第13章 イギリスの優位と欧米国民国家の形成

アメリカ合衆国の発展
─ 西部開拓から南北戦争、そして工業大国へ

独立直後のアメリカ合衆国は北米大陸の東部のみを領土としていましたが、19世紀を通じて急速に領土を拡大し、太平洋岸にまで達しました。しかし、西漸運動の過程では先住民が土地を奪われ、奴隷制をめぐる南北の対立は深刻化していきます。この矛盾は南北戦争(1861〜1865年)という内戦に発展し、リンカン大統領のもとで合衆国の統一が維持されました。戦後の再建を経て、アメリカは急速な工業化を遂げ、19世紀末にはイギリス・ドイツをしのいで世界最大の工業国へと成長していきます。
この記事では、19世紀のアメリカ合衆国がどのように領土・社会・経済の面で変容したのかを学びます。

この記事のポイント
  • アメリカはルイジアナ買収などで領土を拡大し、「明白なる運命(マニフェスト=デスティニー)」のもと西漸運動を推進した
  • ジャクソン政権は先住民の土地を奪い、保留地に強制移住させた。チェロキー族の涙の旅路は大きな悲劇であった
  • 北部の自由州と南部の奴隷州の対立が深まり、南北戦争(1861〜1865年)が勃発した
  • リンカン大統領は奴隷解放宣言を発して国際世論も味方につけ、北部の勝利で合衆国の統一が維持された
  • 戦後の再建を経て、大陸横断鉄道の完成などにより工業化が急速に進展し、1890年代にはフロンティアの消滅が宣言された

1領土の拡大と西部開拓

独立直後のアメリカ合衆国は、北米大陸の東部のみを領土としていましたが、19世紀に入ると急速に西へと領土を広げていきます。

1803年、第3代大統領ジェファソンはフランスのナポレオンからルイジアナ(ミシシッピ川以西の広大な地域)を買収しました。当時フランスを支配していたナポレオンは、サン=ドマングを拠点にカリブ海から北米大陸中部に広がる帝国を築くことを構想していましたが、ハイチ革命でこの構想が破れたため、ルイジアナ売却に踏みきりました。この買収により、合衆国の領土は一挙に倍増しました。

その後、スペインからフロリダを購入してカリブ海にも到達しました。一方、合衆国は通商問題をめぐってイギリスとアメリカ=イギリス(米英)戦争(1812年〜)をおこないました。この戦争は戦前の状態を回復するかたちで講和されましたが、結果として植民地期以来続いていた州ごとの独自意識が薄まり、アメリカ人としての自覚が強まりました。また、戦争でイギリスからの工業製品の輸入がとだえたため、北部で産業革命が促進されました。

1845年にはテキサスを併合し、これをきっかけにアメリカ=メキシコ戦争(1846〜1848年)がおこると、合衆国は勝利し、カリフォルニアを獲得して領土を太平洋岸に広げました。

「明白なる運命」(マニフェスト=デスティニー)

19世紀半ば、アメリカ合衆国の西方への膨張(西漸運動)が、神に定められた「明白なる運命」(マニフェスト=デスティニー)であるとのスローガンが広まりました。

直後にカリフォルニアで金鉱が発見されると、国内や世界中から多数の人々が到来して(ゴールド=ラッシュ)、西海岸地域は急速に発展しました。

アメリカはなぜ短期間に太平洋岸まで領土を広げられたのか
ヨーロッパ列強が自国の事情(ナポレオン戦争など)で植民地を手放す機会が生まれた
ルイジアナ買収(1803年)やフロリダ購入(1819年)で領土が大幅に拡大
明白なる運命」(マニフェスト=デスティニー)の理念が膨張を正当化し、国民の西部移住を後押し
アメリカ=メキシコ戦争に勝利し、カリフォルニアなどを獲得→太平洋岸に到達

独立から約70年で、合衆国の領土は大西洋岸から太平洋岸にまで広がりました。ヨーロッパ列強の後退と「明白なる運命」の理念が、この急速な膨張を可能にしたのです。

ここが問われる: アメリカ合衆国の領土拡大の過程 出来事の流れ

① 1803年:ルイジアナ買収(フランスから。領土が約2倍に)
② 1819年:フロリダをスペインから購入
③ 1845年:テキサス併合
④ 1846〜48年:アメリカ=メキシコ戦争でカリフォルニアなどを獲得→太平洋岸に到達
⑤ 領土拡大を正当化した理念=「明白なる運命」(マニフェスト=デスティニー)

2ジャクソン大統領と先住民の強制移住

米英戦争後、アメリカ合衆国はモンロー宣言で外交方針を定めました。国内では、白人男性すべてに選挙権を与える州が増え、これを背景に、民衆の重視をとなえてジャクソンが大統領に当選しました。彼の時代には、大統領も国民一般の代表としての性格が強まり、合衆国政治の民主化が進みました。

一方、ジャクソン政権は狩猟経済を営む先住民の土地を安価で購入し、白人入植者に売却して農地に転換させました。さらに、これに応じない先住民には、新たに獲得した領土に保留地を設けて強制移住させる政策をとりました。

一部の先住民は武力で抵抗しましたが、鎮圧されました。この結果、合衆国の農地は劇的に拡大しましたが、先住民の人口は激減しました。なかでも先住民のチェロキー族は、「涙の旅路」と呼ばれた強制移住の途上で4000人の死者を出しました。

ここが問われる: 先住民の強制移住と「涙の旅路」 内容・特徴

ジャクソン政権が先住民の土地を安価で購入し、白人入植者に売却
② 応じない先住民には保留地を設けて強制移住させた
チェロキー族の強制移住は「涙の旅路」と呼ばれ、4000人が死亡
④ 合衆国の農地は劇的に拡大したが、先住民の人口は激減した

3南北の対立 ─ 奴隷制問題の深刻化

アメリカ合衆国の西方への拡大は、奴隷制問題をめぐる国内の対立を強めました。奴隷制は本来、独立宣言の理念に反しており、北部諸州では廃止されましたが、奴隷制プランテーションを経済の基盤とする南部諸州が州の自治権を盾に反対したため、合衆国憲法では禁じられていませんでした。

北部と南部の経済構造の違い

南部の奴隷制は一時衰退しましたが、18世紀末に綿の種子から繊維を分離する新式の機械が発明されると、大量の綿をイギリスや北部の綿工業地帯に原料として販売できるようになったため、19世紀に再び拡大しました。南部では綿花のプランテーション(大規模農場)が経済の中心で、綿花をイギリスなどに輸出するために自由貿易を支持していました。一方、北部では商工業が発達し、イギリスと対抗するために保護関税を求めていました。

ここが問われる: 北部と南部の経済構造の比較 比較
項目北部南部
経済の中心商工業(工場制工業)綿花プランテーション
労働力自由な賃金労働者黒人奴隷
貿易政策保護関税を支持自由貿易を支持
奴隷制への立場奴隷制に反対(自由州)奴隷制を擁護(奴隷州)

奴隷制をめぐる対立の激化

西部に新しい州が誕生するようになると、北部は人道主義の立場から新州での奴隷制に反対しましたが、南部は連邦議会での立場が弱くなることを恐れて、奴隷制を認めるように求めました。このため1820年には、北緯36度30分以北の新領土では奴隷制を認めないとする妥協がはかられました(ミズーリ協定)。

しかし、1854年にこの境界線より北のカンザス・ネブラスカの両準州について、奴隷制の可否は住民の投票で決定するとの法律が制定され、妥協は破られました(カンザス=ネブラスカ法)。

北部では奴隷制反対を掲げる共和党が発足し、南部では民主党の一部が合衆国からの分離を主張するようにもなり、南北の対立が再燃しました。

西部への領土拡大がなぜ奴隷制問題を激化させたのか
領土拡大により、新しい州が次々に連邦に加わる
新しい州を自由州にするか奴隷州にするかが連邦議会の勢力バランスを左右
ミズーリ協定(1820年)で一時妥協→カンザス=ネブラスカ法(1854年)で崩壊
奴隷制反対派が共和党を結成し、南北の政治的対立が決定的に

領土拡大は、北部と南部の利害対立を「新しい州を自由州にするか奴隷州にするか」という具体的な政治問題に変えました。妥協が破綻するたびに対立は深まり、南北戦争の火種となっていったのです。

ここが問われる: 奴隷制をめぐる妥協と対立の流れ 出来事の流れ

ミズーリ協定(1820年):北緯36度30分以北で奴隷制禁止という妥協
カンザス=ネブラスカ法(1854年):住民主権の原則→ミズーリ協定を事実上廃棄
③ 奴隷制反対派が共和党を結成(1854年)
④ 南北の政治的対立が決定的となり、南北戦争へと発展

4南北戦争

戦争の勃発

1860年の大統領選では、奴隷制拡大をめぐって民主党が分裂し、共和党リンカンが勝利しました。リンカンは、奴隷制を原理上は否定しつつ、南部での奴隷制の即時廃止にも反対する姿勢を示して、南部の分離を阻止しようとしました。

しかし、1861年に南部の7州がアメリカ連合国(南部連合)を発足させて、ここにアメリカ合衆国は分裂しました。南北間で戦闘が始まると、南部連合にはさらに4州が加わり、合衆国北部の23州との南北戦争(1861〜1865年)となりました。

この戦争では、当初は士気が高く有能な指揮官の多い南部が優勢でしたが、北部が人口と工業力の優位を活用しはじめると、戦線は膠着しました。

奴隷解放宣言とゲティスバーグ演説

そこで北部は、1862年に西部の公有地に一定期間定住した開拓農民に土地を無償で与えるホームステッド法を定めて西部諸州の支持を固め、奴隷解放宣言を発して南部地域でも奴隷制を禁止し、国際世論も味方につけました。

北部はゲティスバーグの戦いに勝利して、以降は優勢を保ちました。1863年11月、リンカンはゲティスバーグの戦場跡で演説を行い、「人民の、人民による、人民のための政治」を訴えました。

戦争の終結

1865年に北部は南部の首都リッチモンドを占領して南部を降伏させ、合衆国は再び統一されました。

南北戦争は、発達した火器や鉄道などの産業革命の産物が活用されたこともあり、アメリカ史上最多の死者を出す戦争となりました。この戦争により合衆国の統一は維持され、奴隷制は廃止されました(合衆国憲法修正第13条で奴隷制を正式に禁止)。

南北戦争の経過

開戦
奴隷解放宣言
ゲティスバーグ
終結
1861年4月1863年1月1863年7月1865年4月
発展:南北戦争と近代戦争

南北戦争では、鉄道による兵員の大量輸送、電信による通信、工場で量産された銃砲や機関銃など、産業革命の成果が戦争に本格的に投入されました。南北戦争の戦死者数は60万人以上にのぼり、これはのちの第一次・第二次世界大戦におけるアメリカ人の戦死者数の合計を大きく上回るものでした。

ここが問われる: 南北戦争の展開と意義 出来事の流れ

① 1860年:民主党が分裂しリンカン(共和党)が大統領に当選→南部7州がアメリカ連合国を結成
ホームステッド法で西部の支持を固め、奴隷解放宣言で国際世論も味方につけた
ゲティスバーグの戦いに勝利→1865年に南部の首都リッチモンドを占領、南部降伏
④ 意義:合衆国の統一維持+奴隷制の廃止。「人民の、人民による、人民のための政治

5再建と工業化の進展

再建(リコンストラクション)

南北戦争後、荒廃した南部の再建と社会改革が北軍の占領下で進められました(再建〔リコンストラクション〕、1865〜1877年)。合衆国憲法の修正によって正式に奴隷制は廃止され、男性の解放黒人に投票権が与えられました。

しかし、黒人は法的には自由人となったものの、経済面では農地を与えられることはなく、多くは小作農として貧しい生活をおくりました。他方で元南軍の兵士など一部の白人は、クー=クラックス=クラン(KKK)などの秘密結社を組織し、北軍の監視を逃れて黒人を迫害しました。1870年代後半に北軍が南部占領を終了すると、南部では旧大農場主や白人の自営農民、新興産業資本家らが民主党を通じて政治を主導するようになり、北部を地盤とする共和党に対抗しました。また、南部諸州は1890年頃から州法などで黒人の投票権を制限したり、公共施設を人種別にわけるなどの差別を制度化したため、憲法の条項は骨抜きにされました。

工業化の急速な進展

西部では南北戦争中から入植者が増加し、牧畜業や小麦生産が発達して食料を東部の市場に供給したほか、ヨーロッパへの輸出も始まり、アメリカ合衆国は世界最大の農業生産力をもつようになりました。

東部と西部を結ぶ通信・交通機関も整備され、1869年には最初の大陸横断鉄道が完成し、東西の物流と人の移動が飛躍的に活性化しました。鉄道建設には、アイルランドや中国からの移民労働者も多く従事しました。一連の西漸運動の進展によって、1890年代にはフロンティア(開拓の最前線地域)の消滅が宣言され、合衆国が新生国から成熟した国へと移行したことが明らかとなりました。広大な国土と天然資源にめぐまれたアメリカ合衆国は、石炭・石油・鉄鋼などの重工業も推進させ、19世紀末にはイギリス・ドイツをしのいで世界最大の工業国ともなりました。

こうした合衆国の工業発展を支えたのは、急速に成長する独占企業とヨーロッパ各地から到来した移民でした。多くの移民が到来した結果、19世紀を通じて合衆国の人口は10倍以上に増え、大西洋沿岸地域のニューヨークなどは巨大都市に成長しました。移民の多くは低賃金の非熟練労働に従事しましたが、事業に成功して巨大な富を得る者もおり、アメリカ合衆国は激しい競争と大きな貧富の差を抱える社会ともなりました。

ここが問われる: 南北戦争後のアメリカの変化 結果・影響

① 再建:憲法修正によって奴隷制廃止、男性の解放黒人に投票権
② しかし南部では1890年頃から州法で黒人差別が制度化された
③ 1869年:大陸横断鉄道完成→東西の交通・物流が飛躍的に発展
④ 1890年代:フロンティアの消滅が宣言された
⑤ 19世紀末:アメリカがイギリス・ドイツをしのいで世界最大の工業国に成長

6他の時代・地域とのつながり

  • 12-2 アメリカ独立革命:独立宣言で「すべての人間は平等に造られている」と謳いながら、奴隷制は温存された。この矛盾が19世紀を通じて深刻化し、南北戦争へとつながった。
  • 13-2 列強体制の動揺とヨーロッパの再編成:南北戦争(1861〜1865年)と同時期に、ヨーロッパではイタリア統一やドイツ統一が進行した。19世紀後半は各地で国民国家の形成・統合が進んだ時代である。
  • 12-4 ラテンアメリカ諸国の独立:アメリカのテキサス併合やアメリカ=メキシコ戦争は、独立後のラテンアメリカ諸国との関係を考えるうえで重要である。モンロー宣言(1823年)は南北アメリカへのヨーロッパの干渉を牽制した。
  • 14章以降 帝国主義の時代:工業大国となったアメリカは、19世紀末から海外進出を本格化させ、米西戦争(1898年)でフィリピンやグアムなどを獲得していく。
歴史総合とのつながり

アメリカの西部開拓と工業化は、歴史総合の「近代化と私たち」で扱うテーマです。産業革命が社会構造をどう変えたか、国民国家の形成がどのように進んだかという視点で、南北戦争による合衆国の一体化や工業大国への成長を捉えましょう。また、奴隷制の廃止とその後の差別の継続は、現代の人権問題を考えるうえでも重要な前史です。

7まとめ

  • アメリカはルイジアナ買収(1803年)をはじめとする領土拡大で太平洋岸に到達し、「明白なる運命」(マニフェスト=デスティニー)の理念がこれを正当化した。
  • ジャクソン政権は先住民の土地を奪って白人入植者に売却し、応じない先住民には保留地を設けて強制移住させた。チェロキー族の「涙の旅路」は大きな悲劇であった。
  • 北部(商工業・保護関税・奴隷制反対)と南部(綿花プランテーション・自由貿易・奴隷制擁護)の対立が深刻化した。
  • リンカンの大統領当選を機に南部が分離し、南北戦争(1861〜1865年)が勃発した。
  • 奴隷解放宣言で南部地域でも奴隷制を禁止し、国際世論も味方につけた。ゲティスバーグ演説で「人民の、人民による、人民のための政治」が語られた。
  • 北部の勝利で合衆国の統一が維持され、修正第13条で奴隷制が廃止されたが、南部では州法による人種差別が制度化された。
  • 大陸横断鉄道(1869年完成)など工業化が急速に進み、1890年代にはフロンティアの消滅が宣言された。19世紀末にはアメリカがイギリス・ドイツをしのいで世界最大の工業国に成長した。
記事全体の要約

アメリカは「明白なる運命」のもと太平洋岸まで領土を拡大したが、先住民を保留地に強制移住させ、奴隷制をめぐる南北対立は南北戦争に発展した。リンカンの奴隷解放宣言を経て北部が勝利し、戦後の工業化でイギリス・ドイツをしのいで世界最大の工業国に成長した。(122字)

8確認クイズ

Q1. 1803年にフランスから買収し、アメリカの領土を約2倍にした地域は(  )である。

クリックして解答を表示
ルイジアナ

Q2. アメリカの西方への膨張が神に定められた運命であるとするスローガンを「(  )」という。

クリックして解答を表示
明白なる運命(マニフェスト=デスティニー)

Q3. ジャクソン政権が先住民に対して定めた、土地を奪い保留地に移住させた法律は(  )法である。

クリックして解答を表示
強制移住

Q4. 南北戦争中の1863年にリンカン大統領が発した、反乱州の奴隷を解放する宣言は(  )である。

クリックして解答を表示
奴隷解放宣言

9入試レベル問題

A 基礎レベル

問1 A 基礎 一問一答

次の空欄に適語を入れよ。

(1) 1820年に成立した、北緯36度30分以北の新領土で奴隷制を禁止する妥協は( ア )と呼ばれる。

(2) 1854年に奴隷制の拡大に反対する政治勢力が結成した政党は( イ )である。

(3) 南北戦争の転換点となった、1863年7月の戦いは( ウ )の戦いである。

(4) 1865年に奴隷制を正式に禁止した法的根拠は、合衆国憲法( エ )である。

クリックして解答・解説を表示
解答

ア:ミズーリ協定 イ:共和党 ウ:ゲティスバーグ エ:修正第13条

解説

(1)について:ミズーリ協定(1820年)はミズーリ州の連邦加入にあたって成立した妥協です。しかし、1854年のカンザス=ネブラスカ法により事実上廃棄されました。(2)について:共和党は奴隷制の新領土への拡大阻止を掲げて結成されました。1860年に共和党のリンカンが大統領に当選しました。(3)について:ゲティスバーグの戦いは南北戦争最大の激戦で、南軍の北部侵攻を阻止しました。(4)について:修正第13条は1865年に批准され、合衆国内での奴隷制と強制労働を禁止しました。

B 標準レベル

問2 B 標準 正誤

次の文のうち、正しいものを1つ選べ。

  • (1) リンカンは大統領就任時に奴隷制の全面廃止を公約として掲げていた。
  • (2) 南部は工業力で北部を上回っていたが、人口で劣っていたため敗北した。
  • (3) 奴隷解放宣言は、反乱州(南部連合)の奴隷を自由にするものであった。
  • (4) 南北戦争後、南部では直ちに黒人の完全な市民権が実現された。
クリックして解答・解説を表示
解答

(3)

解説

(1)について:リンカンは奴隷制を原理上は否定しつつ、南部での奴隷制の即時廃止にも反対する姿勢を示し、南部の分離を阻止しようとしました。(2)について:工業力・鉄道網・人口のいずれでも北部が南部を上回っていました。(4)について:憲法修正で法的な権利は認められましたが、北軍の南部占領終了後、南部では1890年頃から州法で黒人の投票権を制限したり公共施設を人種別にわけるなどの差別が制度化され、憲法の条項は骨抜きにされました。

C 発展レベル

問3 C 発展 論述

19世紀のアメリカ合衆国において、西部への領土拡大が南北戦争の勃発にどのようにつながったのか、「ミズーリ協定」「カンザス=ネブラスカ法」「共和党」の語句を使って150字以内で説明せよ。

クリックして解答・解説を表示
解答例

西部への領土拡大に伴い、新領土を自由州にするか奴隷州にするかが政治的争点となった。1820年のミズーリ協定で一時妥協が成立したが、1854年のカンザス=ネブラスカ法が住民主権の原則を導入してこの妥協を崩壊させた。これを機に奴隷制反対派は共和党を結成し、1860年にリンカンが当選すると南部が分離して南北戦争が勃発した。(149字)

解説

この問題では、領土拡大→奴隷制をめぐる妥協と破綻→政治的対立の激化→南北戦争という因果関係を指定語句でつないで記述する必要があります。ミズーリ協定とカンザス=ネブラスカ法の関係を正しく把握し、共和党の結成がリンカン当選→南部分離→開戦へとつながる流れを示しましょう。

採点ポイント
  • 領土拡大と自由州・奴隷州問題の関連を述べている
  • ミズーリ協定(1820年)による妥協に言及している
  • カンザス=ネブラスカ法(1854年)がミズーリ協定を崩壊させたことに触れている
  • 共和党の結成とリンカン当選が南北戦争につながったことを記述している