第18章 冷戦と第三世界の台頭

冷戦の展開
─ 東西対立の構造化と世界への波及

第二次世界大戦が終結すると、戦時中に連合国として協力していたアメリカとソ連の対立が表面化しました。アメリカを中心とする西側陣営(資本主義・自由主義)とソ連を中心とする東側陣営(社会主義)は、直接の全面戦争を避けながらも、軍事同盟・核兵器・代理戦争を通じて激しく対立しました。この対立は冷戦と呼ばれ、ヨーロッパの分断、ドイツの東西分裂、アジアでの熱戦(朝鮮戦争・インドシナ戦争)を引き起こし、国際秩序を規定する枠組みとなりました。
この記事では、冷戦の成立から1950年代前半までの展開を学びます。

この記事のポイント
  • 第二次世界大戦後、米ソの対立が深まり、トルーマン=ドクトリンマーシャル=プランを契機に冷戦が本格化した
  • 西側はNATO、東側はワルシャワ条約機構を結成し、軍事的に対峙する構造が固まった
  • ベルリン封鎖を経てドイツは東西に分裂し、冷戦の最前線となった
  • アジアでは中華人民共和国が成立し、朝鮮戦争インドシナ戦争が冷戦の「熱戦」として展開された
  • 米ソ両国は核兵器の開発競争を繰り広げ、相互に抑止する核の均衡が冷戦構造を支えた

1冷戦の成立 ─ 米ソ対立の始まり

戦後世界の二極構造

第二次世界大戦後、ヨーロッパの旧来の列強は疲弊し、世界の主導権はアメリカソ連の二大国に移りました。両国は戦時中こそ反ファシズムのもとで協力していましたが、戦後の世界秩序をめぐる構想は根本的に異なっていました。

東ヨーロッパの国々は、大戦末期からのソ連軍の進駐によってその勢力下におかれました。1946年、イギリスの前首相チャーチルは、ソ連がバルト海からアドリア海まで「鉄のカーテン」をおろしていると批判しました。ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニアでは、ソ連のあと押しを受けた共産党により、人民民主主義と呼ばれる社会主義体制が築かれ、土地改革と計画経済が導入されました。1948年2月、議会制民主主義を堅持していたチェコスロヴァキアでも、共産党がクーデタによって実権を掌握しました。一方、ティトー率いるパルチザンによってナチス=ドイツからの自力解放に成功したユーゴスラヴィアは、ソ連支配に反発して自主路線をとったため、1948年にコミンフォルムから除名されました。

トルーマン=ドクトリンとマーシャル=プラン

1947年、ギリシアにおける王党派と共産党派の内戦をきっかけに、米ソの対立は本格的なものとなりました。財政難に苦しむイギリスが王党派の支援から手を引くと、トルーマン米大統領はギリシアとトルコに対する経済・軍事援助を議会に要請し、ソ連勢力の拡張に対する「封じ込め」政策トルーマン=ドクトリン)を宣言しました。

ついでマーシャル国務長官が、ヨーロッパ復興のための財政支援計画(マーシャル=プラン)を発表しました。西ヨーロッパ諸国はこれを受け入れたほか、チェコスロヴァキアなどいくつかの東欧諸国にも同様の動きがありましたが、ソ連はそれを拒否させました。

ソ連は陣営の結束をはかり、1947年9月に各国共産党の情報交換機関としてコミンフォルム(共産党情報局)を結成しました。こうして、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営(西側)と、ソ連を盟主とする社会主義陣営(東側)のあいだで、冷戦と呼ばれる事態が高まっていきました。冷戦はたんなる勢力争いではなく、資本主義と社会主義の優劣をめぐる世界観の対立でもありました。さらにソ連と東欧諸国は、1949年1月、マーシャル=プランとブレトン=ウッズ体制に対抗して経済相互援助会議コメコン)を創設しました。

第二次世界大戦後に米ソ対立が激化したのはなぜか
戦時中の共通の敵(ナチス=ドイツ・日本)が消滅→協力の前提が失われる
ソ連が東ヨーロッパに人民民主主義体制を次々と樹立→アメリカが「共産主義の拡大」と危機感
アメリカがトルーマン=ドクトリンで封じ込め政策を宣言、マーシャル=プランで西欧を経済的に囲い込む
ソ連がコミンフォルムコメコンで対抗→東西陣営が明確に分裂

戦時中の協力関係が崩れた後、イデオロギーと安全保障の対立が連鎖的にエスカレートし、冷戦が構造化していきました。

ここが問われる: 冷戦初期の米ソの対抗措置の対応関係 比較
分野西側(アメリカ中心)東側(ソ連中心)
政治・イデオロギートルーマン=ドクトリン(1947年)コミンフォルム(1947年)
経済マーシャル=プラン(1947年)コメコン(1949年)
軍事同盟NATO(1949年)ワルシャワ条約機構(1955年)

冷戦の成立と展開の流れ

対立の顕在化
陣営の形成
アジアへの波及
核の均衡
1945194719491953

2ベルリン封鎖とドイツの東西分裂

占領下のドイツ

敗戦国ドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国によって分割占領されました。首都ベルリンもまた4か国の共同管理下に置かれましたが、ベルリン自体はソ連占領地域のなかに位置していました。

ベルリン封鎖と大空輸

1948年6月、ソ連は西側地区の通貨改革に反対し、西ベルリンへの交通を遮断しました(ベルリン封鎖)。西側3か国は生活必需品の空輸で対抗し、1年ほどで封鎖は解除されましたが、東西ベルリンは分断されました。

ドイツの東西分裂

1949年5月にボンを首都としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、同年10月にはベルリンを首都としてドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し、ドイツの東西分立が決定しました。こうしてドイツは冷戦の最前線となり、東西対立の象徴となりました。

ベルリン封鎖が起きたのはなぜか
西側3か国がドイツ西側占領地域で通貨改革を実施し、経済統合を推進
ソ連が「西側によるドイツ分裂の既成事実化」に反発
ソ連が西ベルリンへの陸上交通路を封鎖して西側に圧力をかける
西側が大空輸作戦で対抗→封鎖は約1年で解除されるが、ドイツの東西分裂が確定
ここが問われる: ベルリン封鎖からドイツ分裂への流れ 出来事の流れ

① 1948年 西側3か国が通貨改革を実施
② ソ連がベルリン封鎖(西ベルリンへの陸上交通を遮断)
③ 西側が大空輸作戦で物資を空輸(約1年間)
④ 1949年 封鎖解除→ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立

3軍事同盟の形成と核軍拡競争

NATOとワルシャワ条約機構

ソ連による東欧支配の強化に対抗して、西欧5か国は1948年3月に西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)を結びました。1949年4月には、アメリカ合衆国とカナダを含めた西側12か国が北大西洋条約機構NATO)を結成し、武力侵略に対して共同で防衛することをとりきめました。アメリカの積極姿勢は、かつてヨーロッパ情勢に介入しなかったためにナチス=ドイツの強大化をまねいたことへの反省をふまえていました。

これに対抗して、1955年5月、ソ連と東ヨーロッパ諸国は共同防衛を定めたワルシャワ条約機構(東ヨーロッパ相互援助条約)を発足させました。これにより、ヨーロッパはNATOとワルシャワ条約機構が軍事的に対峙する構造が確立しました。

ヨーロッパ統合の始まり

冷戦という脅威を前に、西ヨーロッパ諸国は経済的な統合を進めることで再建と安定を図りました。1952年、フランス・西ドイツ・イタリア・ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)の6か国は、石炭と鉄鋼の生産を共同管理するヨーロッパ石炭鉄鋼共同体ECSC)を発足させました。1958年には同じ6か国がヨーロッパ経済共同体EEC)を結成し、共同市場の形成をめざしました。EECは1967年にECSCや原子力共同体と合体してヨーロッパ共同体EC)となり、ヨーロッパ統合の基盤となりました。

核軍拡競争

核開発で先行していたアメリカ合衆国は、当初、圧倒的な軍事上の優位を誇っていました。しかし、1949年にソ連が原子爆弾の開発に成功して、合衆国による核兵器の独占を崩しました。1952年にはイギリスも原子爆弾を保有しました。

同年、合衆国は原子爆弾よりも強大な破壊力をもつ水素爆弾(水爆)の実験に成功しましたが、翌1953年にはソ連も水爆を保有しました。核開発競争の過熱とともに、核戦争の脅威が高まり、またあいつぐ核実験は、「死の灰」と呼ばれた放射能による犠牲者を生みました。こうした事態に対して、核兵器廃絶と平和を訴える運動も世界各地に広がりました。米ソ両国は互いに大量の核兵器を保有するようになり、相手国を壊滅させる能力をもちながらも、報復を恐れて全面戦争に踏み切れないという核の均衡恐怖の均衡)が成立しました。この核抑止の構造が、冷戦を直接的な全面戦争に発展させない要因の一つとなりました。

核兵器廃絶運動の高まり

1954年、アメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験(ビキニ水爆実験)では、近海で操業中の日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員が「死の灰」を浴びました。この事件は世界に衝撃を与え、1955年には日本で原水爆禁止世界大会が開催されました。同年、哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインは核廃絶と科学者の社会的責任を訴えるラッセル=アインシュタイン宣言を発表し、1957年には科学者たちが核兵器廃絶を訴えてパグウォッシュ会議を創設しました。

発展:冷戦が「冷たい戦争」にとどまった理由

冷戦(Cold War)という呼称は、米ソが直接的な武力衝突(「熱い戦争」)を回避しつつ対立を続けたことに由来します。米ソ双方が大量の核兵器を保有するようになったため、全面戦争に踏み切れない状況が生まれ、対立は軍拡競争・代理戦争・宇宙開発競争などの形で展開されました。

ここが問われる: 核兵器開発の進展 出来事の流れ

① 1945年 アメリカが原爆を開発・使用(広島・長崎)
② 1949年 ソ連が原爆実験に成功→アメリカの核独占が崩壊
③ 1952年 アメリカが水爆実験に成功
④ 1953年 ソ連も水爆実験に成功→核の均衡(恐怖の均衡)の成立

4中華人民共和国の成立 ─ アジアの冷戦構造

国共内戦の結末

第二次世界大戦の終結によって中国は戦勝国となり、5大国の1つとして国際的地位を高めましたが、国内では主導権の維持をはかる国民党と、大戦中に勢力を拡大した共産党との対立が激化しました。インフレーションを引きおこした経済政策の失敗や一党独裁傾向を強めたことによって国民党政権が支持を失ったのに対し、共産党は支配地域で土地改革を実行し、農村の物資動員と兵員確保に成功しました。

共産党は1949年9月、国民党統治に反対する諸勢力を北京の人民政治協商会議に結集しました。会議は10月中華人民共和国の成立を宣言し、首都を北京に定めました。敗れた国民党の蒋介石台湾に逃れ、そこで中華民国政府を維持しました。こうして中国大陸には社会主義体制の巨大な国家が誕生し、東アジアの冷戦構造に大きな影響を与えました。

1950年2月には中ソ友好同盟相互援助条約が調印され、中国は社会主義陣営に属する立場を明らかにしました。中華人民共和国は、社会主義国をはじめインド・イギリスなどから承認されましたが、アメリカ合衆国は台湾の中華民国政府を中国の正式代表とする立場をとりました。

ここが問われる: 中華人民共和国の成立と冷戦への影響 結果・影響

① 国共内戦で毛沢東の共産党が勝利→1949年、中華人民共和国が成立
蒋介石の国民党は台湾に撤退(中華民国政府を維持)
③ 中華人民共和国がソ連と中ソ友好同盟相互援助条約を締結(1950年)→東側陣営に参加
④ アメリカは台湾の国民党政府を承認→東アジアの冷戦構造が確立

5朝鮮戦争 ─ 冷戦初の「熱戦」

朝鮮半島の分断

朝鮮は1943年のカイロ会談で独立が約束されていましたが、戦後は北緯38度線を境に、北をソ連が、南をアメリカ合衆国が占領下におきました。米ソ対立が激化するなかで、南部では1948年に合衆国から帰国した李承晩を大統領として大韓民国(韓国)が、北部では金日成を首相として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の独立が宣言され、南北が分立しました。

朝鮮戦争の展開

1950年6月、北朝鮮は南北統一をめざし、境界線である38度線をこえて侵攻し、朝鮮戦争が始まりました。北朝鮮軍は朝鮮半島南端の釜山にせまりましたが、安保理は北朝鮮軍の行動を侵略とみなし、その勧告に応じた、アメリカ軍を中心とする国連軍が韓国の支援に向かいました。

国連軍が反撃して中国国境付近にせまると、中国は北朝鮮を支援するために人民義勇軍を派遣しました。戦線は38度線付近に押し戻されて膠着し、1953年に休戦協定が成立しましたが、現在に至る南北の分断が固定化されました。

朝鮮戦争が冷戦の構造を固定化させたのはなぜか
北朝鮮が38度線を越えて韓国に侵攻→アメリカ主体の国連軍が参戦
中国が北朝鮮を支援するために人民義勇軍を派遣→米中が事実上の交戦状態に
アメリカは日本を反共の拠点として重視→日米安全保障条約の締結(1951年)
東アジアにおける西側と東側の対立構造が明確に固定化

朝鮮戦争は冷戦がアジアで「熱戦」に転化した最初の事例であり、この戦争を通じて東アジアの冷戦構造が確立しました。

朝鮮戦争の影響
  • 現在に至る朝鮮半島の南北分断が固定化
  • 朝鮮戦争が始まるとアメリカが艦隊を台湾海峡へ派遣→中国と台湾の分断も固定化
  • 日本では警察予備隊(のちの自衛隊)が設置
  • 1951年、日本がサンフランシスコ平和条約に調印して独立を回復、同時に日米安全保障条約も締結

6インドシナ戦争 ─ 植民地解放と冷戦の交差

東南アジアでも冷戦と植民地独立運動が交差する紛争が展開されました。フランス領インドシナでは、ホー=チ=ミンベトナム独立同盟会ベトミン)を組織し、終戦直後ベトナム民主共和国の独立を宣言しました。フランスはこれを認めませんでした。

フランスは1949年にバオダイを立てて、フランス連合内の一国としてベトナム国を発足させる一方、ベトナム民主共和国と交戦を続けました(インドシナ戦争)。冷戦の文脈で中国とソ連はベトナム民主共和国を、アメリカはフランスを支援しました。

1954年5月にディエンビエンフーで大敗したフランスは、7月にベトナム民主共和国とジュネーヴ休戦協定を結んでインドシナから撤退し、北緯17度線を暫定的な軍事境界線として南北をわけ、2年後の南北統一選挙が予定されました。しかし、アメリカ合衆国は東南アジアにおける社会主義勢力の拡大を阻止するために休戦協定の調印を拒否し、1955年には合衆国に支援されたゴ=ディン=ジエム政権が南部にベトナム共和国を樹立したため、ベトナムは南北に分断されました。

ここが問われる: インドシナ戦争の経過 出来事の流れ

① 1945年 ホー=チ=ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言
② 1946年 フランスがインドシナの植民地回復を図りインドシナ戦争が開始
③ 冷戦の文脈で中ソが北ベトナムを、アメリカがフランスを支援
④ 1954年 ディエンビエンフーでフランスが大敗→ジュネーヴ休戦協定でベトナムが南北に暫定分割

7他の時代・地域とのつながり

  • 17-1 世界恐慌とヴェルサイユ体制の破壊:世界恐慌とファシズムの台頭が第二次世界大戦を引き起こし、戦後の米ソ二極構造への移行をもたらしました。冷戦は第二次世界大戦の直接的な帰結です。
  • 17-3 新しい国際秩序の形成:国際連合やブレトン=ウッズ体制など、戦後に構築された国際秩序は冷戦によって東西に分断されて運用されることになりました。
  • 18-2 第三世界の台頭:冷戦の東西対立に対して、アジア・アフリカの新興独立国は第三勢力として非同盟運動を展開しました。冷戦構造が第三世界の動きの前提条件です。
  • 19章(冷戦の終結):本記事で学んだ冷戦構造は、1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連解体まで約40年間にわたって国際秩序を規定し続けました。
歴史総合とのつながり

冷戦は「歴史総合」の「グローバル化と私たち」で中心的に扱われるテーマです。東西冷戦の構造が現在の国際関係にも影響を与えていること(NATOの存続、朝鮮半島の分断、日米安全保障体制など)を理解することが重要です。冷戦を「過去の歴史」としてだけでなく、現代世界の枠組みを形成した出来事として捉える視点が求められます。

記事全体の要約

第二次世界大戦後、米ソの対立が深まり、トルーマン=ドクトリンとマーシャル=プランを契機に冷戦が始まった。ベルリン封鎖を経てドイツは東西に分裂し、NATOとワルシャワ条約機構が軍事的に対峙した。アジアでは中華人民共和国が成立し、朝鮮戦争・インドシナ戦争が冷戦の「熱戦」として展開された。米ソの核軍拡競争は恐怖の均衡を生み、冷戦構造を固定化させた。(167字)

8確認クイズ

Q1. 1946年、チャーチルがヨーロッパの東西分断を表現した言葉は「(  )」である。

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鉄のカーテン

Q2. 1947年、共産主義の拡大を封じ込める方針を宣言したアメリカ大統領は(  )である。

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トルーマン

Q3. アメリカのマーシャル国務長官が発表したヨーロッパ経済復興計画を(  )という。

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マーシャル=プラン

Q4. 1948〜49年にソ連が西ベルリンへの陸上交通路を遮断した出来事を(  )という。

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ベルリン封鎖

Q5. 1949年にアメリカ・カナダと西ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟を(  )という。

クリックして解答を表示
北大西洋条約機構(NATO)

Q6. 1949年に毛沢東が成立を宣言した国は(  )である。

クリックして解答を表示
中華人民共和国

Q7. 1950年に北朝鮮が38度線を越えて韓国に侵攻したことで始まった戦争を(  )という。

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朝鮮戦争

Q8. 朝鮮戦争で中華人民共和国が派遣した軍を(  )という。

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人民義勇軍

Q9. インドシナ戦争でベトナム民主共和国を率いた指導者は(  )である。

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ホー=チ=ミン

Q10. 1955年にソ連と東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟を(  )という。

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ワルシャワ条約機構

9入試レベル問題

A 基礎レベル

問1 A 基礎 一問一答

次の空欄に適語を入れよ。

(1) 1947年にアメリカが発表した共産主義封じ込め政策を( ア )という。

(2) ソ連が1947年に各国共産党の連携強化のために結成した組織を( イ )という。

(3) 1949年に西側占領地域に成立したドイツの国名を( ウ )という。

(4) 1949年に毛沢東が成立を宣言した国の国名を( エ )という。

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解答

ア:トルーマン=ドクトリン イ:コミンフォルム(共産党情報局) ウ:ドイツ連邦共和国(西ドイツ) エ:中華人民共和国

解説

(1)について:トルーマン=ドクトリンはギリシア・トルコへの援助を議会に要請する際に宣言されたもので、冷戦期のアメリカの対ソ政策の基本方針となりました。(2)について:コミンフォルムは東側諸国の共産党間の情報交換と路線調整を目的とした組織です。(3)について:首都はボンに置かれました。東側にはドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立しました。(4)について:敗れた国民党の蒋介石は台湾に撤退しました。

B 標準レベル

問2 B 標準 一問一答

次の問いに答えよ。

(1) ベルリン封鎖が起きた直接の契機を、「通貨」の語句を使って簡潔に説明せよ。

(2) 朝鮮戦争で、国連安全保障理事会がソ連の拒否権なしに北朝鮮を侵略と認定できた理由を答えよ。

(3) インドシナ戦争でフランス軍が大敗した1954年の戦いの名称を答えよ。

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解答

(1) 西側3か国がドイツ西側占領地域に新通貨を導入して経済統合を進めたことに、ソ連が反発したため。

(2) ソ連が安全保障理事会を欠席していたため。

(3) ディエンビエンフーの戦い

解説

(1)について:西側3か国による通貨改革は、西側占領地域の経済的統合を意味し、ソ連はこれをドイツ分裂の既成事実化と見なして、西ベルリンへの陸上交通路を封鎖する強硬策に出ました。(2)について:ソ連は中華人民共和国の国連代表権問題に抗議して安全保障理事会を欠席しており、拒否権を行使できませんでした。(3)について:ディエンビエンフーの戦い(1954年)でのフランス軍の敗北により、ジュネーヴ休戦協定が締結され、フランスはインドシナから撤退しました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

1947年から1953年までの冷戦の展開について、ヨーロッパとアジアの両方に触れながら、「封じ込め」「NATO」「朝鮮戦争」の語句を使って150字以内で説明せよ。

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解答例

アメリカはトルーマン=ドクトリンで封じ込め政策を宣言し、マーシャル=プランで西欧を経済的に支援した。ベルリン封鎖を経てドイツが東西に分裂すると、西側諸国はNATOを結成して軍事的に結束した。アジアでは中華人民共和国の成立後、朝鮮戦争が勃発して米中が事実上交戦し、東アジアにも冷戦の対立構造が広がった。(149字)

解説

この問題では、冷戦がヨーロッパで始まりアジアにも波及した過程を時系列で論理的に記述することが求められます。ヨーロッパ(封じ込め→ベルリン封鎖→NATO)とアジア(中華人民共和国の成立→朝鮮戦争)の両方に触れる必要があります。

採点ポイント
  • 封じ込め政策(トルーマン=ドクトリン)の内容に触れている
  • NATOの結成をヨーロッパにおける冷戦の軍事的展開として説明している
  • 朝鮮戦争をアジアにおける冷戦の展開として位置づけている
  • ヨーロッパとアジアの両方に言及し、冷戦の地理的拡大を述べている