19世紀に入ると市民層が担う市民文化が登場し、さらに同世紀後半には、国民文化の潮流が主流になりました。文化を享受する人々も一部の特権階層から市民層へ、さらに国民一般へと広がりました。ロマン主義から写実主義・自然主義へと文芸思潮が移り変わり、外光の観察から対象の描き方自体を見直そうとする印象派も登場しました。同時に、ダーウィンの進化論やマルクスの思想など、近代科学・社会思想も飛躍的に発達します。
この記事では、19世紀の欧米文化がどのように展開し、現代につながる知の基盤を築いたのかを学びます。
フランス革命とナポレオンの大陸支配は、啓蒙思想や合理主義にもとづく改革や法体系をヨーロッパ各地に広めました。しかし、まもなく各地域固有の伝統文化や慣習を無視した画一的な制度の導入、さらに軍事占領への反発と抵抗が広まりました。この動きのなかから、それぞれの地域や民族に固有な言語・歴史文化を見直して、民族精神や起源を見出そうとしたり、個人の感情や想像力を重視する多様な思想や運動が生まれました。こうした文化的潮流がロマン主義です。
ロマン主義はとりわけ音楽・文学・芸術などの分野に大きな影響をおよぼし、国民文学や国民音楽に結実して国民文化の形成を推進しました。18世紀末のドイツで先駆的な動きが始まり、19世紀前半にはヨーロッパ全域に広がります。
ドイツのゲーテは、若者の激しい恋と苦悩を描いた『若きウェルテルの悩み』でヨーロッパ中に衝撃を与えました。晩年の大作『ファウスト』では人間の限りない探究心を壮大に描いています。同じくドイツのシラーは、自由と理想を掲げた戯曲『ヴィルヘルム=テル』などで知られます。
イギリスではバイロンがギリシア独立戦争に参加するなど、ロマン主義の精神を行動で示しました。バイロンを称賛したロシアのプーシキン、フランス七月革命に共感したドイツの詩人ハイネ、そして共和主義を支持したフランスのユゴーは『レ=ミゼラブル』で社会の底辺に生きる人々の姿を力強く描き、ロマン主義文学の代表的作家となりました。
フランスの画家ドラクロワは、激しい色彩と劇的な構図で知られます。1830年の七月革命を題材にした『民衆を導く自由の女神』は、ロマン主義絵画の傑作とされています。
音楽では、ドイツのベートーヴェンが古典派からロマン派への橋渡しとなりました。シューベルトやポーランド出身のショパンらがロマン派音楽を形成し、チェコのスメタナのような民族性の強い作曲家もあらわれました。ショパンはピアノ曲に祖国への思いを込め、ロマン主義音楽を象徴する存在です。
①ゲーテ(ドイツ):『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』
②バイロン(イギリス):ギリシア独立戦争に参加
③ユゴー(フランス):『レ=ミゼラブル』
④ドラクロワ(フランス):『民衆を導く自由の女神』
⑤ベートーヴェン(ドイツ):古典派からロマン派への橋渡し
⑥ショパン(ポーランド):祖国愛を込めたピアノ曲
⑦プーシキン(ロシア):バイロンを称賛したロマン主義詩人
⑧ハイネ(ドイツ):七月革命に共感した詩人
⑨シューベルト(オーストリア):ロマン派音楽の形成
⑩スメタナ(チェコ):民族性の強い音楽
19世紀後半には、市民社会の成熟、近代科学・技術の急速な発展、工業化による社会階層の格差の広がりなどで、人々の意識も変化しました。ロマン主義は現実の動向をみていないと批判され、社会や人間の抱える問題に向き合おうとする写実主義(リアリズム)が文学・美術の主流となっていきました。
フランスのスタンダールは『赤と黒』で野心的な青年の姿を通して復古王政期の社会を鋭く描きました。バルザックは『人間喜劇』と総称される膨大な小説群で、あらゆる階層のフランス人の生態を網羅的に描写しています。フロベールは『ボヴァリー夫人』で地方の平凡な人妻の悲劇を客観的な筆致で描き、写実主義文学の到達点とされています。
イギリスではディケンズが『オリヴァー=ツイスト』などで産業革命下の貧困や児童労働の問題を社会に訴えました。
写実主義をさらに推し進め、社会や人間を科学的に観察しようとしたのが自然主義です。フランスのゾラは『居酒屋』や『ジェルミナール』などで、遺伝と環境に支配される人間の姿を実験的な手法で描き、自然主義文学を確立しました。ノルウェーのイプセンやストリンドベリ(スウェーデン)も、社会性の高い劇作で反響をよびました。
こうした自然主義に反発し、むしろ内面性の表現や美的な質を問題とする耽美主義や象徴主義もあらわれました。支配道徳に反発したフランスの詩人ボードレールは、その先駆でした。
美術の分野では、フランスのクールベが写実主義を代表する画家です。彼は社会の底辺にあった労働者を主役として、彼らの現実の生活をありのままに描きました。ミレーも農村の暮らしを素朴に描いた画家として知られます。
| 項目 | ロマン主義 | 写実主義 | 自然主義 |
|---|---|---|---|
| 時期 | 18世紀末〜19世紀前半 | 19世紀半ば | 19世紀後半 |
| 特徴 | 感情・想像力・民族性を重視 | 社会や人間の問題に向き合う | 社会や人間を科学的に観察 |
| 背景 | 画一的な制度導入・軍事占領への反発 | 市民社会の成熟、社会階層の格差 | 近代科学・技術の急速な発展 |
| 代表(文学) | ゲーテ、バイロン、ユゴー、プーシキン | バルザック、フロベール、ディケンズ | ゾラ、イプセン、ストリンドベリ |
| 代表(美術) | ドラクロワ | クールベ、ミレー | ─ |
1870年代のフランスで、従来の絵画の常識を覆す新しい美術運動が生まれました。それが印象派です。
印象派の画家たちは、外光の観察から対象の描き方自体を見直そうとしました。アトリエにこもるのではなく、おもに光の観察に重点をおき、屋外で制作をすることが多く、色彩を優先した表現を追求しました。
モネは『印象・日の出』を1874年に展示し、この絵の名前が「印象派」という呼び名の由来となりました。彼は同じ題材を時間帯や季節を変えて繰り返し描くなど、光と色彩の変化を追求し続けました。ルノワールは人々の集う楽しげな場面を温かい色彩で描き、印象派の魅力を広めました。
印象派はさらに、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンといった後期印象派の画家たちへと発展し、20世紀の近代美術の出発点となっていきます。19世紀末のアール=ヌーヴォー(新芸術)は絵画だけでなく建築や工芸にまで展開し、近代彫刻ではロダンが新しい可能性を開きました。
音楽では、ドイツのワーグナーが独自の芸術論にもとづく壮大な楽劇を発表しました。フランスのドビュッシーはロマン主義をこえる印象主義音楽を切り開き、シェーンベルクは無調的な現代音楽を創始する作品を発表しました。
①印象派:屋外で光と色彩の変化を捉える新しい絵画運動
②モネ(フランス):『印象・日の出』が名前の由来
③ルノワール(フランス):人物画を温かい色彩で描写
④後期印象派:セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンが独自に発展させ、20世紀美術の出発点に
⑤アール=ヌーヴォー:絵画・建築・工芸に展開した19世紀末の芸術運動
⑥ロダン(フランス):近代彫刻の開拓者
⑦ワーグナー(ドイツ):壮大な楽劇を発表
⑧ドビュッシー(フランス):印象主義音楽を切り開く
19世紀は近代科学が全面的に開花し、急速に発展した時代でした。とくに発展し、社会を変貌させたのは、自然科学と電機・化学など実用工業の分野でした。
イギリスのダーウィンは、ビーグル号での航海の観察をもとに研究を重ね、1859年に『種の起源』を発表しました。生物は自然選択(自然淘汰)によって環境に適応した個体が生き残り、長い時間をかけて種が変化していくという進化論を唱えたのです。
進化論は、人間が生物のなかで特別な存在ではなく、その一員にすぎないと指摘して、キリスト教にもとづく人間観を信じていた欧米の人々に衝撃を与え、当初は教会や学界からはげしく非難されました。しかし、科学的な証拠にもとづくこの理論は次第に広く受け入れられ、生物学だけでなく人文・社会科学にも大きな影響を及ぼしました。イギリスのスペンサーは適者生存の考えを社会に適用して社会進化論を唱えましたが、それが人種理論や帝国主義の正当化に結びつけられることもありました。
19世紀後半にはコッホやパストゥールらによる細菌学や予防医学が近代医学の基礎を確立しました。パストゥールは狂犬病予防接種を開発し、コッホは1882年に結核菌、翌83年にコレラ菌を発見しました。それとともに、公衆衛生の知識も広まり、乳児死亡率の低減や、平均寿命の伸長が進みました。
オーストリアの修道士メンデルは、エンドウ豆の交配実験を通じて遺伝の法則を発見しました(1865年発表)。彼の研究は当時ほとんど注目されませんでしたが、20世紀初頭に再発見され、近代遺伝学の出発点となりました。
物理学では、イギリスのファラデーが電磁誘導の法則を発見し、電気工学の基礎を築きました。19世紀半ばにはマイヤーとヘルムホルツがエネルギー保存の法則を発見し、熱力学の発展に道を開きました。19世紀末にはレントゲンがX線を発見し、キュリー夫妻がラジウムなど放射性元素を発見して、20世紀の原子物理学の端緒となりました。化学では、ロシアのメンデレーエフが元素の周期律を発見し、元素の体系的な分類を可能にしました。スウェーデンのノーベルはダイナマイトを発明し、その遺産をもとにノーベル賞が創設されました。
技術面では、モース(モールス)による電信機、ベルによる電話、エディソンによる電灯・映画・蓄音機などの発明が実現しました。これらの技術革新は、大新聞の発展や郵便・交通の進歩とあいまって、情報伝達の速度と密度を大きく変化させました。
| 分野 | 人物 | 国 | 業績 |
|---|---|---|---|
| 生物学 | ダーウィン | イギリス | 『種の起源』・進化論(自然選択説) |
| 細菌学 | パストゥール | フランス | 細菌学の確立・狂犬病予防接種の開発 |
| 細菌学 | コッホ | ドイツ | 結核菌・コレラ菌の発見 |
| 遺伝学 | メンデル | オーストリア | 遺伝の法則(20世紀初頭に再発見) |
| 物理学 | ファラデー | イギリス | 電磁誘導の法則 |
| 物理学 | レントゲン | ドイツ | X線の発見 |
| 物理学 | キュリー夫妻 | フランス(ポーランド出身) | 放射性元素ラジウムの発見 |
| 化学 | メンデレーエフ | ロシア | 元素の周期律の発見 |
| 化学 | ノーベル | スウェーデン | ダイナマイトの発明 |
| 技術 | エディソン | アメリカ | 電灯・映画・蓄音機の発明 |
哲学や政治・社会思想の分野では、カントが確立したドイツ観念論哲学が継承・発展されて、ヘーゲルの弁証法哲学やマルクスの唯物論を生み出しました。資本主義が進んだイギリスでは、近代社会に生きる市民に指針を与えるベンサムの功利主義やスペンサーの経験論哲学があらわれました。
ナショナリズムと国民国家は、その正当性の根拠を民族や国家の歴史に求めたので、歴史への関心が高まりました。ドイツのランケは厳密な史料批判にもとづく実証主義的な近代歴史学の基礎をつくり、以後、人文・社会科学でも歴史的考察や分析方法が利用されるようになりました。フランスのコントは実証主義を確立し、社会学を創始して、人文科学全体に大きな影響を与えました。
ドイツ出身のマルクスは、エンゲルスと協力して『共産党宣言』(1848年)を公刊し、社会革命が必要であると説きました。その後、マルクスは『資本論』(1867年に第1部)を著して、資本主義においては、労働者は自由な立場で労働してもその報酬を完全には受け取れない仕組み(搾取)があると論じ(マルクス主義)、大きな影響を与えました。
19世紀末には、深い省察もなされました。ドイツの哲学者ニーチェはヨーロッパ文明の根本を批判しました。オーストリアの精神科医フロイトは、人間心理に無意識の層があると考え、精神分析学の基礎を形成しました。いずれも20世紀思想に大きな影響を与えることとなります。
経済学においても、イギリスではアダム=スミスの流れを引くマルサス、リカードらの古典派経済学が、自由放任主義は経済発展をうながすと主張しました。これに対して、ドイツのリストは後発国の国民経済には国家の保護が必要と考え、ドイツ関税同盟の結成を説きました。
マルクスとエンゲルスは1844年にパリで出会い、以後生涯にわたる協力関係を築きました。エンゲルスはイギリスの工場経営者の家の出身で、労働者の実態を熟知しており、マルクスの研究を経済的にも知的にも支え続けました。1848年に共同で『共産党宣言』を発表し、労働者の国際的連帯を訴えています。
①ランケ(ドイツ):厳密な史料批判にもとづく近代歴史学の基礎
②コント(フランス):実証主義を確立、社会学の創始者
③マルクス(ドイツ):『共産党宣言』『資本論』で資本主義を分析
④ベンサム(イギリス):功利主義を提唱
⑤リスト(ドイツ):後発国の保護貿易を主張、関税同盟を推進
⑥ニーチェ(ドイツ):ヨーロッパ文明の根本を批判
⑦フロイト(オーストリア):精神分析学の基礎を形成
ロシアでも、帝政社会を反映した深い問題意識を示す文学が生まれました。
ドストエフスキーは、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』などの作品で、極限状況に置かれた人間の心理と魂の葛藤を深く掘り下げました。罪や信仰、自由と救済といった根源的なテーマに取り組み、近代文学に大きな影響を与えています。
トルストイは、『戦争と平和』でナポレオン戦争期のロシア社会を壮大に描き、『アンナ=カレーニナ』では貴族社会の内面を鋭く描写しました。晩年には非暴力主義を唱え、のちのガンディーにも影響を与えたとされています。
また、ツルゲーネフは『父と子』で新旧世代の対立を描き、ロシア社会の変革期の雰囲気を文学にとどめています。
19世紀のロシアでは、言論の自由が制限されていたため、社会批判の手段として文学が重要な役割を果たしました。作家たちは小説の中に農奴制への批判や知識人の苦悩、民衆の生活を込めました。こうした背景が、ロシア文学に独特の深みと重厚さを与えています。
①ドストエフスキー:『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』─人間の心理と魂の葛藤
②トルストイ:『戦争と平和』『アンナ=カレーニナ』─ロシア社会の壮大な描写
③ツルゲーネフ:『父と子』─世代間の対立
19世紀の科学・技術の発展と社会の変化は、「歴史総合」の「近代化と私たち」で扱われる重要テーマです。産業革命がもたらした社会変化にどう向き合ったかという問いを、文学・芸術・思想の面から考えることで理解が深まります。
19世紀の欧米では、ロマン主義が国民文学や国民音楽に結実して国民文化の形成を推進し、やがて写実主義・自然主義・印象派へと文芸思潮が変遷した。耽美主義・象徴主義やアール=ヌーヴォーも生まれた。ダーウィンの進化論やコッホ・パストゥールの細菌学など自然科学が飛躍し、ランケの近代歴史学やマルクスの『資本論』など社会科学も発展、ニーチェやフロイトも20世紀思想に道を開いた。(183字)
Q1. 啓蒙思想の理性偏重への反発から生まれ、感情や想像力を重視した文芸思潮を( )主義という。
Q2. ドラクロワが七月革命を題材に描いた、ロマン主義絵画の代表作は『( )』である。
Q3. フランスの作家で、『人間喜劇』と総称される膨大な小説群で写実主義文学を代表するのは( )である。
Q4. 科学的方法を文学に取り入れ、『居酒屋』などで自然主義文学を確立したフランスの作家は( )である。
Q5. 1874年に展示された『印象・日の出』がその名の由来となった画家は( )である。
Q6. 1859年に『種の起源』を発表し、自然選択による進化論を唱えたイギリスの科学者は( )である。
Q7. 細菌学や予防医学で近代医学の基礎を確立し、狂犬病予防接種を開発したフランスの科学者は( )である。
Q8. エンドウ豆の交配実験で遺伝の法則を発見したオーストリアの修道士は( )である。
Q9. 実証主義を確立し、社会学を創始したフランスの思想家は( )である。
Q10. 『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』で人間の心理と魂の葛藤を描いたロシアの作家は( )である。
次の空欄に適語を入れよ。
(1) ドイツの文豪ゲーテの代表作で、人間の限りない探究心を描いた作品は『( ア )』である。
(2) フランスの画家( イ )は七月革命を題材に『民衆を導く自由の女神』を描いた。
(3) ダーウィンが1859年に発表した、進化論を体系的に論じた著作は『( ウ )』である。
(4) マルクスが資本主義経済のしくみを分析した著作は『( エ )』である。
ア:ファウスト イ:ドラクロワ ウ:種の起源 エ:資本論
(1)について:ゲーテは『若きウェルテルの悩み』も有名ですが、晩年の大作は『ファウスト』です。(2)について:ドラクロワはロマン主義絵画を代表する画家で、激しい色彩と劇的な構図が特徴です。(3)について:『種の起源』(1859年)で自然選択による進化を論じ、キリスト教的世界観に衝撃を与えました。(4)について:『資本論』は1867年に第1巻が刊行されました。エンゲルスが第2巻・第3巻の編集を引き継いでいます。
次の文のうち、正しいものを1つ選べ。
(3)
(1)について:ゾラは自然主義の作家です。『人間喜劇』はバルザック(写実主義)の作品です。(2)について:メンデルの法則は1865年に発表されましたが、当時はほとんど注目されず、20世紀初頭に再発見されました。(3)について:正しい。コントは社会学の創始者とも呼ばれます。(4)について:印象派の名の由来となったのはモネの『印象・日の出』であり、ルノワールではありません。
19世紀の欧米における文芸思潮の変遷について、「ロマン主義」「写実主義」「印象派」「産業革命」の語句を使って150字以内で説明せよ。
19世紀前半には啓蒙思想の理性偏重への反発からロマン主義が隆盛し、感情や民族性を重視する文学・美術が栄えた。19世紀半ば以降、産業革命による社会問題の深刻化を背景に、現実をありのままに描く写実主義が主流となった。1870年代にはフランスで印象派が登場し、光と色彩を追求する新たな絵画表現が生まれた。(147字)
文芸思潮の変遷を時系列に沿って記述し、各潮流の特徴とその背景(社会的要因)を対応させることが求められます。ロマン主義→写実主義→印象派という流れを、啓蒙思想への反発・産業革命といった社会的背景と結びつけて論じましょう。