第17章 第二次世界大戦と新しい国際秩序の形成

新しい国際秩序の形成
─ 国際連合・ブレトン=ウッズ体制・戦後処理と冷戦の始まり

第二次世界大戦の終結とともに、戦後の国際秩序が形づくられていきます。国際連合が設立され、安全保障理事会の常任理事国に拒否権が与えられました。経済面ではブレトン=ウッズ体制のもと、IMF世界銀行GATTが国際経済の安定を担いました。一方で、ニュルンベルク裁判東京裁判による戦争犯罪の追及や、ポツダム協定に基づく戦後処理が進む中、米ソの対立が深まり、冷戦が始まります。
この記事では、戦後世界を規定した新しい国際秩序の全体像を学びます。

この記事のポイント
  • 国際連合が1945年に設立され、安全保障理事会の常任理事国5か国に拒否権が認められた
  • ブレトン=ウッズ体制のもと、IMF・世界銀行・GATTが国際経済秩序の基盤となった
  • ニュルンベルク裁判東京裁判で、戦争犯罪・人道に対する罪が初めて国際的に裁かれた
  • ポツダム協定に基づきドイツの分割管理と非ナチ化が進められた
  • 米ソの対立が深まり、トルーマン=ドクトリンマーシャル=プランによって冷戦が本格化した

1国際連合の成立 ─ 新たな国際機構の誕生

大戦中の構想から設立へ

大西洋憲章を具体化するため、1944年8月〜10月、米・英・ソ・中はダンバートン=オークス会議を開き、国際連合憲章の原案をまとめました。これが1945年4月〜6月のサンフランシスコ会議で採択され、同年10月に国際連合(国連、United Nations)が発足しました。原加盟国は51か国で、本部はニューヨークにおかれました。

安全保障理事会と拒否権

対等な全加盟国によって構成され、意思決定を多数決とする総会をおく一方で、安全保障理事会(安保理)には強い権限が与えられました。常任理事国であるアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中華民国(米・英・仏・ソ・中)の5大国は拒否権を行使でき、そのほかに非常任理事国が構成されました。常任理事国の1か国でも反対すれば決議は成立しないこの仕組みは、大国一致の原則と呼ばれます。

国際連盟との違い

国際連盟の理想主義が機能不全をまねいた反省から、国際連合では加盟国間の平等をはかりつつも、現実の力関係が制度に反映されました。経済制裁のみならず軍事的手段による紛争解決をおこなえるようにもなりました。さらに、国際連合はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)・国際労働機関(ILO)・世界保健機関(WHO)などの専門機関と連携して、様々な分野で国際協力を進めることとなりました。また、国際連合は1948年の第3回総会で世界人権宣言を採択し、人権の国際的な基準を提示しました。

ここが問われる: 国際連盟と国際連合の比較 比較
項目国際連盟(1920年〜)国際連合(1945年〜)
設立の契機第一次世界大戦後第二次世界大戦後
本部ジュネーヴ(スイス)ニューヨーク(アメリカ)
アメリカ不参加原加盟国・常任理事国
意思決定全会一致総会は多数決、安保理は大国一致の原則
制裁手段経済制裁のみ(軍事力なし)経済制裁+軍事的手段による紛争解決
常任理事国英・仏・伊・日米・英・仏・ソ連・中華民国(拒否権あり)
国際連合で常任理事国に拒否権が認められたのはなぜか
国際連盟ではアメリカが不参加で、大国の協力を得られず実効性がなかった
新たな国際機構には大国の参加と協力が不可欠と認識される
大国が自国の利益に反する決議を恐れず参加できるよう拒否権を付与
大国一致の原則:5大国すべてが賛成しなければ安保理決議は成立しない

拒否権は大国の参加を確保するための仕組みでしたが、冷戦期には米ソの対立で安保理が機能不全に陥る原因ともなりました。

2ブレトン=ウッズ体制 ─ 国際経済秩序の構築

ブレトン=ウッズ会議

国際金融・経済面での協力体制を築くために、1944年7月、連合国の代表はアメリカ合衆国のブレトン=ウッズに集まりました。ブロック経済によって世界経済が分断された戦前の反省をふまえ、貿易の自由化によって世界平和を支えることを目的とした新たな国際経済体制が構築されました。

IMF・世界銀行・GATT

ブレトン=ウッズ体制の柱は3つの国際経済機構です。国際通貨基金IMF)と国際復興開発銀行IBRD世界銀行)の設立に合意し、1945年12月に両組織は発足しました。各国通貨はドルとの固定相場制をとり、ドルは金と交換可能(金1オンス=35ドル)とされました。アメリカ合衆国の圧倒的な経済力を支えにして、ドルを基軸通貨とする金・ドル本位制が導入されました。また、関税などの貿易障壁の撤廃をうながす協定として、1948年に「関税と貿易に関する一般協定」(GATT)が発足しました。この新たな国際経済の仕組みをブレトン=ウッズ体制と呼びます。

ここが問われる: ブレトン=ウッズ体制を支えた3つの機構 比較
機構正式名称主な役割
IMF国際通貨基金為替相場の安定・国際収支の調整
世界銀行国際復興開発銀行(IBRD)戦後復興・途上国開発への長期融資
GATT関税と貿易に関する一般協定関税引き下げ・自由貿易の促進
ブレトン=ウッズ体制が構築された背景にあるのはどのような反省か
1930年代、世界恐慌に対して各国がブロック経済為替切り下げ競争に走った
国際貿易が縮小し、「持たざる国」の不満→ファシズム台頭第二次世界大戦の遠因に
同じ過ちを繰り返さないために、自由貿易通貨安定の国際的枠組みを構築
IMF(通貨安定)・世界銀行(復興開発融資)・GATT(自由貿易)の3本柱でブレトン=ウッズ体制を確立

ブレトン=ウッズ体制は、戦間期の経済的失敗を繰り返さないための国際的な仕組みであり、戦後の自由主義経済秩序の基盤となりました。

発展:なぜドルが基軸通貨になったのか

第二次世界大戦後、アメリカは世界の金の約7割を保有する圧倒的な経済大国でした。そのためドルを金と交換可能な唯一の通貨とし、各国通貨をドルに対して固定する仕組みが成立しました。この「金ドル本位制」はアメリカの経済的優位を前提としたもので、1971年のニクソン=ショック(ドルと金の交換停止)で崩壊します。ブレトン=ウッズ体制がどのように終わったかを理解するには、まずこの仕組みの成り立ちを押さえることが重要です。

3戦争犯罪の裁き ─ ニュルンベルク裁判と東京裁判

ニュルンベルク裁判

ニュルンベルク国際軍事裁判所が設置され、ナチス=ドイツ指導者の戦争犯罪が追及されました。従来の戦時国際法違反以外に、新たに設定された平和に対する罪人道に対する罪が問われ、ナチス=ドイツの指導者12名が死刑判決を受けました。

東京裁判(極東国際軍事裁判)

さらに、東京に極東国際軍事裁判所東京裁判)が設置されて戦争犯罪が裁かれ、東条英機元首相ら7名が死刑判決を受けました。

ここが問われる: ニュルンベルク裁判と東京裁判の比較 比較
項目ニュルンベルク裁判東京裁判
時期1945〜46年1946〜48年
対象ナチス=ドイツの指導者日本の政府・軍部の指導者
罪状平和に対する罪・戦争犯罪・人道に対する罪平和に対する罪など
判決12名に死刑判決東条英機ら7名に死刑判決

4戦後処理 ─ ポツダム協定とドイツの分割管理

ポツダム協定

1945年7月から8月にかけて、ベルリン郊外のポツダムで米英ソ3か国の首脳会談(ポツダム会談)が開催されました。アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル(のちアトリー)首相、ソ連のスターリンが出席し、ドイツの戦後処理について協議するとともに、米・英・中の名で日本の無条件降伏を求めるポツダム宣言を発表しました。

敗戦国の戦後処理について、ドイツでは米・英・ソ・仏の4国による分割占領と共同管理、旧首都ベルリンの分割管理、民主化の徹底などが実行されました。また、オーデル=ナイセ線以東のドイツ領はポーランドの管理下に移されました。オーストリアはドイツと分離されて4国の共同管理下におかれました。

ヤルタ協定と日本をめぐる密約

1945年2月のヤルタ会談では、公式の協定のほかに秘密協定が結ばれており、ドイツ降伏後3か月以内のソ連の対日参戦と、その条件として南樺太のソ連への返還および千島列島のソ連への引き渡しが密約されていました。この秘密協定にもとづきソ連は対日宣戦し、南樺太と千島列島を占領しました。

日本の占領と改革

日本はアメリカ軍による事実上の単独占領下におかれ、軍隊の解散財閥解体農地改革教育改革などの民主化と非軍事化が進められました。1946年11月には、主権在民基本的人権の尊重象徴天皇制戦争放棄をうたった日本国憲法が公布され、翌47年5月に施行されました。しかし、ヨーロッパでの冷戦の形成や中国大陸の国共内戦の情勢変化に応じて、アメリカは日本占領政策を転換し、再軍備の容認など「逆コース」と呼ばれる方針変更が進められました。

ここが問われる: 戦後処理の重要会議の流れ 出来事の流れ

① 1941年 大西洋憲章:ローズヴェルトとチャーチルが戦後構想の原則を発表
② 1943年 カイロ会談テヘラン会談:戦後処理の方針を協議
③ 1945年2月 ヤルタ会談:ドイツの分割管理、国際連合の設立、ソ連の対日参戦を合意
④ 1945年7〜8月 ポツダム会談:ドイツの非軍事化・非ナチ化・民主化を決定、ポツダム宣言で日本に降伏を要求
⑤ 1945年8月 日本がポツダム宣言を受諾して降伏

5冷戦の始まり ─ 米ソ対立の激化

戦後の米ソ対立

東ヨーロッパの国々は、大戦末期からのソ連軍の進駐によってその勢力下におかれました。西欧での共産党勢力の伸張と、東欧でのソ連支配により、アメリカ合衆国はソ連への警戒心を強めました。

「鉄のカーテン」

1946年、イギリスの前首相チャーチルは、ソ連がバルト海からアドリア海まで「鉄のカーテン」をおろしていると批判し、のちの「冷戦」を先どりする演説をおこないました。

トルーマン=ドクトリン

1947年、ギリシアにおける王党派と共産党派の内戦をきっかけにして、米・ソの対立は本格的なものとなりました。財政難に苦しむイギリスが、王党派の支援から手を引くと、トルーマン米大統領はソ連勢力の拡張に対する「封じ込め」政策(トルーマン=ドクトリン)を宣言して、ギリシアとトルコへの経済・軍事援助を表明しました。

マーシャル=プラン

ついでマーシャル国務長官が、ヨーロッパ復興のための財政支援計画(マーシャル=プラン)を発表しました。西欧諸国がこれを受け入れたほか、チェコスロヴァキアなどいくつかの東欧諸国にも同様の動きがありましたが、ソ連はそれを拒否させました。ソ連は陣営の結束をはかり、1947年9月に各国共産党の情報交換機関としてコミンフォルムを結成しました。こうして、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義陣営(西側)と、ソ連を盟主とする社会主義陣営(東側)のあいだで、「冷戦」と呼ばれる対立が高まっていきました。

戦後国際秩序の形成と冷戦の始まり

戦後構想
国連・経済機構
戦後処理
冷戦開始
1944194519461947
戦時中は同盟国だった米ソがなぜ戦後すぐに対立したのか
戦時中はファシズムという共通の敵がいたため、米ソは協力関係にあった
戦争終結で共通の敵が消滅→資本主義 vs 社会主義のイデオロギー対立が表面化
ソ連が東ヨーロッパに社会主義政権を次々と樹立→西側が脅威と認識
アメリカがトルーマン=ドクトリン(封じ込め政策)とマーシャル=プラン(経済援助)で対抗

第二次世界大戦の勝利という共通目標が失われたことで、もともと根本的に異なるイデオロギーをもつ両大国の対立が一気に顕在化しました。

ここが問われる: 冷戦の始まりに関する出来事の流れ 出来事の流れ

① 1945年 東ヨーロッパで社会主義政権が次々と成立
② 1946年 チャーチルが「鉄のカーテン」演説→米ソ対立が明確化
③ 1947年3月 トルーマン=ドクトリン→共産主義の封じ込め政策を宣言
④ 1947年6月 マーシャル=プラン→西ヨーロッパへの大規模経済援助
⑤ ソ連はマーシャル=プランを拒否→東西の分断が決定的に

発展:「冷戦」とはどのような戦争か

冷戦(Cold War)とは、米ソが直接的な武力衝突(「熱い戦争」)を避けながら、軍事同盟の結成、核兵器開発競争、代理戦争、宣伝活動などを通じて対立した状態を指します。米ソ双方が大量の核兵器を保有したため全面戦争に踏み切れない状況が生まれ、対立は直接の武力衝突ではなく間接的な形をとりました。この構造を理解しておくと、以降の記事で扱う朝鮮戦争やキューバ危機の性格がよく分かります。

6他の時代・地域とのつながり

  • 16-2 ヴェルサイユ体制:国際連盟の失敗(アメリカの不参加、軍事制裁手段の欠如、全会一致の原則)を教訓として、国際連合が設計されました。両者の違いは頻出テーマです。
  • 17-1 世界恐慌とヴェルサイユ体制の破壊:ブロック経済と為替切り下げ競争が大戦の遠因となった反省から、ブレトン=ウッズ体制が構築されました。
  • 17-2 第二次世界大戦:ナチス=ドイツや日本の戦争犯罪が、ニュルンベルク裁判・東京裁判で裁かれました。戦中の連合国首脳会談が戦後秩序の基盤となっています。
  • 18-1 冷戦:本記事で扱った鉄のカーテン・トルーマン=ドクトリン・マーシャル=プランを起点に、冷戦はNATOとワルシャワ条約機構の結成、ベルリン封鎖へと展開していきます。
歴史総合とのつながり

国際連合とブレトン=ウッズ体制の成立は、「歴史総合」の「グローバル化と私たち」で扱われる現在の国際秩序の出発点です。国連安保理の拒否権がなぜ設けられたのか、IMFや世界銀行がどのような経緯で生まれたのかを理解することは、現代の国際問題を考える上で不可欠です。また、冷戦の始まりは「国際秩序の変化や大衆化と私たち」の核心テーマであり、現代まで続く国際政治の構造を理解する鍵となります。

記事全体の要約

第二次世界大戦後、国際連合が設立され、安保理常任理事国に拒否権が認められた。ブレトン=ウッズ体制のもとIMF・世界銀行・GATTが国際経済を支え、ニュルンベルク裁判・東京裁判で戦争犯罪が裁かれた。しかし戦後処理の過程で米ソの対立が深まり、鉄のカーテン・トルーマン=ドクトリン・マーシャル=プランを経て冷戦が始まった。(150字)

7確認クイズ

Q1. 1945年に国連憲章が採択された会議は(  )会議である。

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サンフランシスコ会議

Q2. 国連安全保障理事会の常任理事国は(  )・(  )・(  )・(  )・(  )の5か国である。

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アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中華民国

Q3. 常任理事国がもつ、1か国でも反対すれば安保理決議が成立しない権限を(  )という。

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拒否権

Q4. 1944年のブレトン=ウッズ会議で設立が決められた、為替相場の安定を担う国際機関は(  )である。

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国際通貨基金(IMF)

Q5. 関税の引き下げと自由貿易の促進を目的として1948年に発足した国際協定は(  )である。

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GATT(関税と貿易に関する一般協定)

Q6. ナチス=ドイツの指導者の戦争犯罪を裁いた国際軍事裁判は(  )裁判である。

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ニュルンベルク裁判

Q7. ポツダム会談でドイツの戦後処理について協議した3か国の首脳は(  )・(  )・(  )である。

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トルーマン(米)・チャーチル(のちアトリー)(英)・スターリン(ソ連)

Q8. 1946年にチャーチルがヨーロッパの東西分断を指して使った表現は「(  )」である。

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鉄のカーテン

Q9. 1947年にトルーマン大統領が表明した、共産主義の拡大を阻止する政策を(  )という。

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トルーマン=ドクトリン

Q10. 1947年にアメリカが発表した、ヨーロッパの経済復興を支援する大規模援助計画を(  )という。

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マーシャル=プラン(ヨーロッパ経済復興計画)

8入試レベル問題

A 基礎レベル

問1 A 基礎 一問一答

次の空欄に適語を入れよ。

(1) 1945年のサンフランシスコ会議で( ア )が採択され、同年10月に国際連合が発足した。

(2) 安全保障理事会の常任理事国がもつ、1か国でも反対すれば決議が成立しない権限を( イ )という。

(3) 戦後の国際経済秩序を支えた3つの柱は、IMF・( ウ )・GATTである。

(4) 1947年にアメリカのトルーマン大統領が表明した共産主義封じ込め政策を( エ )という。

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解答

ア:国連憲章 イ:拒否権 ウ:世界銀行(国際復興開発銀行、IBRD) エ:トルーマン=ドクトリン

解説

(1)について:サンフランシスコ会議(1945年4〜6月)で国連憲章が採択され、51か国を原加盟国として国際連合が発足しました。(2)について:拒否権は「大国一致の原則」とも呼ばれ、大国の参加を確保するための仕組みでした。(3)について:IMF(通貨安定)・世界銀行(復興開発融資)・GATT(自由貿易促進)の3機構がブレトン=ウッズ体制を支えました。(4)について:トルーマン=ドクトリンは、直接にはギリシアとトルコへの支援を表明したもので、冷戦の本格化を示す宣言となりました。

B 標準レベル

問2 B 標準 一問一答

次の問いに答えよ。

(1) 国際連合が国際連盟と比べて強化された点を2つ挙げよ。

(2) ブレトン=ウッズ体制が構築された背景を、「ブロック経済」の語句を使って簡潔に説明せよ。

(3) ニュルンベルク裁判で問われた3つの罪状を挙げよ。

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解答

(1) アメリカが原加盟国として参加した点。安保理に軍事的制裁(国連軍の編成)の権限が認められた点。(他に、総会の意思決定が多数決となった点も可)

(2) 世界恐慌時にブロック経済や為替切り下げ競争が行われ、国際貿易の縮小と国際対立を招いて第二次世界大戦の遠因となった。その反省から、自由貿易と通貨安定を保障する国際経済体制が構築された。

(3) 平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪

解説

(1)について:国際連盟の最大の弱点はアメリカの不参加と軍事的制裁手段の欠如でした。国際連合はこの2点を改善して設計されています。(2)について:ブレトン=ウッズ体制は「戦間期の経済的失敗を繰り返さない」という明確な目的意識のもとに構築されました。(3)について:とりわけ「人道に対する罪」は、ユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)を念頭に置いた新しい罪の概念であり、その後の国際法の発展に大きな影響を与えました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

第二次世界大戦後の国際秩序の形成について、「国際連合」「ブレトン=ウッズ体制」「冷戦」の語句を使って、その特徴と課題を150字以内で説明せよ。

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解答例

第二次世界大戦後、国際連合が設立され安保理を中心とする集団安全保障体制が構築された。経済面ではブレトン=ウッズ体制のもとで自由貿易と通貨安定が図られた。しかし、安保理の拒否権により米ソの対立で意思決定が停滞し、冷戦によって世界が東西に二分されたことが、新しい国際秩序の大きな課題となった。(144字)

解説

この問題では、戦後の国際秩序を「政治面(国際連合)」と「経済面(ブレトン=ウッズ体制)」の両面から整理し、さらにその秩序が「冷戦」という課題に直面したことを論理的に述べることが求められます。

採点ポイント
  • 国際連合の特徴(安保理・集団安全保障)に触れている
  • ブレトン=ウッズ体制の内容(自由貿易・通貨安定)を説明している
  • 冷戦が国際秩序の課題・限界であったことを述べている
  • 全体として論理的に構成されている