危機がおこりました。ドル=ショックとオイル=ショックは世界的な不況を引きおこし、安価な原油を前提としてきた先進国の好景気は終わりました。

経済成長の減速

まもなく立ち直った日本を除いて、西欧諸国やアメリカ合衆国の経済成長は減速しました。1975年には、世界経済の主要問題を討議するために先進国首脳会議サミット)の開催が始まりました。

産業構造の転換

オイル=ショックは、生産の規模を重視してきた経済路線に見直しをせまりました。西側先進諸国では大量生産よりも高度な技術が重要視されるようになって、量から質への産業構造の転換が始まりました。コンピュータやエレクトロニクスといったハイテクノロジー産業が本格的に形成され、省エネルギー化も追求されました。

他方、世界有数の産油国であるソ連では、原油輸出による外貨獲得が積極的に進められ、国民の生活水準も短期的には向上しました。しかし、外貨による機材の輸入に依存した結果、ソ連では産業のハイテク化や省エネ化はおこなわれず、旧式の設備が維持され、環境汚染も拡大しました。

石油危機が先進国の産業構造を変えたのはなぜか
1973年・1979年の石油危機で原油価格が急騰
安価な石油に依存していた重化学工業の採算が悪化
先進国でスタグフレーションが発生→高度経済成長の終焉
省エネルギー化が進み、サービス業・情報産業(第3次産業)が経済の中心に

石油危機はエネルギー多消費型の産業モデルを行き詰まらせ、先進国の産業構造を第2次産業中心から第3次産業中心へと転換させる契機となりました。

石油危機から産業構造変容への流れ

石油危機
スタグフレーション
新自由主義
情報革命・地域統合
197319791980年代1990年代

2情報革命 ─ コンピュータとインターネットの時代

コンピュータの発展と普及

1970年代以降、IC(集積回路)やマイクロチップの技術革新により、コンピュータは急速に小型化・低価格化しました。1980年代にはオフィスや家庭にパーソナルコンピュータ(PC)が普及し始め、情報処理のあり方が根本的に変わりました。

インターネットの登場

もともとアメリカの軍事研究ネットワークとして開発された通信技術は、1990年代にインターネットとして民間に開放されました。電子メール、ウェブサイトの普及により、世界中の情報が瞬時に共有される時代が到来しました。この情報革命(IT革命)は、18世紀の産業革命に匹敵する社会変革と評されます。

情報革命は経済のグローバル化を加速させました。金融取引が電子化されて国境を越えた資本移動が瞬時に行われるようになり、多国籍企業は世界各地に生産拠点を展開しました。また、情報技術を基盤とする新たな産業(IT産業)がアメリカのシリコンバレーなどで急成長し、経済の牽引力となりました。

3新自由主義 ─ サッチャーとレーガン

「小さな政府」への転換

オイル=ショックののち、西側先進諸国では、経済の効率性がより重視されるようになり、これは福祉国家的政策の見直しにもつながりました。社会保障費や公共事業費が国家予算に占める大きさが批判され、「小さな政府」を求める声が強まりました。

新自由主義の担い手たち

その結果、1970年代末から80年代にかけて、イギリスのサッチャー、アメリカ合衆国のレーガン、西ドイツのコール、日本の中曽根康弘などの各政権が、市場経済を最優先し、競争原理を重んじる新自由主義的な政策を打ち出しました。これらの国では電信・鉄道・航空など、非効率とされた国営・公営部門の民営化がおこなわれ、経済の規制緩和が進められました。

ここが問われる: 新自由主義の担い手たち 比較
指導者在任期間主な政策
イギリスサッチャー1979〜90年国営企業の民営化、規制緩和、労組の抑制
アメリカレーガン1981〜89年(大統領)大規模減税、規制緩和、軍事費増額
西ドイツコール1982〜98年市場経済の重視、のちにドイツ統一を実現
日本中曽根康弘1982〜87年国鉄・電電公社の民営化、規制緩和
1980年代に新自由主義が先進国で広まったのはなぜか
石油危機後、スタグフレーションが深刻化
従来のケインズ主義的な財政出動ではインフレが悪化するだけで不況を解消できない
大きな政府」(高福祉・高負担)が非効率と批判され、「小さな政府」が支持される
サッチャー・レーガンが新自由主義(民営化・規制緩和・減税)を推進

石油危機後の経済の行き詰まりが、政府の役割を縮小し市場原理を重視する新自由主義の台頭を促しました。

4新興国の台頭 ─ NIES・ASEAN・BRICs

開発途上国の工業化

開発途上国では、低賃金によるコスト削減を利点として外国企業を誘致し、労働集約的な工業品を先進国に輸出する経済政策が進められていきました。韓国台湾香港シンガポール・ブラジル・メキシコなど新興工業経済地域NIES)のこのような動きが、タイ・マレーシア・中国・ベトナムなどに波及していきました。

高い経済成長とその課題

これらの国々の急速な工業化の結果、1970〜80年代には開発途上国の多くで高い経済成長率が実現しました。他方で、開発途上国のあいだでも、高い経済成長率を示す国々と、サハラ以南のアフリカのように経済成長率が低いままの国々との格差が広がっていきました。これを南南問題といいます。

先進工業国では工場が国外に流出して雇用機会が減りましたが、コンピュータなど最先端の部門の研究や生産で競争を乗り切るようになりました。1980年代にはアメリカ合衆国・西欧・日本のあいだで先端技術開発をめぐる激しい競争が発生し、自動車やコンピュータなどの部門で貿易摩擦が激化しました。貿易収支の赤字に苦しむアメリカ合衆国が、1985年のプラザ合意でドル安を容認すると、円高による不況を背景として、日本企業などは開発途上国への大規模な工場移転を開始しました。

BRICs の台頭

2000年代に入ると、ブラジルロシアインド中国の4か国がBRICsと総称され、その急速な経済成長が世界的に注目されました。特に中国は、1978年の改革開放政策以降、「世界の工場」と呼ばれるほどの製造業の集積を実現し、2010年にはGDPで日本を抜いて世界第2位の経済大国となりました。インドもIT産業を中心に急成長を遂げました。

ここが問われる: 新興国・地域の成長の比較 比較
グループ主な国・地域成長の時期特徴
NIES韓国・台湾・香港・シンガポール1970〜80年代輸出志向型工業化、先進国の技術導入
ASEANタイ・マレーシア・インドネシアなど1980〜90年代外国資本の誘致、輸出型工業化
BRICsブラジル・ロシア・インド・中国2000年代〜豊富な資源・人口を背景に急成長
ここが問われる: 新興国の経済成長の流れ 出来事の流れ

① 1970〜80年代:NIES(韓国・台湾・香港・シンガポール)が輸出型工業化で急成長
② 1980〜90年代:ASEAN諸国(タイ・マレーシアなど)が外資導入で工業化
③ 1978年〜:中国が改革開放政策で市場経済を導入→「世界の工場」に
④ 2000年代〜:BRICsが世界経済に大きな影響力をもつ存在に

5ヨーロッパ統合 ─ ECからEUへ

EC(ヨーロッパ共同体)の発展

1967年にEEC・ECSC・EURATOMの3共同体が合併して発足したEC(ヨーロッパ共同体)は、加盟国を拡大しながら経済統合を深化させていきました。1973年にはイギリス・アイルランド・デンマークが加盟し、1980年代にはギリシャ・スペイン・ポルトガルが加わって12か国体制となりました。

単一市場の完成とマーストリヒト条約

1987年発効の単一欧州議定書に基づき、EC は1992年末までに域内で人・モノ・資本・サービスが自由に移動できる単一市場の完成を目指しました。

1992年に調印されたマーストリヒト条約(ヨーロッパ連合条約)は、経済統合にとどまらず、共通外交・安全保障政策や司法・内務協力など政治的統合にまで踏み込みました。この条約に基づき、1993年にEUヨーロッパ連合)が発足しました。

共通通貨ユーロの導入

EU はさらに経済統合を深め、1999年に共通通貨ユーロが決済通貨として導入され、2002年には紙幣・硬貨の流通が始まりました。ユーロは域内の為替リスクを解消し、経済交流を促進しましたが、各国の財政政策の調整という課題も残しました。

ヨーロッパ統合の深化
  • 1967年 EC(ヨーロッパ共同体)の発足
  • 1973年 イギリス・アイルランド・デンマークがECに加盟
  • 1987年 単一欧州議定書の発効→域内単一市場の実現へ
  • 1992年 マーストリヒト条約調印→経済統合から政治統合へ
  • 1993年 EU(ヨーロッパ連合)の発足
  • 1999年 共通通貨ユーロの導入(2002年に紙幣・硬貨の流通開始)
ヨーロッパ統合が経済統合から政治統合へ進んだのはなぜか
ECが域内の関税撤廃単一市場の形成に成功
冷戦終結後、アメリカ・日本との経済競争に対抗するためさらなる統合が必要に
経済統合を深めるには通貨・外交・安全保障の政治的な統合も不可欠と認識される
マーストリヒト条約でECからEUへ発展、共通通貨ユーロを導入

経済統合の成果をさらに発展させるために、政治的な統合へと踏み込んだのがEC→EUへの発展の核心です。

6他の時代・地域とのつながり

  • 12-1 産業革命:18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は工場制機械工業を生み出しました。20世紀後半の情報革命は、これに匹敵する規模の社会変革であり、生産の中心を工業から情報・サービス産業へと移行させました。
  • 14-1 西アジアの変容:石油危機の舞台となった中東の産油国は、第4次中東戦争とイラン革命をきっかけに石油を「政治的武器」として使いました。OPECの行動が先進国の経済構造を変えた好例です。
  • 18-3 冷戦の動揺:冷戦下のアメリカとソ連の対立構造のなかで、新自由主義はソ連型の計画経済への対抗として位置づけられます。市場経済の優位を主張するレーガンの政策は冷戦の帰結にも影響を与えました。
  • 19-2 冷戦の終結:本記事で学んだ新自由主義と情報革命による西側経済の変容は、社会主義体制との経済格差を拡大させ、冷戦の終結を促す要因の一つとなりました。
歴史総合とのつながり

石油危機と産業構造の変容は、「歴史総合」の「グローバル化と私たち」で扱われる重要テーマです。情報革命がもたらしたグローバル化は現在の私たちの生活に直結しており、また新自由主義的な経済政策が格差の拡大を招いたとする議論は現代社会の課題として継続しています。歴史的な経緯を知ることで、現代の経済問題をより深く理解できます。

記事全体の要約

1970年代の石油危機で先進国の高度成長が終わり、産業構造が重工業からサービス業・情報産業へ転換した。スタグフレーションに対しサッチャーとレーガンが新自由主義政策を推進。アジアではNIES・ASEAN・BRICsが台頭し、ヨーロッパではECがマーストリヒト条約でEUへ発展、共通通貨ユーロが導入された。(140字)

7確認クイズ

Q1. 1973年、第4次中東戦争をきっかけにアラブ産油国が原油価格を引き上げたことで発生した経済的混乱を(  )という。

クリックして解答を表示
第1次石油危機(オイルショック)

Q2. 石油危機後、先進国で景気の停滞とインフレーションが同時に進行した現象を(  )という。

クリックして解答を表示
スタグフレーション

Q3. 1979年にイギリス首相に就任し、国営企業の民営化や規制緩和などの新自由主義政策を推進した人物は(  )である。

クリックして解答を表示
サッチャー

Q4. 1981年にアメリカ大統領に就任し、大規模な減税と規制緩和を柱とする経済政策(レーガノミクス)を推進した人物は(  )である。

クリックして解答を表示
レーガン

Q5. 1970〜80年代に急速な工業化を遂げた韓国・台湾・香港・シンガポールの総称を(  )という。

クリックして解答を表示
NIES(新興工業経済地域)

Q6. 1967年に結成された東南アジアの地域協力機構を(  )という。

クリックして解答を表示
ASEAN(東南アジア諸国連合)

Q7. 2000年代に急成長が注目されたブラジル・ロシア・インド・中国の4か国の総称を(  )という。

クリックして解答を表示
BRICs

Q8. 1992年に調印され、ECからEUへの発展の基礎となった条約を(  )という。

クリックして解答を表示
マーストリヒト条約(ヨーロッパ連合条約)

Q9. 1993年にマーストリヒト条約に基づいて発足した、ヨーロッパの政治・経済統合組織を(  )という。

クリックして解答を表示
EU(ヨーロッパ連合)

Q10. 1999年に導入され、2002年に紙幣・硬貨の流通が始まったEUの共通通貨を(  )という。

クリックして解答を表示
ユーロ

8入試レベル問題

A 基礎レベル

問1 A 基礎 一問一答

次の空欄に適語を入れよ。

(1) 1973年の第4次中東戦争を機に、OPEC加盟のアラブ産油国が原油価格を大幅に引き上げたことで( ア )が発生した。

(2) イギリスのサッチャー首相が推進した、国営企業の民営化や規制緩和を柱とする経済政策の考え方を( イ )という。

(3) 1970〜80年代に急速な工業化を遂げた韓国・台湾・香港・シンガポールは( ウ )と総称された。

(4) 1992年に調印され、ECからEUへの発展の基礎となった条約は( エ )である。

クリックして解答・解説を表示
解答

ア:(第1次)石油危機 イ:新自由主義(ネオリベラリズム) ウ:NIES(新興工業経済地域) エ:マーストリヒト条約

解説

(1)について:第4次中東戦争を契機にOPECが原油価格を約4倍に引き上げ、安価な石油に依存していた先進国経済に大きな打撃を与えました。(2)について:サッチャーは「イギリス病」と呼ばれた経済停滞を打破するため、「小さな政府」を掲げて国営企業の民営化と規制緩和を断行しました。(3)について:NIESはNewly Industrializing Economiesの略で、輸出志向型の工業化に成功した国・地域を指します。(4)について:マーストリヒト条約は経済統合だけでなく共通外交・安全保障政策にまで踏み込み、ECをEUへと発展させました。

B 標準レベル

問2 B 標準 一問一答

次の問いに答えよ。

(1) 石油危機後に先進国で発生した、景気の停滞とインフレーションが同時に進行する現象を何というか。

(2) アメリカのレーガン大統領の経済政策で生じた、財政赤字と貿易赤字の2つの問題を総称して何と呼ぶか。

(3) 中国が1978年から推進し、市場経済の導入と対外開放を進めた政策を何というか。

クリックして解答・解説を表示
解答

(1) スタグフレーション

(2) 双子の赤字

(3) 改革開放政策

解説

(1)について:スタグフレーション(stagflation)は stagnation(停滞)と inflation(インフレ)を組み合わせた造語です。従来のケインズ経済学ではインフレと不況は同時に起こらないと考えられていたため、新たな経済政策が必要とされました。(2)について:レーガノミクスは大規模減税で財政赤字を、軍事費増大でさらに財政支出を拡大させる一方、高金利政策でドル高を招いて輸出が減少し貿易赤字も増大しました。(3)について:改革開放は鄧小平の主導で始まり、経済特区の設置や外国資本の導入を通じて中国経済を急成長させました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

1970年代の石油危機以降、先進国の経済政策がケインズ主義から新自由主義へ転換した背景と、その影響を「スタグフレーション」「民営化」「グローバル化」の語句を使って150字以内で説明せよ。

クリックして解答・解説を表示
解答例

石油危機後、先進国では不況とインフレが同時に進行するスタグフレーションが発生し、従来のケインズ主義的政策が行き詰まった。そこでサッチャーやレーガンが規制緩和や国営企業の民営化を進める新自由主義政策を採用した。市場原理の重視は情報革命とあいまって経済のグローバル化を加速させたが、国内の格差拡大という課題も生んだ。(150字)

解説

この問題では、石油危機→スタグフレーション→ケインズ主義の限界→新自由主義への転換→民営化・規制緩和→グローバル化の促進という因果の流れを論理的に記述することが求められます。

採点ポイント
  • 石油危機とスタグフレーションの因果関係が述べられている
  • ケインズ主義の限界から新自由主義への転換が説明されている
  • 民営化・規制緩和など新自由主義の具体的政策に触れている
  • グローバル化への影響が記述されている