19世紀後半、近代科学の成果にもとづく新しい工業部門が欧米で発展し、石油や電気を動力源として重化学工業・電機工業が成長しました。この第2次産業革命により、後発工業国のドイツやアメリカが台頭し、金融資本と結ぶ少数の巨大企業が市場を独占的に支配する独占資本主義が成立しました。列強は原料供給地と市場、資本の投資先を求めて海外へ進出する帝国主義の時代を迎えました。
この記事では、第2次産業革命がもたらした経済的変化と、それが帝国主義的膨張へとつながった過程を学びます。
産業革命(第1次産業革命)で「世界の工場」の地位についたイギリスを追って、ヨーロッパ大陸諸国やアメリカ合衆国でも産業革命が進められました。19世紀後半には、近代科学の成果にもとづく新しい工業部門が欧米で発展し、石油や電気を動力源として重化学工業・電機工業、アルミニウムなどの非鉄金属部門が成長しました。またその製品は国民の日常生活に直結し、生活スタイルに大きな影響を与えました。この変化は第2次産業革命と呼ばれています。
電気は、1870年代以降に発電機や電動機が実用化されると、工場の動力源として、また照明・通信・鉄道の動力として急速に普及しました。エジソン(アメリカ)が白熱電球を実用化し、ジーメンス(ドイツ)が電気鉄道を開発するなど、電気は社会のあらゆる場面に浸透していきました。
石油もまた、内燃機関(ガソリンエンジン・ディーゼルエンジン)の発明によって重要な動力源となりました。自動車と飛行機という新しい交通手段が生まれ、石油は20世紀の基幹エネルギーとなっていきます。
鉄鋼業では、ベッセマー転炉法などの新製鋼技術により、強くて安い鋼鉄の大量生産が可能になりました。鋼鉄は鉄道のレール、橋梁、軍艦、高層建築など、あらゆる分野に用いられ、近代社会のインフラを支えました。
化学工業も飛躍的に発展しました。合成染料・化学肥料・医薬品・爆薬などの製造が工業化され、特にドイツの化学工業は世界をリードしました。
| 項目 | 第1次産業革命 | 第2次産業革命 |
|---|---|---|
| 時期 | 18世紀後半〜19世紀前半 | 19世紀後半〜20世紀初頭 |
| 中心国 | イギリス | ドイツ・アメリカ |
| 主力産業 | 綿工業(軽工業) | 重化学工業・電機工業・非鉄金属 |
| 動力源 | 蒸気機関(石炭) | 電気・石油(内燃機関) |
| 必要資本 | 比較的小規模 | 巨額の設備投資が必要 |
| 経済構造への影響 | 自由競争資本主義 | 独占資本主義 |
第1次産業革命でいち早く工業化したイギリスは、既存の設備やノウハウが逆に足かせとなりました。後発のドイツやアメリカは、最新の技術と設備を一気に導入できる「後発の利益」を活かしたのです。
第2次産業革命の工業部門は巨額の資本を必要としたため、金融資本と結ぶ少数の巨大企業が市場を独占的に支配する傾向が現れました。また労働者は近代科学の基本的知識や専門資格を求められるようになり、これによって近代教育の普及がうながされましたが、他方で伝統的技術と古い労働形態が残る農業や中小企業は圧迫されました。こうして独占資本主義の段階に入ります。
独占にはおもに3つの形態がありました。
大企業は相互の利益を守るため、企業連合(カルテル)や企業合同(トラスト)をつくりました。さらに、銀行などを中心に異業種にまたがる巨大な企業グループ(コンツェルン)も生まれました。こうした独占資本の形成は、後発工業国として台頭したドイツやアメリカでとくに顕著でした。
カルテルは、同業種の企業が互いに独立性を保ちながら価格や生産量について協定を結ぶもので、ドイツで最も発達しました。トラストは、同業種の企業が合併して一つの巨大企業となる形態で、アメリカで典型的にみられ、ロックフェラーのスタンダード石油が代表例です。コンツェルンは、銀行などを中心に異業種にまたがる多数の企業を傘下に収める形態で、ドイツの大銀行と重工業の結合に典型的にみられました。
| 形態 | 内容 | 特徴 | 典型国 |
|---|---|---|---|
| カルテル | 同業企業間の価格・生産量の協定 | 各企業は独立性を維持 | ドイツ |
| トラスト | 同業企業の合併・統合 | 一つの巨大企業に | アメリカ |
| コンツェルン | 銀行・持株会社を中心とした異業種の企業集団 | 多業種にまたがる資本支配 | ドイツ |
独占が進むと、銀行資本と産業資本が融合し、金融資本が形成されました。巨大銀行が産業企業への融資や株式保有を通じて経済全体に大きな影響力をもち、国家の政策にも関与するようになりました。こうした少数の金融資本による経済支配は、やがて対外膨張の原動力ともなっていきます。
1873年、ウィーンの株式市場に端を発した経済恐慌が欧米を直撃しました。長期不況(「大不況」、1873〜96年ごろ)のなかで価格競争が激化し、利益を守るために企業間の協調(カルテル・トラスト)が広がり、独占資本形成の引き金となりました。1870年代以降の不況と低成長の時期には、生活基盤を狭められた多くの人々が移民となって、ヨーロッパからアメリカ合衆国などへと渡りました。移民の増加はしばしば植民地獲得論の口実にも利用されました。
主要国で工業化が進み、相互の競争が激しくなると、資源供給地や輸出市場として植民地の重要性が見直され、一時は植民地不要論がとなえられたイギリスを含め、各国は新たな植民地の獲得を競い合うようになりました。1880年代以降、国家の統合力にすぐれたイギリス・フランス・ドイツなどの有力な列強は、アジア・アフリカに殺到し、現地の抵抗を武力で制圧しながら植民地や従属地域に組み込み、それぞれの勢力圏を打ちたてました。この動きが帝国主義であり、ここから第一次世界大戦までの時期を帝国主義時代と呼んでいます。
独占資本主義のもとで、産業構造の転換や独占資本の形成で遅れをとった先発工業国のイギリスやフランスは、資本輸出(国外投資)によって経済的優位を確保しました。後発のドイツやアメリカでは独占資本の形成がとくに顕著でした。列強は鉄道建設や鉱山開発などの形で海外に資本を輸出し、高い利潤を求めました。また、重化学工業に必要な原料(ゴム・錫・銅・石油など)の確保と、工業製品の市場の獲得も、海外膨張の重要な動機でした。
帝国主義時代の植民地・従属地域の支配は、特定の産物や資源、労働力の収奪にとどまらず、当該地域の伝統文化を排除し、経済・社会構造を改造させるなど、全体的かつ暴力的な性格を強めました。その結果、欧米列強の利益や価値観が一方的におしつけられ、非欧米世界の変容と「世界の一体化」の深化は急速に進みました。
なお、この時代には、近代産業の発展と国民統合の進み方の度合いによる列強間の格差も広がりました。イギリス・フランス・ドイツは列強の上位に、国内の民族問題・地域格差などに直面するロシア・オーストリア・イタリアは下位に位置づけられました。
この背景には、欧米の近代的工業力やそれに裏打ちされた軍事力の圧倒的な優位が明らかになり、非欧米地域の社会や文化を近代的発展から遅れた存在とみなす考えが広まったこともありました。先進的なヨーロッパには遅れた社会の人々を文明化する義務がある、とする思想(「文明化の使命」)によって帝国主義は正当化されました。
イギリスの詩人キプリングは「白人の責務」を説き、植民地支配を道徳的に正当化しました。一方で、こうした欧米文明の優越誇示には当時から批判もありました。
なお、ヨーロッパでは19世紀末には長期の低成長期が終わり、以後好景気が持続して、のちに「ベル・エポック(すばらしい時代)」と回顧される一大繁栄期に入りました。列強の首都を中心に市民文化が成熟し、マス・メディアの登場によって現代的な大衆文化の様相も現れました。それらは各国民のあいだにヨーロッパ近代文明への自信と近代科学の進歩への確信を広めました。
19世紀末、アジア・アフリカ世界の大部分が列強の勢力圏に組み込まれるなか、後発の帝国主義国であったドイツは、自国の植民地の経済価値が乏しいことから、植民地の再分割を要求しました。さらに日本やアメリカ合衆国がそれぞれ東アジアや太平洋地域に新たな勢力圏を形成すると、イギリス・フランスなど先行する帝国主義国との摩擦や対立が生まれ、やがて帝国主義的対立が列強間の覇権争いに発展すると、第一次世界大戦勃発の大きな要因になりました。
① 経済的背景:独占資本主義の成立→先発国は資本輸出で優位を確保、後発国は独占資本の形成が顕著
② 思想的背景:「文明化の使命」が植民地支配を正当化。キプリングの「白人の責務」
③ 支配の性格:産物・資源・労働力の収奪にとどまらず、伝統文化の排除、経済・社会構造の改造。全体的かつ暴力的
④ 列強間の格差:英仏独が上位、露墺伊が下位。植民地の再分割要求が生まれる
ヘレロ人虐殺(1904〜08年):ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)で、ヘレロ人・ナマ人がドイツ植民地支配に対して蜂起した。ドイツ軍は組織的な殲滅作戦(砂漠への追放・水源の封鎖・強制収容所)で数万人を死に追いやった。この事件は20世紀最初のジェノサイドと見なす見方があり、ドイツ政府は2021年に公式に謝罪した。
コンゴ自由国(1885〜1908年):ベルリン会議の結果、コンゴはベルギー国王レオポルド2世の個人所有地として「コンゴ自由国」が設立された。レオポルド2世はゴム採取量のノルマ未達成者の手足を切断するなど極めて残酷な支配を行い、数百万人規模の死者を出したとされる。国際的批判の高まりを受けて、1908年にベルギー政府が接収し、「ベルギー領コンゴ」となった。
イギリスのペルシア湾岸進出:イギリスは19世紀末から20世紀初頭にかけて、インド洋航路の安全確保とロシア南下への対抗のため、クウェート(1899年)・バーレーン・カタール・オマーンなどペルシア湾岸諸国を次々と保護国化した。これにより、中東はイギリスの勢力圏として確立されていった。
3B政策とバグダード鉄道:ドイツの3B政策を象徴するバグダード鉄道の敷設権は、1899年にドイツがオスマン帝国から獲得した。この鉄道はベルリン〜イスタンブル〜バグダードを結ぶ構想で、イギリスの中東権益やロシアの南下政策と真っ向から対立し、列強間の緊張を高める要因となった。
帝国主義が世界を覆うなかで、その本質を批判的に分析する議論も生まれました。代表的なのがイギリスの経済学者ホブソンと、ロシアの革命家レーニンです。
イギリスの経済学者ホブソンは、1902年に著書『帝国主義論』を発表しました。ホブソンは、帝国主義の原因を過少消費(国内の消費が不十分であること)に求めました。労働者の賃金が低く抑えられているために国内の購買力が不足し、余った資本が海外に向かうというのがその主張です。したがって、国内の所得分配を改善し消費を増やせば、帝国主義的な海外膨張は不要になると主張しました。
ロシアの革命家レーニンは、1917年に著書『帝国主義論(資本主義の最高の段階としての帝国主義)』を発表しました。レーニンはホブソンの分析を踏まえつつ、帝国主義を資本主義の最高段階と位置づけました。
レーニンは帝国主義の特徴として、①生産と資本の集中による独占の形成、②銀行資本と産業資本の融合による金融資本の成立、③資本輸出の重要性の増大、④国際的な独占体による世界の分割、⑤列強による領土的分割の完了、の5つを挙げました。そして、帝国主義は資本主義が必然的にたどりつく段階であり、社会主義革命によってのみ克服できると主張しました。
ホブソンは帝国主義を資本主義の「政策」とみなし、国内の所得分配の改善によって是正可能だと考えました。これに対してレーニンは、帝国主義を資本主義の構造的・必然的な帰結と位置づけ、改良では克服できず、資本主義体制そのものの変革(社会主義革命)が必要だと主張しました。両者の違いを理解することで、20世紀の社会主義運動や植民地解放運動の思想的背景が見えてきます。
① ホブソン(英):過少消費が原因→国内の所得分配を改善すれば帝国主義は不要に
② レーニン(露):帝国主義は資本主義の最高段階→改良では克服不可能→社会主義革命が必要
③ レーニンの5特徴:独占の形成、金融資本の成立、資本輸出の増大、国際独占体の世界分割、列強の領土分割完了
帝国主義と第2次産業革命は、「歴史総合」の「国際秩序の変化や大衆化と私たち」で扱われる中心テーマです。列強の海外進出がアジア・アフリカの人々の生活をどう変えたのか、また帝国主義に対する抵抗運動がなぜ起こったのかという視点で、世界史探究の知識と結びつけましょう。
19世紀後半、近代科学の成果にもとづく第2次産業革命が起こり、重化学工業・電機工業が成長した。金融資本と結ぶ少数の巨大企業が市場を独占的に支配する独占資本主義が成立し、列強は資本輸出と原料・市場の確保を求めて帝国主義的膨張に乗り出した。その支配は全体的かつ暴力的な性格を強め、後発国の植民地再分割要求が列強間の対立を深めた。(160字)
Q1. 19世紀後半、近代科学の成果にもとづく新しい工業部門が発展し、石油や電気を動力源として重化学工業・電機工業が成長した変革を( )という。
Q2. 第2次産業革命で新たに工業大国として台頭した2つの国は( )と( )である。
Q3. 同業種の企業が独立性を保ちながら価格や生産量について協定を結ぶ独占形態を( )という。
Q4. 同業種の企業が合併して一つの巨大企業となる独占形態を( )といい、( )で典型的にみられた。
Q5. 銀行や持株会社を中心に異業種の企業を傘下に収める独占形態を( )という。
Q6. 銀行資本と産業資本が融合して成立した資本形態を( )という。
Q7. 先進的なヨーロッパには遅れた社会の人々を文明化する義務がある、として帝国主義を正当化した思想を「( )」という。
Q8. 1902年に著書『帝国主義論』を発表し、過少消費が帝国主義の原因だと主張したイギリスの経済学者は( )である。
Q9. 帝国主義を「資本主義の最高段階」と位置づけたロシアの革命家は( )である。
Q10. レーニンが帝国主義の特徴として挙げた5つのうち、銀行資本と産業資本の融合によって成立するものを( )の成立という。
次の空欄に適語を入れよ。
(1) 第2次産業革命では( ア )・石油・鉄鋼・化学が新しい産業の中心となった。
(2) 同業種の企業が価格や生産量の協定を結ぶ独占形態を( イ )といい、ドイツで発達した。
(3) アメリカで典型的にみられた、同業企業が合併して巨大企業を形成する独占形態を( ウ )という。
(4) ダーウィンの進化論を社会に応用し、列強の植民地支配を「適者生存」として正当化した思想を( エ )という。
ア:電気 イ:カルテル(企業連合) ウ:トラスト(企業合同) エ:社会進化論(社会ダーウィニズム)
(1)について:第2次産業革命の4つの柱は「電気・石油・鉄鋼・化学」です。第1次産業革命の「蒸気・石炭・綿工業」と対比して覚えましょう。(2)について:カルテルは各企業が独立性を保つ点がトラスト(合併)と異なります。(3)について:ロックフェラーのスタンダード石油がトラストの代表例です。(4)について:社会進化論はダーウィンの自然選択説(適者生存)を人間社会に当てはめたものです。
次の問いに答えよ。
(1) レーニンが帝国主義を「資本主義の( )段階」と位置づけた著書の名を答えよ。
(2) ホブソンが帝国主義の原因として指摘した、国内の消費が不十分な状態を何というか。
(3) 第2次産業革命においてイギリスの工業的優位が揺らいだ理由を、「後発」という語句を使って簡潔に説明せよ。
(1) 『帝国主義論』(正式名『資本主義の最高の段階としての帝国主義』)。「最高の」段階。
(2) 過少消費
(3) 後発のドイツやアメリカが最新の技術と設備を一気に導入できたのに対し、イギリスは旧来の設備に依存していたため、新しい産業分野で出遅れた。
(1)について:レーニンは1917年にこの著書を発表しました。帝国主義を資本主義の発展の不可避的な帰結と論じています。(2)について:ホブソンは労働者の低賃金による購買力不足が過剰資本を生み、それが海外膨張につながると分析しました。(3)について:先に工業化した国が旧来の設備に縛られ、後から工業化した国が最新技術を採用できる現象は「後発の利益」と呼ばれます。
19世紀後半の第2次産業革命が帝国主義をもたらした過程について、「独占資本主義」「資本輸出」「社会進化論」の語句を使って150字以内で説明せよ。
第2次産業革命で重化学工業が発展し、巨額の設備投資が必要となったため、企業の合同・独占が進み独占資本主義が成立した。過剰な資本は国内だけでは投資先を得られず、資本輸出として海外に向かった。列強は原料と市場を求めて植民地獲得に乗り出し、社会進化論が異民族の支配を思想的に正当化した。(139字)
この問題では、第2次産業革命→独占資本主義→資本輸出→帝国主義的膨張という因果関係を、指定語句を使って論理的に記述する必要があります。社会進化論は帝国主義の「思想的正当化」として位置づけましょう。