1929年10月、ウォール街のニューヨーク株式市場で株価が暴落し、世界恐慌が始まりました。世界経済・金融の中心であるアメリカでおこった恐慌は世界中に波及し、各国は自国の問題を最優先するようになります。アメリカはニューディール、イギリス・フランスはブロック経済で対応しましたが、広大な植民地をもたずブロックをつくれないドイツ・イタリア・日本などでは、ファシズム諸国が台頭し、拡張主義に向かう要因となりました。こうして1920年代後半に形成された国際協調の気運は後退し、ヴェルサイユ体制は破壊されていきます。
この記事では、世界恐慌から第二次世界大戦前夜までの激動の時代を学びます。
1920年代のアメリカは、第一次世界大戦の戦場にならなかったことで債務国から債権国に転じ、空前の繁栄を謳歌していました。工業生産は1929年で世界全体の約42%を占め、ニューヨークのウォール街が世界金融の新たな中心に浮上しました。しかし、この繁栄の裏側には、株や債券などの投機ブームが過熱していたこと、世界的な農業不況により農民の購買力が落ちていたこと、過剰生産により商品供給の過多が生じていたことなどの問題が潜んでいました。
1929年10月、ウォール街のニューヨーク株式市場で株価が暴落したことから、アメリカ合衆国は空前の恐慌におちいりました。最初に暴落のあった10月24日は「暗黒の木曜日」と呼ばれます。工業生産の急落や企業の倒産、商業・貿易の不振が広がり、金融機関の閉鎖・倒産があいついで、労働者の4人に1人が失業しました。
世界経済・金融の中心であるアメリカでおこった恐慌は世界恐慌に発展しました。アメリカ合衆国は海外に投下していた資本を引き揚げ、貿易を縮小したので、その影響はたちまち各国に波及しました。とくにアメリカ資本が支えていたドイツ経済の悪化は深刻で、賠償金の支払いも事実上停止しました。世界恐慌による失業者は世界全体で3500万〜5000万人に達したと推計されます。世界恐慌は、各国における社会対立を激化させ、政治情勢を不安定にしました。各国政府は自国の問題を最優先するようになり、1920年代後半に形成された国際協調の気運は後退し、30年代の国際関係は対立を基調とするようになりました。とくにファシズム諸国の台頭は世界平和にとっての深刻な脅威となりました。
世界経済・金融の中心であるアメリカでおこった恐慌は、資本の引き揚げと貿易縮小を通じて世界中に連鎖しました。
① 1929年10月、ウォール街のニューヨーク株式市場で株価暴落(「暗黒の木曜日」)
② アメリカが海外の資本を引き揚げ、貿易を縮小→とくにドイツ経済が深刻に悪化
③ 各国に波及して世界恐慌に発展→社会対立が激化し政治情勢が不安定に
世界恐慌がおこった当初、アメリカ合衆国では、市場になるべく介入すべきでないという自由放任主義の考えが強く、政府は十分な対応をとれませんでした。1931年には共和党出身のフーヴァー大統領が、賠償・戦債支払いの1年間停止(フーヴァー=モラトリアム)を宣言しましたが、回復への効果はありませんでした。しかし、1932年の選挙で当選した民主党のフランクリン=ローズヴェルト大統領は、積極的な市場への介入を打ち出して、ニューディール(新規まき直し)と呼ばれる政策を実行しました。
ローズヴェルト政権は、銀行の救済をはかるとともに金本位制から離脱しました。また、農業調整法(AAA)で農業生産を調整し農産物の価格を引き上げ、全国産業復興法(NIRA)では工業製品の価格協定を公認し、産業の復興をうながしました。さらにテネシー川流域開発公社(TVA)に代表される公共事業によって失業者を減らそうとしました。他方、1935年のワグナー法によって労働者の団結権と団体交渉権を認め、労働組合の結成をうながした結果、1938年に産業別組合会議(CIO)が成立しました。また、社会保障制度を制定し、国民生活の安定をはかりました。
これらの政策による経済回復の効果は限られていましたが、ローズヴェルトはラジオ放送を通じて個々の家庭に直接に語りかけるなど、強力なリーダーシップを発揮して国民の不安を和らげ、民主主義を維持しました。
イギリスでは、労働党のマクドナルド首相が保守党などの協力を得て挙国一致内閣を組織し、緊縮財政を実施するとともに金本位制から離脱しました。さらに1932年のオタワ連邦会議では、イギリス連邦内の関税を下げ、連邦外の国には高関税を課すスターリング=ブロック(ポンド=ブロック)が形成されました。これは、自国通貨を軸にして植民地と経済圏をつくり、他国の商品を排除するブロック経済の先がけとなりました。
フランスも自国の植民地を囲い込んでフラン=ブロックを築き、経済の安定をはかりました。アメリカ合衆国のローズヴェルト政権も、キューバへの内政干渉をひかえるなど善隣外交を展開し、ラテンアメリカ諸国をドル経済圏に組み入れました。また、1933年にロンドンで開かれた世界経済会議では、合衆国は金本位制への復帰を拒否しましたが、これは世界経済のブロック化を助長する結果となりました。
こうしてイギリス・フランス・アメリカ合衆国がブロック経済の構築を推し進めると、ブロック間の対立が高まり、通商に頼る中小諸国を苦しめました。他方で世界経済のブロック化は、広大な植民地をもたず、ブロックをつくれないドイツ・イタリア・日本などが、拡張主義に向かう要因ともなりました。
| 国 | 対策 | 特徴 |
|---|---|---|
| アメリカ | ニューディール(ローズヴェルト) | 金本位制離脱、AAA・NIRA・TVAなどの公共事業、ワグナー法、社会保障制度。善隣外交でラテンアメリカ諸国をドル経済圏に組み入れ |
| イギリス | ブロック経済(オタワ連邦会議) | 金本位制離脱、スターリング=ブロック(ポンド=ブロック)の形成 |
| フランス | ブロック経済+人民戦線 | フラン=ブロックの形成。人民戦線内閣(1936年) |
| ソ連 | 五か年計画 | 計画経済で世界経済との結びつきが少なく、恐慌の打撃をほとんど受けず |
世界恐慌以後、各国は金本位制を離れ、各政府が貨幣の流通量を管理できる管理通貨制度へと移行しました。ブロック経済は、広大な植民地をもつイギリスやフランスにとっては有効な恐慌対策でした。しかし、広大な植民地をもたず、ブロックをつくれないドイツ・イタリア・日本などは、ブロック間の対立のなかで拡張主義に向かう要因をもつことになりました。ブロック経済は国際的な自由貿易体制を破壊し、結果として第二次世界大戦の遠因となったのです。
イタリアでは、第一次世界大戦後の社会不安と経済的混乱を背景に、ムッソリーニ率いるファシスト党(国家ファシスト党)が勢力を拡大しました。1922年、ムッソリーニはローマ進軍を行って政権を獲得し、やがて一党独裁体制を確立しました。
ムッソリーニのファシズムは、独裁的な国家体制のもとで議会制民主主義を否定し、国民を国家のもとに統合することを目指しました。対外的には、イタリアの国際的地位の向上と領土拡大を強く主張しました。
アメリカ合衆国についで恐慌の被害が大きかったドイツでは、1930年の選挙でヴァイマル共和国の議会政治を攻撃するナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)と共産党が伸長しました。ナチ党は、第一次世界大戦後にヒトラーを指導者として発展した政党で、イタリアのファシズムなどに学び、ユダヤ人排斥を掲げる人種差別主義、ヴェルサイユ条約の破棄、民族共同体の建設による国民生活の安定をとなえました。過激な現状否定を訴えるナチ党は、当初は泡沫政党にすぎませんでした。
世界恐慌によって失業者が増えるなかで労働運動と共産党が勢力をのばし、社会不安も広がると、ナチ党の政治宣伝は農民や都市の中産層のあいだで熱心に受け入れられるようになりました。また、保守的な産業界や軍部もナチ党に期待しました。1932年の選挙でナチ党は第一党になり、翌1933年1月、ヒトラーはヒンデンブルク大統領によって首相に任命されました。
新政府は国会議事堂放火事件を利用して共産党を弾圧し、国会も圧倒的多数で全権委任法を成立させ、政府に立法権をゆだねました。数か月のうちに、ナチ党以外の政党や労働組合は解散させられ、一党独裁が実現しました。政治的反対派は秘密警察(ゲシュタポ)や親衛隊(SS)によって強制収容所に送られ、ユダヤ人も激しい暴力や差別にさらされました。1934年、ヒンデンブルクが死去すると、ヒトラーは大統領の権限もあわせもつ総統(フューラー)を名乗り、独裁者となりました。
ナチス=ドイツは、ソ連の計画経済などに学んだ四カ年計画によって重化学工業を拡張し、アウトバーン(自動車専用道路)建設などの大規模な公共事業で失業者を急速に減らしました。また、イタリアのファシズムにならって団体旅行などのレクリエーションを組織したほか、福祉事業の整備やラジオ放送など大衆娯楽の拡充につとめました。国民車(フォルクスワーゲン)構想も打ち出され、積み立て貯蓄で誰もが自動車を持てる社会を約束するなど、「大衆の合意」を得る政策が意図的に進められました。一般のドイツ国民は、これらの政策を歓迎しました。
| 項目 | イタリア(ファシズム) | ドイツ(ナチズム) |
|---|---|---|
| 指導者 | ムッソリーニ | ヒトラー |
| 政党 | ファシスト党(国家ファシスト党) | ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党) |
| 政権獲得 | 1922年 ローマ進軍 | 1933年 首相就任→全権委任法→一党独裁 |
| 共通点 | 議会制民主主義の否定、一党独裁、対外膨張、反共産主義 | |
| ドイツの特徴 | ─ | 人種差別主義(ユダヤ人排斥)、ヴェルサイユ条約の破棄、民族共同体の建設 |
世界恐慌による経済的苦境と社会不安が広がるなか、ヴェルサイユ条約の破棄と民族共同体の建設をとなえるナチ党が、農民・中産層・産業界・軍部の支持を集めて急速に台頭しました。
1920年代の日本では、普通選挙の導入によって二大政党制が誕生しましたが、経済的には大戦後の輸出の不振による不況が続いていました。1927年に金融恐慌が発生し、世界恐慌の拡大期には本格的な不況におちいりました。
民衆は政権争いを続ける既成政党への不満を強め、また、軍部は大陸での権益確保を主張するとともに、政府の外交姿勢を「軟弱外交」として批判しました。こうしたなか、中国では国権回復の動きが高まっていたため、日本の軍部は危機感をいだき、武力による中国東北地方の支配をめざしました。
日本の関東軍は、1931年9月に中国東北地方の柳条湖で鉄道を爆破し、これを口実に軍事行動をおこして東北地方の大半を占領しました(満洲事変)。日本への反発から上海でも日中間の対立が高まり、1932年1月には上海事変が勃発しました。関東軍は既成事実化をはかって、翌1932年3月に清朝最後の皇帝溥儀を執政にすえて満洲国を建国させました。
中国は国際連盟に訴え、リットン調査団が派遣されました。リットン調査団の報告にもとづいて、連盟は東北地方における日本の権益を認めつつも満洲国を支持しなかったため、1933年3月、日本は国際連盟脱退を通告しました。
日本国内では、テロやクーデタ事件があいついで政党政治が後退し、軍部の政治的影響力が強まりました。
① 1931年9月 柳条湖事件→関東軍が軍事行動をおこし東北地方を占領(満洲事変)
② 1932年3月 関東軍が清朝最後の皇帝溥儀を執政にすえて満洲国を建国
③ 中国が国際連盟に訴え→リットン調査団が派遣
④ 連盟は日本の権益を認めつつも満洲国を不支持→1933年3月 日本が国際連盟脱退を通告
中国の国民政府は中国統一を進め、日本の侵略への対応よりも中国共産党との戦いに力を入れました。1934年には共産党軍の根拠地を包囲しましたが、共産党軍は包囲を逃れ、最終的に陝西省に到達して根拠地を設け、毛沢東を指導者とする体制を整えました(長征)。
こうした国民政府による統一の進展に対して、日本の軍部は華北を国民政府の支配から切り離す政策を進めたため、中国国内における抗日運動はいっそう強まりました。1935年にはコミンテルンの方針にもとづいて中国共産党が八・一宣言を出し、民族統一戦線の結成を呼びかけました。
これを受けて張学良は、1936年に共産党攻撃をうながしに来た蒋介石を捕らえ、抗日と内戦停止を求める西安事件をひきおこしました。蒋介石も説得を受け入れ、国共の内戦は停止されました。
国内体制を固めたナチス=ドイツは、1933年、軍備平等権が認められないことを理由に国際連盟から脱退し、1935年には住民投票によってザール地方を編入しました。同年、ナチス=ドイツが徴兵制の復活と再軍備を宣言すると、イギリスはドイツと海軍協定を結び、事実上再軍備を追認しました。フランスとソ連がこれに対抗して仏ソ相互援助条約を締結すると、翌1936年、ドイツはこの条約締結を理由にしてロカルノ条約を破棄し、非武装地帯のラインラントに軍を進駐させ、ヴェルサイユ体制の破壊を進めました。
世界恐慌からの活路を対外拡張に求めるイタリアも、1935年にエチオピアに侵攻し、翌年には併合しました。国際連盟はこの侵略行為に対して初の経済制裁を宣言したものの、イギリスやフランスはイタリアを刺激することを避けたため、制裁品目から石油など重要な物資が外され、制裁は実質的な効果をあげられませんでした。こうした国際世論の反発を受けるなかで、イタリアはドイツに接近しました。
ファシズム諸国の脅威の高まりに対して、ソ連が指導するコミンテルンは、反ファシズムの立場で広範な連帯を呼びかける人民戦線戦術を打ち出しました。その成果として、フランスでは1936年、社会党・急進社会党に共産党が加わる人民戦線内閣が成立しました。さらに同年、スペインでも人民戦線政府が成立しました。
しかし、スペイン人民戦線政府に対して、地主層などの保守勢力を率いるフランコ将軍が反乱をおこし、スペイン内戦が始まりました。ドイツとイタリアがフランコ側に軍事支援をおこなったのに対して、ドイツを刺激したくないイギリスは非介入路線をとりました。フランスの人民戦線内閣もスペイン内戦への対応をめぐって分裂・崩壊しました。スペイン人民戦線政府側にはソ連が武器援助をおこない、欧米などから結集した国際義勇軍も支援をおこないましたが、内戦は1939年にフランコ側が勝利して終わりました。
人民戦線結成などの国際的な反ファシズム運動に対抗して、1936年に日本とドイツは防共協定を結び、翌1937年にはイタリアも参加して三国防共協定に拡大されました。イタリアは同年、日本・ドイツにならって国際連盟を脱退しました。こうして、ヴェルサイユ・ワシントン両体制に挑戦する日本・ドイツ・イタリアは、三国枢軸を結成するに至りました。
① 日本・ドイツの国際連盟脱退→連盟の形骸化
② ドイツの徴兵制復活・再軍備宣言とラインラント進駐→ヴェルサイユ条約の空文化
③ イタリアのエチオピア侵攻→経済制裁の失敗、集団安全保障体制の破綻
④ スペイン内戦→ファシズム対反ファシズムの国際的対決
⑤ 三国防共協定・三国枢軸の形成→ヴェルサイユ・ワシントン両体制への挑戦
世界恐慌とファシズム諸国の台頭は、「歴史総合」の「国際秩序の変化や大衆化と私たち」で中心的に扱われるテーマです。恐慌が各国における社会対立を激化させ、政治情勢を不安定にし、ファシズム諸国の台頭をもたらした因果関係を理解することが重要です。
1929年10月、ウォール街のニューヨーク株式市場での株価暴落を機に世界恐慌が発生し、アメリカはニューディール、英仏はブロック経済で対応した。広大な植民地をもたずブロックをつくれないドイツ・イタリア・日本ではファシズム諸国が台頭して拡張主義に向かい、再軍備・エチオピア侵攻・満洲事変・スペイン内戦・三国枢軸の形成を通じてヴェルサイユ・ワシントン両体制と国際協調は崩壊した。(183字)
Q1. 1929年10月、( )のニューヨーク株式市場で株価が暴落し、世界恐慌が始まった。
Q2. 1932年の選挙で当選し、ニューディール(新規まき直し)を推進したアメリカ大統領は( )である。
Q3. 1932年のオタワ連邦会議でイギリスが形成した、自国通貨を軸にして植民地と経済圏をつくり他国の商品を排除する経済政策を( )という。
Q4. イタリアでファシスト党を率いて一党独裁体制を確立した指導者は( )である。
Q5. ヒトラーが1933年に成立させ、政府に立法権を含む独裁権を与えた法律を( )という。
Q6. 1931年、関東軍が柳条湖事件をきっかけに起こした軍事行動を( )という。
Q7. 国際連盟がリットン調査団の報告を採択した後、1933年に日本がとった行動は( )である。
Q8. 1935年にイタリアが侵攻し、国際連盟の集団安全保障の無力さを露呈させた国は( )である。
Q9. 1936年にドイツが軍を進駐させた、ヴェルサイユ条約で非武装地帯とされていた地域は( )である。
Q10. 1936年に始まり、ファシズム対反ファシズムの「代理戦争」とも呼ばれた内戦は( )である。
次の空欄に適語を入れよ。
(1) 1929年のウォール街の株価大暴落に始まる世界的な経済危機を( ア )という。
(2) アメリカのローズヴェルト大統領が行った恐慌対策を( イ )政策という。
(3) 1932年のオタワ連邦会議でイギリスが確立した、連邦内の特恵関税制度に基づく経済政策を( ウ )という。
(4) ドイツでヒトラーが1933年に成立させ、独裁権を確立する根拠となった法律を( エ )という。
ア:世界恐慌 イ:ニューディール ウ:ブロック経済 エ:全権委任法
(1)について:1929年10月、ウォール街のニューヨーク株式市場で株価が暴落し、世界恐慌に発展しました。(2)について:ニューディール(新規まき直し)は、金本位制離脱、AAA・NIRA・TVAなどの公共事業やワグナー法による労働者保護が柱です。(3)について:ブロック経済は、自国通貨を軸にして植民地と経済圏をつくり他国の商品を排除する政策で、広大な植民地をもたないドイツ・イタリア・日本との対立を深めました。(4)について:全権委任法により政府に立法権がゆだねられ、数か月のうちにナチ党以外の政党や労働組合は解散させられ、一党独裁が実現しました。
次の問いに答えよ。
(1) 世界恐慌がドイツに特に深刻な影響を与えた理由を、「賠償金」「アメリカ」の語句を使って簡潔に説明せよ。
(2) 1935年にナチス=ドイツがユダヤ人の公民権を剥奪した法律の名称を答えよ。
(3) スペイン内戦でフランコ将軍の反乱軍を支援した2つの国を答えよ。
(1) アメリカ資本がドイツ経済を支えていたため、アメリカが海外の資本を引き揚げるとドイツ経済は深刻に悪化した。
(2) ニュルンベルク法
(3) ドイツとイタリア
(1)について:ドーズ案・ヤング案のもとで、ドイツ経済はアメリカ資本に支えられていました。アメリカが資本を引き揚げたことで、ドイツはアメリカ合衆国についで恐慌の被害が大きくなりました。(2)について:ニュルンベルク法(1935年)はユダヤ人からドイツ市民権を剥奪し、組織的な迫害の法的根拠となりました。(3)について:ドイツとイタリアがフランコ側に軍事支援をおこない、ソ連は人民戦線政府側に武器援助をおこないました。イギリスは非介入路線をとりました。
1929年の世界恐慌が、1930年代にヴェルサイユ体制の崩壊をもたらした過程を、「ブロック経済」「ファシズム」「国際連盟」の語句を使って150字以内で説明せよ。
世界恐慌に対して英仏はブロック経済で植民地を囲い込んだが、広大な植民地をもたずブロックをつくれないドイツ・イタリア・日本ではファシズム諸国が台頭し、拡張主義に向かった。これらの国は国際連盟の制裁や勧告を無視して脱退し、三国枢軸を形成したため、集団安全保障は機能しなくなり、ヴェルサイユ体制は崩壊した。(148字)
この問題では、世界恐慌→ブロック経済→広大な植民地をもたない国の拡張主義→ファシズム諸国の台頭→国際連盟脱退・三国枢軸の形成→ヴェルサイユ体制崩壊という因果の連鎖を論理的に記述することが求められます。